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日本物理学会2019年春季大会での私の発表は、統計力学についての16pG214-13「時間の矢への宇田予想と重力円錐宇宙」だけだった。
発表旅行中に撮影された写真は
リンク集 > 宇田雄一のウェブサイト > 即達 の2019年09月分のページに掲載されています。



G214会場は、九州大学伊都キャンパス総合学習プラザ2階203工学部第14講義室だった。
16pG214-13「時間の矢への宇田予想と重力円錐宇宙」では、液晶プロジェクターで資料を掲示しながら、次の様に口述した。
発言タイミング 発言内容 注釈
OHP-11-1 宇田雄一です。
時間の矢の問題の実質上の答えが分かったので発表します。
左記発言開始は2019年03月16日16時49分13秒頃です。
OHP-11-2 日本物理学会誌第72巻9号付録「物理学70の不思議」59ページに58番目の不思議として、時間の矢の問題が挙げあられています。
そこには「実際に観測される不可逆現象」の例として「たとえば20度と40度の物質を接触させると、同じ温度(たとえば30度)の状態に達する」と書かれています。
また「20度と40度の状態から30度に緩和するダイナミクスが運動方程式の解としてあるなら30度の状態から20度と40度の状態に時間変化する解も存在する」とも書かれています。
「存在するはずだ」ではなく「存在する」と書かれているので、逆現象を禁じているのは法則ではない、法則は時間反転対称だ、と書かれていると判断できます。
だとすると、逆現象は出会う事が無いだけだ、という事に成ります。
「物理学70の不思議」59ページには「等重率の原理によって選ばれた微視的な力学状態に対して、すべての粒子の速度を反転して時間発展しても、最初の20度と40度の状態に戻ることはない」とも書かれています。
この主張の真偽は私の学力では確かめ様が有りませんが、その通りだとすると等重率の原理によって選ばれた微視的な力学状態は20度と40度の状態から30度に緩和するダイナミクスによって作られた状態とは異なる事に成ります。
20度と40度の状態から30度に緩和するダイナミクスによって作られた状態に対しては、すべての粒子の速度を反転して時間発展すれば、最初の20度と40度の状態に戻るからです。
その時間発展が運動方程式の解であるとは、そういう事に他なりません。
逆現象に出会う事が無いとは、すべての粒子の速度を反転した状態に出会う事が無い、という事です。
以上が「物理学70の不思議」59ページに対するワタシなりの解釈ですが、他にも、逆現象に出会う事が無い原因は運動方程式が時間反転対称でない事である可能性、つまり逆現象を法則が禁じている可能性、も有ると思います。
マクスウェル方程式の先進解を非物理解として切り捨てる事まで物理法則だと考えれば、物理法則は時間反転非対称です。
赤の○×は物理法則が対称だと考えた場合、青の○×は物理法則が非対称だと考えた場合の評価です。
以下では、議論を物理法則が時間反転対称である場合に限定します。
マクスウェル方程式の先進解を非物理解として切り捨てる事は、周知の事実ですが、電磁気学読了後は意識され難く、特にこのセッションに参加している研究者の意識からは消えていると、他の発表を見て思いました。
OHP-11-3 「物理学70の不思議」59ページには「実際に観測される不可逆現象と微視的力学の基礎事項である可逆性の整合性を問うのが時間の矢の問題である」と書かれています。
また「この問題の難しさは、何を前提にして何を示せばよいのかが明示的になっていないことにある」と書かれています。
つまり、法則は時間反転対称なのに逆現象に出会う事が無いのは何故かを説明しろ、というのが時間の矢の問題であり、問題を数学上の証明問題に還元するステップが、この問題を解くプロセスの中で最大の関門だ、という風にまとめる事が出来ると思います。
以下で私は、数学上のそういう証明問題を提示し、それが解ければ何故時間の矢の問題が解けた事に成るのか、発表します。
OHP-11-4 今エントロピーが減少していれば、いずれ増加に転じる事、つまりエントロピー増転の法則と、
今エントロピーが増加していれば、幾ら待っても減少に転じない事、つまりエントロピー非減転の法則、
これらが成り立っている事が、逆現象に出会う事が無い理由であり、
運動方程式を前提にしてエントロピー増転の法則や非減転の法則の成立を示せ、というのが解かれるべき数学上の証明問題だ、というのが私の見解です。
この私の見解は、正しければもちろん、もし正しくなくてすら、時間の矢の問題を問題ではなくします。
時間の矢の問題は、運動方程式が時間反転対称である事とエントロピー増大の法則が時間反転非対称である事の不整合を問う物だからです。
エントロピー増転の法則も非減転の法則も時間反転対称なので、それらが成り立とうが成り立つまいが、エントロピー増大の法則の代わりにエントロピー増転の法則や非減転の法則が成立するのかもしれないではないか、という指摘を行なうだけで、不整合は解消されます。
エントロピーに上限が有る場合には、エントロピーが減少から増加に転じる歴史を過去に遡れば、もとはエントロピーが最大値のまま変化しない状態であったはずではないか、との疑いが生じます。
とするとエントロピーが一定のまま変化しない状態から自発的に減少に転じた事に成りますが、そういう事は起こらない、というのが「物理学70の不思議」59ページの「等重率の原理によって選ばれた微視的な力学状態に対して、すべての粒子の速度を反転して時間発展しても、最初の20度と40度の状態に戻ることはない」という見解だと思われます。
この見解を採用すると、いくら時間を遡ってもエントロピーは漸近的に上限に近付くのみで最大値には達しないらしい、と判断できます。
既存の宇宙論に見られる様な、「時間が過去と未来の両方について無限」ではない場合は、左記の私の考察で考え落とされています。

本当に「もし正しくなくてすら」なのか考えて下さい。
私も考える様に努めます。
OHP-11-5 具体例を考えて見ます。
質量が有限で表面が滑らかで自転もしていない多数の剛体球が、質量が無限大で内壁の滑らかな剛体箱に閉じ込められている場合、を考えます。
この箱内は最初仕切り板で仕切られており、この仕切り板との衝突でも剛体球に自転は生じないとします。
剛体球同士の衝突も剛体球と壁の衝突も完全弾性衝突だとします。
任意のタイミングで仕切り板を素早く除去し、除去完了直後からの状態変化を考察します。
除去完了直後からの状態変化のみを考察の対象とすれば、仕切り板を除去する素早さは無限大でなくても有限でも構いません。
左半分に偏在していた球が箱内全体に均等に分布する様に成る、とか、
左半分には高速の球ばかり、右半分には低速の球ばかりが存在していたが、仕切り板を除去した後は、次第に全部中速の球ばかりになる。
こういった例を考える事が出来ます。
剛体どうしの完全弾性衝突の法則は時間反転に対して対称だから、終状態において全ての剛体球の位置と速さを変えず速度ベクトルの向きだけを逆にすると、一定時間経過した後に
一瞬だけだが始状態が再現され、それ以降はまたエントロピーが増大し続けるだろう、というのが私の見解です。
しかし、この力学系は想像上の物に過ぎず実在はしないので、熱平衡に漸近せず複雑なフラクタル分布が発達し続ける、というのが本当かもしれません。
OHP-11-6 さて、エントロピー増転の法則や非減転の法則が成り立てば逆現象に出会う事が無いのは何故でしょうか?
エントロピーが減少から増加に転じる現象に出会うのではないでしょうか?
前のページでは剛体球の系で実際にそういう現象に出会う事が出来るだろう、と私は述べました。
しかし、マクスウェルの悪魔の話で言われる様に、そういう現象を作り出す為に介入した外部のエントロピーが増加してしまうので、宇宙全体のエントロピーについては単調増加しか実際には経験出来ないでしょう。
エントロピーが減少から増加に転じる現象に出会わないのは何故か、この問題に対する答えとして私は重力円錐宇宙という物を考え出しました。
重力円錐宇宙という命名は光円錐にならった物です。
重力円錐宇宙は、ビッグクランチの終了と同時にビッグバンが始まる、という既出のアイデアにワタシ独自の解釈を加えた物です。
今までは、その様な宇宙はエントロピー増大の法則に反するので現実ではない、と考えられて来たはずです。
さて、重力円錐宇宙において、我々が居る時空領域はこういう(左側の)部分またはこういう(右側の)部分です。
「ビッグクランチ終了の瞬間」イクオール「ビッグバン開始の瞬間」がエントロピーが最小に成る瞬間です。
インターネットで調べると、日経サイエンス2008年09月号にS.M.Carrollという人が「時間の矢の宇宙論的起源」という記事を書いていて、その中に「重力と宇宙膨張が有る場合でもエントロピーは増大し続ける」という意味の文が有る事が分かりました。
我々は、こちら(左側)に居るならこういう向き(左向き)の時間軸を、こちら(右側)に居るならこういう向き(右向き)の時間軸を用い、ビッグクランチ・ビッグバンを生きて通過する事は無いので、宇宙全体のエントロピーは単調に増加する、という経験しかしません。
生きて通過する者が居ない、という事は、そこを生命のシュレッダーだと言っても良い、という事ではないでしょうか。
こちら(左側)に居る人にとってのビッグバンはこちら(右側)に居る人にとってはビッグクランチです。
ビッグクランチ+ビッグバンの部分を、過去と未来の両方に向かってビッグバンが起きた、というイメージで認識できます。
これは、未来に向かってのビッグバンは過去に向かってのビッグバンの比喩的な意味での大きな反作用を受ける事が出来るのでインフレーションは必要ない、という理論展開の可能性を示唆します。
物質の量と反物質の量が違うのは何故か、という問題に対しても、ビッグクランチ以前は物質の量と反物質の量の大小関係が逆だった、ビッグクランチ以前とビッグバン以後の両方を総合すると物質の量と反物質の量は同じだ、というのが答えである可能性を重力円錐宇宙は示唆します。
重力円錐宇宙では、3Kの背景輻射はマクスウェル方程式の先進解と遅延解の差だと説明されるべき物かもしれません。
重力円錐宇宙はダークマターの議論にも影響を与えるべき物かもしれません。
時間の矢の問題には、「物理学70の不思議」59ページに書かれている問題の他に、我々が過去についての記憶を持つが未来についての記憶を持たないのは何故か、という問題も含まれますが、重力円錐宇宙は、この問題を考える土俵にも成るでしょう。
以上が、これで時間の矢の問題は問題でなくなった、という私の発表ですが、この私の発表を聞いて納得しても、ああ確かに間違いなくその通りだ、という風に早合点して考えるのをやめず、何年間かは疑り深く私の見解の欠点を探し続けるべきです。 例えば、初期条件全体の集合の半分は直後のエントロピーが減少する物、残りの半分は直後のエントロピーが増加する物であるはずだが、これと宇田予想は矛盾しないだろうか?
OHP-11-7 ウェブ上のこのアドレスに報告記事を書きます。
以上です。
左記発言終了は2019年03月16日17時00分03秒頃です。

画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
講演概要

16pG214-13
日本物理学会第74回年次大会(2019年)概要集
Web版 ISSN 2189-0803
DVD版 ISSN 2189-079X
2897ページ
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2019年03月16日録音分@学会発表の実況@動画

勉強しなくても結果が出せる事、勉強しても結果が出せない(百年間に渡って最も良く勉強した人達の間ですら灯台下暗しだった)事を、これほどまで如実に表す発表は今だかつて無かったろう。

質疑応答時間には、次の様な対話が生じました。

発言者 発言内容 注釈
宇田 何か気まずいですねえ、へはは。 発言が無いので、そう思った。
座長 何か追加でしゃべりたい事が有りますか?
宇田 今朝は総合講演というので大先生が「情報と時間の矢」という題で講演してるのを見て来たんですけれど、冒頭の辺りでビルの解体作業かなあ、爆破されてか知らないけどビルがバラバラに成って崩れるシーンがあって、こういう現象は起こるけど、その逆回しをした様な動画の、こういう現象は起こりませんというのを、あるんですよねえ。
私の考えだと逆の現象も起こる、という事でね、それで、この物理学会が刊行している本も読み様によってはね、そういう現象も起こるんだと書いてあるんだと思うんですよ。
だけど実際にはなかなか起こらないというのは、これは、銃のスナイパーの狙撃にたとえると、そういう現象は起こるんだけど、そこを狙う、初期条件をそこに合わせるという事ですねえ、そこを狙うのが極めて難しい、少しでも外すとそういう風には成らない、ぴったしジャストそこを狙うと、ちゃんとそういう現象に成るんだけど、少しでも狙いが狂うともう、そういう現象に成らない、という事かなあ、と思って。
それと私の話がどうつながるのかまでちょっと良く分かりませんが、そんな事を思ったりもしてるんですけどねえ。
「起こせない」「起こせる」と言うべき所で「起こらない」「起こる」と言ってしまっている。
不明 たぶん今の部分は標準的な考え方だと思います。 さすが領域11の人も伊達じゃない。
宇田 はあ、そうですねえ、はい。

G棟に入る前にG棟脇屋外に工務関係者が昼休憩または工務準備または待機しているのが見えた。
そこにはナンバー「福岡400は3104」の車両が停められており、その車両で来たと思われる人が地面にシートを敷いて座り込んでいた。
交通規制用コーンか何かが一緒に置かれていた事から、それを私は工務関係者だと判断した。
この状況を私は自分のブログで直ぐに公にしたためか、G棟内にそこからと思われる騒音が聞こえる事は無かったが、まるでその埋め合わせでもあるかの様に座長との交渉がストレスフルだった。
日本物理学会大会会場は大学構内なのに、行く先々に毎回毎回しつこく工務が入っている。
春休みだからか?
いや、夏休み終了後の9月に行なわれる秋季大会でもそうだし、10年ぐらい前まではそんな事は無かった。

G214教室に入ると、またしても室温が高過ぎると感じられたので、エアコンを切るためのボタンを押したがエアコンは稼動を続行した。
その際にエアコンの液晶ディスプレイに何か文字が表示されたが、多分それは「集中管理」という文字だった。
「端末からでは操作できない」という意味だろう、と思った。
そこで私は設定温度を数度下げる操作をした。
すると、液晶ディスプレイに表示されている設定温度は数度下がったが、エアコンの稼動音は全く変化しなかったので、表示内容のみ変化して実際の設定温度は変化しない様に集団ストーカーが工作している様だ、と思った。
前回の大会は秋季大会で実質上夏だった為に室温が高過ぎる事は深刻な問題だったが、今回の大会は春季大会で実質上冬だったので室温が高過ぎる事は放置しても対処可能な問題に過ぎなかったし、苦情を言う事は犯人の思う壺なので、私はそれ以上こだわらない事にした。
犯人は室温を過低にする事も考えたがそうしても冬着の私には効果が過小だから室温を過高にする方を選んだのだろう、と私は瞬間的に判断した。
セッションの途中で突然室温が下がり、少し寒く成った。
私の設定した温度にエアコンの稼動状態が切り替えられたからだろう。
寒く感じた人へ、それは私のせいです、すみません。
勘ぐると、まず過高室温で汗を出させて汗で下着を濡れさせ、その上で室温を過低にして風邪をひかせる、という狙い方を犯人がする可能性も有ります。

日本物理学会大会のどの回のどの教室もそうだがG214教室には教室の前(黒板側)端廊下側に1つと後端廊下側に1つ合計2つの出入口が有り、そのうちの前の出入口には「締切」と書かれていた。
16pG214セッションの前半(休憩より前の部分)が始まるよりも前に私はG214教室に入って待機した。
するとG214教室の2つの出入口のうちの前の出入口から人が入って来た。
発表中に前から人が出入りすると、そこから光が入って液晶プロジェクターによる表示が見え難く成る(だから締切とされるのが定例)ので、私は前の出入口に内側から施錠した。
しかし、しばらくすると、誰も解錠していないのに再び前の出入口から人が入って来た。
それまで誰も解錠していない事、を私は厳密に監視していたわけではないが、たぶん誰も解錠しなかった。
そういう事が2回ほど有った。
2回目は間違いなく、私は貼紙に「締切」と書かれている事を確認し、施錠した上で施錠直後、戸に開ける向きの力を手で加えて、戸を開ける事が出来ないのを確認した後だった。
1回目にも、そうしたかもしれない。
そこで私は、どうも、これは集団ストーカー工作らしい、と気付き、大変な危険を感じた。
集団ストーカー工作だとすると、私だけが施錠して施錠を確認しても、後で解錠状態に成っていた場合、私の施錠したという記憶が間違っているだけである事に(キチガイ扱い)されてしまう。
それを防ぐ為に私はセッション前半の開始前に座長に「すみません座長さん、前の出入口の施錠を確認して下さい」と申し出た。
それに対する座長の反応は以下。
私に言われた通り施錠を確認するための動作を開始したが、施錠を確認すると集団ストーカー工作が成立しなく成る事に気付き、だから施錠を確認する為の動作を中断した、並みの頭脳よりもずっとIQが高いので施錠を確認する為の動作を開始してから中断するまでの時間が並みの頭脳の持ち主より桁違いに短かった、と考えると辻褄が合う挙動と私の目には外見上見分けが付かない挙動をした後、私に「最初は締切の予定だったがルールが変更され締め切らない事に成った」と言った。
これが集団ストーカー工作だとすると、前の出入口から入って来た人が密かに鍵を持たされていたり鍵に遠隔操作が仕込まれていたりしたという事だから、集団ストーカー工作は常識では考えられない程までに凶悪である事に成りますが、集団ストーカー工作がそのぐらい凶悪である事は被害者の間では常識です。
ルールが変更されたという座長の主張に対して私は、幾ら何でもそれは無いだろう、と思って腹を立てましたが、集団ストーカー対処法として、立腹を外面に一切出さず、またルール変更に一切抵抗しませんでした。
私の立腹は単に「幾ら何でもそれは無いだろう」に過ぎない物ではなく、集団ストーカー犯がそういう時に頭の中でどういう事を考える物なのかを知っているからですが、その説明はここでは割愛します。

施錠の件が全くトラブルに成らず終わると直ぐ、セッション後半(休憩より後の部分)の座長が私のデジカメに目を付け(その態度は私の目には前の攻撃技が失敗したので間髪を入れず直ぐに次の攻撃技を仕掛けて来たのと外見上区別が付かなかった)て、次の様な対話が生じた。

座長:撮影は禁止です。
宇田:私が撮影するのは自分の発表だけで、自分の発表だけなら撮影はO.K.だと聞いています。
座長:それならカメラを撮影開始直前までカバンの中に収納しておいて下さい。
宇田:(カメラを伏せて)じゃあ、こうしておきます。
座長:それでも駄目です。カメラを見ておけ、と命じられているので。
宇田:ああ、カメラが見えてると駄目なのですね(と言ってカメラをカバンの中に収納した)

この対話中の、カメラを伏せても駄目、という部分で私は、幾ら何でもそれは無いだろう、と思いました。
カメラを伏せている人が多数居る場合、監視し切れないので、伏せても出していれば駄目、という基準には合理性が有りますが、それでは善意に解釈し過ぎな感じもするし、その会場でカメラを使ったのは私だけだったはずです。
その後、たぶん休憩時間に、私は座長に「カメラの取り出しタイミングを教えて下さい」と言って「直前の発表者の質疑応答時間が開始した時にしましょう」との返答を得た。
セッション前半の座長は自分の裁量で、発表開始から11分経過したら発表を強制的に終了させて質疑応答に入る、というルール(2003年以来私は初めて出会った)を置いたが、セッション後半でもそうするのかをセッション後半開始時にセッション後半の座長に私が訊ねたら、セッション後半ではそういうルールを置かない、というのがセッション後半の座長の返答だった。
この座長の返答を聞いた私は、セッション後半の座長は、犯人から11分切ルールを置く様に言われていたが、撮影禁止についての私の反応が全く過敏でないのを見て、犯人から吹き込まれていた私についての悪評を「そうでもなかったけど」という風に信じなく成り、その結果11切ルールを置けという犯人の指図を聞かなくなった、という事ではないか、と思った。
つまり、セッション後半の座長は騙す側ではなく騙される側に居るのではないか、と思った。
セッション後半の座長の背後にそそのかす犯人が居たのではないか、という事が、私のカメラに目を付けて飛び込んで来たタイミングや、カメラを見ておけと命じられた、という発言から判断して疑われます。
私について悪評を吹き込まれた実行犯が私に直に接する事によって悪評はウソだと分かってしまい犯行をやめてしまう、という事は、私がまだ集団ストーカーという概念も私に直に接した人の私に不利な挙動がわざとである事も知らなかった頃から、多数回あった。
今では私は悪評を裏切る事を集団ストーカー対処法として意識的に行なっているが、その頃には、私の元来の人の良さが身の守りと成って悪評を吹き込んだ犯人の信用を失墜させていた。
という事で、セッション後半の座長には悪意が無い(は事情を知らない)かと私は一旦思ったが、しかし、私の直前の発表の質疑応答時間が始まると同時に私がカメラを取り出して構えるのが手際よく時間的に間に合う様子をセッション後半の座長が不都合だから心配だと感じているらしく私には感じられた。

セッション前半開始前に最初、私は中央最前列左半に、セッション前半の座長は中央最前列右半に座っていた。
中央最前列には4組の机・椅子が横に並んでいたが、実用上は、そのうちの左半2組を1人が、右半2組を別の1人が使う、という状況だった。
学会大会の他の回の他の会場でも、いつもそうです。
私とセッション後半の座長のカメラについての対話の直後、私の右隣に座っていたセッション前半の座長が「ここは次の発表者が待機する場所として使われるべきだから」と言いながら右方へ移動した。
それを見た私は「じゃあ、ここもですねえ」「“次の発表者の待機スペースとして最前列を空けておけ”という座長さんと“別に構いませんよ”という座長さんが居てセッションごとに違うんですよ」と言いながら私は後方へ移動した。
言い間違えた、過去の私の経験では、座長は「別に構いませんよ」ではなく「全然そんな事はありません」と言ったのだった。
その後、最前列左半で次の発表者が待機しているのも多く見たので、最前列右半からセッション前半の座長が移動した事も、先行する攻撃技2つが両方失敗した埋め合わせとしての3つ目の攻撃技である疑いが強い、と私は思った。

セッション前半では、私がまだつまみ出されずそこに座っている事を、驚異かつ耐え難い事だと、セッション前半の座長が感じて泣きそうな顔に成っている様にも見える、と思った。
私は、ざまあみろ、と思った。

16pG214ではセッション前半(休憩より前の部分)の座長は「セッション開始前に自分のパソコンを液晶プロジェクタに接続して異常が無いか確認して下さい。そのぐらいはマナーですよね」と言ったし、セッション後半(休憩より後の部分)の座長は休憩中に「後半の発表者さん、もしここに居らっしゃれば、接続を確認して下さい」と言った。
私は、その場に居たが接続を確認しなかった。
軍隊式の捨て身の思考回路で次の様に考えたからだ。
接続を確認した場合、不調を偽装する工作をされて、それを口実に不調の原因を探して見付けて正常化するふりをする、というプロセスに入り、その過程で私のパソコンのバッテリーが消耗させられ、私の発表開始前か私の発表中に電池残量不足で私の発表が失敗する、という可能性が有る。
また、確認で不調が発見されても私の発表開始までにその不調を直す事は不可能だ。
したがって、事前の確認にはデメリットのみが存在しメリットが存在しない。
しかし、後に成って考えてみると、もし相手に悪意が有って不調を偽装する工作をされた場合、相手の狙いは、私のパソコンの電池残量を減らす事ではなく、私のパソコンをHDMIに接続する事であった可能性の方が高い、と思う様に成った。
発表前に座長からHDMIを選択する意志が有るか訊ねられたのを思い出したからだ。
HDMIは双方向なので、これに接続するとハッキングされる危険が有る。
過去の大会ではHDMIという選択肢は無くVGAのみであり、今回私が使ったのもVGAだった。
前回の大会(日本物理学会2018年秋季大会)で、私の近くに座っていた人が、将来的には無線接続が考えられる、と発言したのを聞いて、とんでもない事だと思った私は、無線接続だと盗聴や遠隔操作の被害を受ける危険が有るので、旧来の有線接続も選択肢として残して欲しい、と発言しておいた。
そこで有線接続も選択肢として残して欲しい理由は、座長に尋ねられて答えた事だった。
その座長は何故そんなに理由が知りたかったのかも不審だ。
その私の発言のせいで犯人は有線接続の範囲内で集団ストーカー工作を行なわざるを得なく成ったのではないか。
そう考えると、そもそも、OHPが全廃されて、発表は液晶プロジェクターのみ、という風に制度が変更された事から既に集団ストーカー工作は始まっていた可能性が有る。
集団ストーカー工作というものは、そのぐらい長期計画的に(かつ広範囲に渡って)行なわれる物だからだ。
交通事故を起こす為に道路の設計を歪める、道路の設計を歪める口実を作る為にビルを建てる、そのビルを建てる為に会社を作る、という風にです。

2006年当時は気付かなかったが、ハワイでも、まず私が会場に行くのに避けて通れないエスカレーター(上り)が止められ、さらに、会場で所属を尋ねられた上で個人での出場だと答えるとそれでは出場権が存在しないのではないか訊ねに行く人が居たが、あれもコレだった。
私は稼働中の下りのエスカレーターを駆け上がったんですよ、こんなの有りますか?
さらにエスカレーターを駆け上がり終えた瞬間に、私の前方に座っている女の人が私の参加する会場の方角とは反対の方角を指差して「・・・会場はあっちです」という意味の英語を発声したので、私は「I am present only at Outreach Session.」と言い返して左折した。
指差された方角に行くなら右折する必要があった。
また空港で入国手続きの際に空港職員が私に「書類の記入を代筆してあげましょうか」と言ったが私は、どう答えてよいか分からずまたその人は職員ではないかもしれないと考えたので、無言で自分で書いた。
周囲では大勢の人が代筆してもらっている様だった。
記入はチェックのみで字の記入は無かった様な気がするが、私の指紋や手書きの痕跡を無くして私が入国した物証の発生を防ぎ、その時期に宇田雄一がハワイで米国に入国したという事実は無い事にする事が狙われた恐れが有る、と思っている。
代筆してもらわず自分で書いたせいか、空港から島内に出るのが遅くなってしまい私が出る時には周囲に他の旅行客は全く居なく成っており、さらに空港職員の態度が私を責め苛む態度だった。
当時は「遅くなったせいで」と思っただけだが、今なら周囲の旅行客全員が集団ストーカー犯だったからではないか、とも思う。
つまり、私への集団ストーカー工作の発信源は、アメリカ国内に存在する疑いが有るし、少なくともアメリカ人も集団ストーカーの支配下に置かれている。
帰路の飛行機内でトイレから出ると防火シャッターが途中まで閉まっていた。
それが完全に閉まれば私は操縦室の外脇に閉じ込められる所だった。
これもだ。
集団ストーカー犯は、集団ストーカーによって私から盗み取っている利権を私が取り返すのを防いでいるわけだから、その様な利権の大きさは集団ストーカーにかかる費用よりずっと大きいはずです。
一方、私への集団ストーカー工作の規模の大きさから考えて、私への集団ストーカーには巨額の費用が掛かる事が分かります。
したがって本来私に帰せられるべき盗み取られている利権は計り知れない天文学的な金額に相当する、と結論できます。
そこへ持って来て「お前は稼いでない」という貶め方をするのだから始末に終えない、というわけだ。

こんな所で集団ストーカー一般論をぶつのも何ですが、一般に不正に利益を得る事は難しいが不正に損害を与える事は易しい、この原理を使って不正に利益を得るタイプの犯罪が集団ストーカーです、だから集団ストーカーも最終目標は不正に利益を得る事なんです。

私が統計力学セッションで発表するのは今回の16pG214-13が初めてだが、政治の世界が統計国会の話題で持ちきりに成っているのは、この為だと私は思っている。
セッション後半の座長のルックスがどことなく安倍晋三首相に似ていたので、16pG214後半は統計国会を連想させる物だった。
国会みたいに座長が挙手者を「くん」付けで指名したし。
物理学会で「くん」付けを聞くのは今回が初めてだった。
セッション前半の座長が「講演番号のカードをめくるのは本当は講演者がやる事に成っているがそれは無理だから私がやります」と言うのを聞いて、ルールでは講演者がめくる事に成っているのを初めて知った。
素粒子論の会場では座長もめくらず放置してセッションの最後まで講演番号のカードが01のままに成っていた回も有ったと記憶している。
悪意の存在を疑う事も必要だが、物理教育会場ではフォーマルな服装の人が多いが素粒子論会場ではカジュアルな服装の人が多い等、領域によって文化が異なるのも事実だ。
素粒子論領域の文化はコンテンツ至上主義と言えるのではないか、と思ったりしている。



14aK103-1「ユニバーサルデザインの物理教育」について。
発表者が「実験の失敗」という概念を使った事に対して、それを批判するコメントが私以外の人から出た。
私なりに言えば、科学においては事実が神である、という文脈においての事だと思う。
実験で「そう成るはずが無い」と思われる結果が出ても、そういう結果が出た以上は、それが事実であって、そう成るはずが無いからそういう結果は出なかったんだという考え方は間違っている、その意味で「実験が失敗した」という事態は生じ得ないのだ、という意味だと思う。
それについて私は、発表者にだったか、それ以外の人にだったか、休憩時間に、次の様なコメントをした。
「実験の失敗」とか「実験が失敗した」という概念は間違っていない。
ただし、授業において、教科書に書かれている通りの結果が出るまで実験しよう、とか、実験結果が教科書に書かれている事と食い違えばその事を理由にクジでも外れたかの様に実験が失敗していると判定する事は、逆教育に成ってしまうのでいけない。
それでは、実験が失敗しているとは、教科書に書かれている事と違う結果が出てしまう事である、という間違ったメッセージが生徒に伝わってしまい、逆教育に成ってしまうからだ。
その時の私の話し相手は、ここまでの私の意見に賛成した。
しかし、教科書を頼りに実験が成功したか失敗したかを判断する事は、実際には避けられない。
実験の失敗の定義は教科書と食い違う事ではない、という点を生徒に誤解させてはいけないが、しかし実際には生徒の実験が成功しているのか失敗しているのかを先生は、実験結果が教科書と食い違っているか否かで判断せざるを得ない。
そこで、生徒の実験結果が教科書と食い違っていれば、実験のどこかで間違いを犯さなかったか再検査してみよう、と言って指導するのが良かろう。
生徒には「もし君の実験にどこも間違いが無ければ教科書は間違っている事に成るが、本当にそうだろうか、実験のどこかで間違えなかっただろうか」という風に問い掛けると良い。
そうすれば逆教育に成らずに済む。
実験にどこも間違いが無ければ教科書の方が間違ってるんだ、という論理が織り込まれているからだ。
これを私が言うと、私の話し相手は「私の考えは反対です」と述べたので、私は「およよ」と思ったが、続きを聞いてみると、本当は教科書よりも実験結果の方が偉いんだ、という私の意見の繰り返しだったので、私は危ないので念のために「賛成です」とコメントしておいた。
同一セッション内のどこかでの並木先生の「摩擦や空気抵抗のせいで教科書の内容を実験で再現できない場合が多い」という発言に言及して、教科書には「こういう条件が成り立てばこういう風に成る」と書かれているが「こういう条件が成り立てば」の条件の部分がキチッと成り立ってますか、成り立ってませんね、だから「こう成ればこう成る」の「こう成る」の部分が(実験結果に)出て無くても構いません(教科書が否定された事には成りません)ね、という説明を生徒にすれば良い、と私は言いました。
実験で間違いを犯さなかったか(実験が失敗したか)を点検するとは、次の様な事だ。
Aである事を確認し、AならばBだと判断し、これらを理由にBだと結論した、というのが実験だとすると、Aである事を確認したはずだが本当にAだったのか、とか、AならばBだという演繹過程に計算ミスの様なミスは含まれて居ないか、といった事を確める事です。
教科書に not B だと書かれていたならば、この様な点検を生徒にさせるべきだが、しかし、もっと厳しい事を言うと、仮説に合う実験結果が出れば再点検は行なわず仮説に合わない実験結果が出た場合のみ再点検を行なう、という態度も科学的な態度としては間違っている。
しかし、まあ、その様な道理という物は、発表の主旨であった「実験によって教科書の内容をより良く理解させる」といった事よりは一段上の哲学なので、後で教えれば良い、教科書に書かれている学理を教えるという一段下のレベルでは、逆教育をしない事に気を付けるだけで十分だ、というのが私の意見だ。



14aK103-4「理工系大学初年次学生の熱力学分野における誤概念の変容」について。
発表者は「誤概念という言葉より生活概念という言葉の方が適当だ」と言っていた。
一理有る。
私は質問もコメントも出来なかった。
私は次の事を言いたかった。
熱力学に限らずニュートン力学でもそうですが、生活概念(誤概念)って、まるでアリストテレスですね。
その事と並木先生の「歴史から学べ」というコメントを考え合わせて、アリストテレスの誤概念が歴史的にはどの様な経緯を経て何をキッカケに正されて行ったのか、それを調べそれに基づけば生活概念という物を改める教育方法を編み出せるだろう、と思いました。
ガリレオ・ガリレイによるピサの斜塔での自由落下実験によってガツンと一発で変えられたのではなく、もっと細かく見てジワリ・ジワリとどの様な細かな事の積み重ねでアリストテレスの考えが改められて行ったのかというのを調べれば出て来るかもしれないので、それをすれば良い。
並木先生のgravityという単語を例に取っての説明を受けて私は「並木先生の意見に賛成である上さらに、既に物理学外で使われている単語に後から物理学が厳密な定義を与えた場合は特にそうだ」と言おうと思っていたが、コメント中に忘れてしまって言えなかった。
並木先生の説明の主旨は多分、物理学で用いられているのと綴りも読みも同じである単語が物理学外でも用いられている事が有るが、その単語の物理学外での意味を誤概念だと認識するのは間違っている、という意味の事だった。
この意見には私は賛成です。
ただし、元は物理学の専門用語だった単語が物理学外にまで広まって使われるように成っている物については、やはり、物理学の定義を本来とすべきだろう。
遠心力は好例だ。



14aK103-7「ユーイング法によるヤング率の測定に関するビデオ教材の開発と活用」について。
質疑応答時間に14aK103-10の発表者が質の良い注意力(エッヂが披験材にめり込む可能性の指摘など)を発揮していた。
それを見て私は14aK103-10の発表者に一目置く様に成った。
エッヂが披験体にめり込む可能性には私は気付かなかった。
塑性については私も気付いた。

14aK103-10のオチはまるでNHKのピタゴラスイッチの様だった。



14aK103-9「質量-運動量図を用いた一次元衝突の解析」について。
これは、横軸を運動量、縦軸を質量としてベクトルを描く内容でした。(縦と横が逆だったかも)
発表者は特殊相対性理論からインスピレイションを与えられた結果だと言っていた。
また、発表者は「運動量という概念の方が速度という概念よりも分かり易いのではないか」とも言った。
質疑応答時間に私は以下の意味の事を言った。
面白い。
初めて見ました。
ただし、これは、跳ね返り係数の任意性の分だけ衝突後のベクトルに不定性が生じる(これは私の誤解であるらしい事が発表者による返答で判明した)ので受験テクニックとしては使えないし、一次元衝突の問題に対する生徒の理解を促進する作用も無いので、教育ではなく研究に分類される、と思う。
並木先生による先行コメントを念頭に置きながら、横軸の次元と縦軸の次元が異なる事(並木先生はこれを高校生には高度過ぎるのではないかとコメント)は、横軸を空間とし縦軸を時間として時空の図(鉄道のダイヤグラムを考えればよい)を書くのがO.K.であるのと同様だから、O.K.だと思う。
速度の方が運動量よりも分かり易いのは明白だし速度の方が運動量よりも基礎的であると私は考えている事もコメントしたかったが、言いそびれた。
「それは教育ではなく研究だ」と私はコメントしたが、後で考えてみると、生徒にインスピレイションを与える作用がある事と、研究の発表会場には一次元衝突のセッションが無いかもしれない事に思い至り、教育の発表会場で良かったのかもしれない、と思う様に成った。



14aK103のいずれかの発表で、力を受けなければ物体は等速直線運動するという法則が遠心力等の慣性力による加速運動と如何に調和するかを示すために、回転する滑らかな直径方向のレール上に拘束されたおもり(発表の主旨からしてレールがおもりに拘束されていると見る方が正しい)の運動の動画を見せられた。
これはレールの回転運動で生徒の目をくらませる事によって等速直線運動を生徒に再発見させる、といった趣旨の教材で、回転する円板上で慣性運動する物体を題材とする周知の教材の亜種だと見なせる。
その中に、おもりが最初中心に極めて近い位置に在り時間と共に中心から離れて行く状況を写した動画が有った。
それを見た私は、それではおもりは初速度の向きがレールに平行だから等速直線運動できない、と判断したので、質疑応答時間に、その動画を指して「あれはまずいと思います、等速直線運動ではないのであれは具体例から外されるべきだ」と主張した。
それに対して発表者は、都合の悪い動画だけを外す事はしない、という意味の返答をした。
私は、それもそうだな、良い人だ、実験を教科書に合わせるなと自分で言ったばかりだった、と思った。
その直ぐ後に私は、当該動画でもおもりと中心の距離は非常に小さいがゼロでないから、おもりの初速度の向きはレールに平行ではなく、おもりは等速直線運動できる事、に気付き「すみません私の勘違いでした」と言って直前の私のコメントを取り消した。
発表者は私のコメント中に当該動画を再掲示しなかったが、私の目にはそれが証拠隠しに見えた。
多分それは14aK103-11「非物理系の大学初年次物理学教育における系統的演示実験・講義の展開 III」での事だったと思う。
後で考えてみると、しかし当該動画では、おもりの速さが時間と共に増加していたと思うので、やはりおもりの運動は等速直線運動ではなく、おもりがレールから力を受けてしまっているのだろう、と思う様に成った。
力が働いていないのに等速直線運動しない例という物が有って、それを都合が悪いから隠すのならいけないが、おもりが等速直線運動していない事と、それはおもりがレールから力を受けてしまっているせいである事を、言い添えておくなら、等速直線運動していない例を紹介する事も是だろう。



14aK103ではセッション終了直後に上記報告記事を書く為のヴォイスメモをしたが、その際に直ぐ傍で立ち話の形式を使って話し声でヴォイスメモを激しく妨害された。
その妨害の効果で私は短時間記憶の一部を再生できなく成り、その部分は後で別の部屋で思い出しながらヴォイスメモし直したが、思い出すのは困難だった。
上記の報告記事を見て下さい、これをメモされては困る、困るから妨害するって、一体どんな人達なんだ?
物理教育の会場つまり基本的には学校の先生の集まりなんだがなあ。※
今回は会場に、カメラ撮影禁止を意味する貼紙は見られたが、音声録音禁止を意味する貼紙は無いみたいだった。

14aK103での並木先生の様子は、アカハラ感が程よく抜けた、良い意味で良くなめされた革の様な味を出しておられた。
悪く言うと以前より元気が無い、という事なので、あまりこの先生を厳しく批判し過ぎない様に気を付けたいが、でも、まあ、あのぐらいが丁度良いのかもしれない。※

念の為にメモしておくと、※部分2箇所を書いた翌日2019年03月29日にテレビで「ひここもり対策の必要性の認識が高まっている」というニュースを見て恐怖と義憤を感じた。
2019年03月29日の前日には私は、28日@2019年03月@日記を書いてもいるし、陰謀論者の主張の中でも公的に事実として認定されている事は年表にして大勢でウェブ上に張り出しておくべきだ、と言った。
私が年表にしろ、というのは、誰が何時死んだ、死因が不明だったり殺人だった、死ぬ直前にその人が陰謀だと考える事の暴露本を出版したり暴露番組を放送したとか、しようとした、そういう事実の年表だ。
ひきこもりに病気だという評価をこじつけたりする事によって、犯罪被害者をシェルターから引きずり出そうとする動きについての私の批判は、別のページに改めて書きたいが、この動きは端的に言って犯人による別件処理手法を使った障害除去以外の何者でもなく、ひきこもりの増加はそれによってしか防げないレベルまで犯罪が進行している現れだ。
義務教育を受ける年齢の子供が学校に行かずひきこもっている、というならそれは問題かもしれないが、40才を超えた大人に「ひきこもり」という概念を使う事は人権の否定に等しい。
みなさん、ここで私が関連付けた人々かもしれない人々が如何に凶悪であるか、陰謀論者の言ってる事が如何に本当かもしれないかを、この事例から知って下さい。



14pK212-4「QEDにおける赤外発散のない漸近状態についての考察」について。
QEDの古い教科書に LSZ formulation として書かれている事の欠点を解消した、という発表だった。
この発表では LSZ formulation は included formalism と呼ばれていた。
included formalism の欠点を解消した dressed formalism というものが先行研究によって既に存在しているが、この dressed formalism の未発見だった長所をひとつ発見した、という内容の発表だったか、既存の dressed formalism を改良した、という内容の発表だった、と思う。
この発表の質疑応答時間に以下の対話が生じた。

宇田: included formalism は散乱断面積計算装置としては完全無欠だが、
発表者: 散乱断面積決定装置としても欠点が有るかもしれません。
宇田: 仮に欠点が無かったとしても included formalism は物理理論としては失格(この言葉に反応して会場に笑いが巻き起こった)ですか?
発表者: (明確な返答をしなかった)

質疑応答時間には私以外の聴講者に発表者が「交流の有る研究者達は included formalism ではそもそも散乱が起こらない、といった極端な事を言っている」と言うのが聞こえた。
休憩時間に、この発表の発表者に私は、追加コメントとして次の事を言った。

「私はQEDを学習した際に、LSZ Reduction の部分と、分散関係式(dispersion relation)の部分と、赤外発散(infrared catastrophe)が最後までキャンセルされずに残るのか否か、以上3点が分からなかったが、あなたの発表を聞いて included formalism では赤外発散はキャンセルされずに最後まで残る事が分かった。これは収穫だった」

「大先生らしき人(内田ゆうやさんにニュアンスが似ていた)がチラッと言った様に、detector が included formalism の漸近状態を detect する様に設計されているのか、dressed formalism の漸近状態を detect する様に設計されているのか、どちらなのか、という問題だと思う」

「included formalism ではそもそも散乱が起こらない、というのは、公理主義者が各点毎に定義された場の演算子は存在しないと言うのと同じタイプの考えではないか、そうだとすると、それは厳密主義だから、問題を解消する厳密化が存在すればその批判は妥当しない」とも言おうと思っていたが、言いそびれた。

included formalism では赤外発散が最後までキャンセルされずに残っても散乱断面積には赤外発散が反映されない、という事も、この発表を聞くまでは知らなかった。
この発表を聞いて得した。
私の文法物理学では厳密主義を採用せず自らの立場を精密主義と呼んでいる。
内田ゆうやさんにニュアンスが似たこの大先生らしき人を私は日本物理学会大会で過去に多数回見た事が有る。



14pK212-6「深層学習の物理についての考察」について。
プロジェクターで「ニューラルネットワークの多次元化」という文字が掲示され、これがタイトルである様だった。
質疑応答時間に私は「私は多次元化という部分しか分からないのですが、現行のAIのハードウェアでその多次元化は実現可能ですか?」と質問した。
すると発表者は「我々の研究における多次元化を実行してもなお、現行のAIより低次元にしか成りません、むしろ現行のAIの方が我々の研究よりも多次元です」と答えた。
私が分かって無すぎた様だ。
申し訳ない事をした。



14pK212-7「双曲空間上での機械学習」について。
0から9までの数字を識別できるまでにAIをトレーニングする話だった。
質疑応答時間に私は「生徒が人間なら手本は1枚で済むのに生徒がAIなら手本(発表者はデータセットと呼んでいた)がそんなに沢山必要なのは何故ですか?」と質問した。
これに発表者は答える事が出来なかった。
その後わたしは自分で考えてみて、その結果を休憩時間に発表者に伝えた。
その内容は以下。
人間は良い意味で早合点する、良い意味での先入観を持っているが、人工知能にはそれが無い。
だから、人工知能に良い意味での先入観を与え、良い意味での早合点をさせる様にすると、学習が速く成るのではないか。
具体的な字の識別を学習させる前に、「これは字です」「これは字ではありません」という風に字であるか否かの識別を学習させると、具体的な字の識別の学習が速く成るのではないか。
発表者は「別の事を学習をさせた後で0から9の識字学習をさせると学習速度が上がるという事なら有ります」と言っていた。
機会は、人間がする判断の一々について、そうとは限らないじゃないかという事を極めて疑り深く考えるから、学習が遅いのではないか。



14pK212-14「Gravitating compact Q-balls, -shells and the black hole solutions in the CPN nonlinear sigma model」について。
発表者は東京理科大学に所属する人だった。
この発表の質疑応答時間に私は以下の事を言った。
Q-ball の Q は Quantum の Q ではなくて Charge なんですね。
そして、古典荷電スカラー場が自重によって閉じ込められる、という話ですね。
そうだとすると、この発表に興味を持つ人は多いと思います。
EMANの物理学という一般向けのウェブサイトが有ります。
その著者は「電磁場は自重によって閉じ込められる」という仮説を持っておられて、技術的にはそれを立証するには至っていないだろうと思います。
さらにウェブ上には onlyspacetime.com というウェブサイトも有って、この人に至っては、どうも、重力場以外の場は無しで一切合財を済ませてしまおうと目論んでいるみたいです、それが技術的に出来ているかどうかは知りませんが。
発表者は Q-Ball を「ボーズ場の星」という言葉で説明していたので、それなら Q-ball ではなく B-Ball という名前の方が良い、と私は思った。



14pK212-16「Creation of D9-brane--anti-D9-brane Pairs in Time Dependent Background」について。
この発表の最後の部分に「information loss is resolved」と書かれていたので私は「information loss problem」というのはエントロピー増大の法則の破れか何かですか?と質問した。
発表者は、確か重力で星が潰れる過程についてだったと思うが、量子状態はユニタリー発展するはずだがどの様にユニタリー発展するのか、という問題が information loss problem だ、と教えてくれた。
その「どの様に」の部分が、この発表で少なくとも部分的には解明されているのだそうだ。
有り難い事だ。
補足説明します。
量子状態がユニタリー発展しないとなぜ情報喪失(information loss)なのか?
量子状態がユニタリー発展する(時間発展演算子がユニタリーである)事は、状態ベクトルの長さが経時変化しない事と同義です。
時間が経っても状態ベクトルの長さが1のまま変化しない事は、全ての測定結果の出る確率の和が1である事と同義です。
だから状態ベクトルの長さが時間と共に目減りする事は、測定結果の確立の和が時間と共に減って行く事を意味します。
この事態は情報喪失という呼称に馴染みます。
喪失されるのは情報か?とは思うけど。



14pK212-17「可換-非可換変換の Lorentz-like 表現とそれを用いた非可換調和振動子」について。
初学者が習う量子力学はq同士は可換、p同士も可換、qとpのみが非可換な場合であり、q同士が非可換な場合も既に研究されているが、その先行研究でもp同士は可換だとされているので、q同士も非可換、p同士も非可換、qとpも非可換という一般の場合を調べてみました、という発表だった。
技術的には難しい優れた事をやってのけているらしい、と思いました。
質疑応答時間に私は以下の事を言った。
「場の量子論」版も考えたい、との事ですが、量子力学のレベルで対応する物理現象は有りますか?
それとも「場の量子論」版を作る準備としての意味しか持たない内容の発表ですか?
対応する物理現象が無ければ、後で何の役に立つか分からないので、数学の定理として大切に温存しておく(論文投稿しないという意味ではない)のが良い、と思います。
「場の量子論」版は直ぐには作れそうにない、との事ですが、どんな物を作れば良いか漠然となら分かっているんですか?
代数が交換関係ではなく反交換関係で与えられる場合を考えるつもりは有りますか?
場の量子論では反交換関係も登場するので、交換関係で定義される代数だけで十分に一般的だとは言えないですよね。
発表者による返答の概略は以下です。
反交換関係には思い至らなかった。
そもそもq同士は非可換だがp同士は可換な場合を考える先行研究は、弦の理論に由来するのであって、弦の理論の研究中に場のスター積という物が案出され、そこから非可換時空の研究が始まり一時期流行したが今では流行は下火に成っているかもしれない。
したがって、14pK212-17の内容は、弦の理論に由来しないので存在意義が小さいか、または、弦の理論の研究に還元させるべきものだ、と私は思った。
もし、p同士が可換なら弦の理論と関係付けられるがp同士が非可換なら弦の理論と関係付ける事が出来ないならば、14pK212-17の内容は芸術作品の域に留まる、と言えるだろう。
発表者がしてくれたスター積の説明を文字起こしすると多分φ(x)*φ(x)だと思う。
「後で何の役に立つか分からないので数学の定理として大切に温存しておくのが良い」というコメントを言う時に私は、それを否定的な評価だと感じながら言った。
その背景には以下の事情が有る。
量子力学の原理を変更するという点で、私の文法物理学よびそれにおける具体的な新しい量子文法とキャラがかぶるので、違いを表現しておきたかった。
交換関係という文法の範囲内で交換関係の詳細を変更する事は文法の更新に満たない。
また、私の新しい量子文法は量子力学のレベルでも対応する物理現象が存在する事を期待しながら設定された物です。
反交換関係を思い出せば分かる様に、交換関係だけ考えても一般の代数を考えた事には成らない、一般の代数への拡張でなければ、特殊な拡張では、それが物理的である期待なしでは意義が小さい、と思った。(そうでもないと後で思う様に成ったが)
私は量子力学または場の量子論の初学者だった頃に既に非可換時空というアイデアを自分で思い付いた。
それは発想力がそんなにずば抜けてなくても出来る事だ、と思う。
私の具体的な新しい量子文法(時間方向にエンタングルした量子歴史を表す)を案出するにはずば抜けた発想力が必要です。
非可換時空というアイデアを自分で思い付いたが私は、場の変数つまりφ(x)のx同士が非可換に成るのでないと非可換時空を考えたうちに入らない、と考えたので、それではハードルが高過ぎて全く先に進めないで居た。
つまり、量子力学の交換関係が示す非可換性は時空(場の自由度の番号)のではなく自由度のに過ぎない、と私は考えるのだ。
日本物理学会誌などに非可換時空の記事が掲載されるたびに目を通したが、読解できなかった。
これに対して発表者の返答は、この問題に対する私の理解を促進する非常に大きなヒントを与えてくれた。



15aG213-3「量子カオス系のマルチフラクタリティ」について。
この発表は 15aG213-1, 15aG213-2 と同じ分野に属するらしかった。
15aG213-1, 15aG213-2 の内容は私には難し過ぎて分からなかったが、15aG213-3 に至って初めて私にも分かる力学系が対象と成っていたので、15aG213-1, 15aG213-2 の分までまとめて質問するつもりで、15aG213-3 の質疑応答時間に私は「カオスの事を知らない人にも分かる様に結論と結論のどこが新しいのかを説明してもらえませんか」と質問した。
返答を聴いても理解できなかったので、発表者が返答に使った3次元グラフが何を表しているのか理解する為に、そのグラフの各軸の意味を尋ねた。
説明を聴いた上で「横軸はx軸と考えても良いですか?」と訊ね「はい良いです」という返答を得た。
「水平な縦軸は(px, py)の2次元を抽象的に1次元にまとめて書いた物ですか?」と訊ね「いいえ違います」という返答を得た。
さらに説明を聴いた上で「では水平な縦軸は apx + bpy みたいな物ですか」と訊ね「まあ大体そんな物です」というためらいがちな返答を得た。
鉛直軸については、粒子がx軸の正の部分を横切る事を+1と評価し、粒子がx軸の負の部分を横切る事を-1と評価する、という評価基準に基づいて説明されるべき事だ、という所まで聴いた時点で時間切れに成ってしまって続きが聴けなかった。
結果として、どういう結論が出たのか分からなかった。
私の質問への返答の冒頭でグラフを見せられた時点で「これはグラフである以上何らかの関数を表しているはずですが、その関数の種類の名前という物が有ればそれを教えて下さい、さらに関数の固有名詞が有ればそれを教えて下さい」とたずねれば時間内に知りたい事を知る事が出来たかもしれない、と思った。



15aG213-5「修正された Bateman ラグランジアンに基づく減衰調和振動子の量子化」について。
有名な問題に対して、先行研究は変数を2つ追加している、当研究ではそれに加えてさらに2つ変数を追加すると同時にラグランジュの未定乗数法を用いて拘束条件を課した、という内容だった。
この発表の人気が高かったので、この発表の質疑応答時間には挙手が多発して私は発言できなかった。
この発表のみ素粒子論領域と合同である事がプログラム冊子に書かれているが、その事と関係があるのだろう。
もし発言できたなら私は次の事を言いたかった。
例えば1次元の量子力学の問題を解く為に3次元の量子力学でx軸上に束縛する拘束条件を入れた問題を解いても1次元の量子力学の問題を直接解いたのと結果が同じに成る保証は有るんですか?
この発表の研究での変数の付け足しは行なわなくてもこの発表の研究で解かれている問題と同等の問題を書く事は、書くだけなら(技術的に難し過ぎて解けなくても)出来るんですか?
それとも変数を付け足さないと問題自体が書けないんですか?



15aG213-6「ベクトルポテンシャルの古典力学的意味とベクトルポテンシャルを用いない量子力学」について。
発表者は谷村省吾さん。
発表タイトルに反して量子力学には触れません、発表時間制限がそれを許さないからです、と谷村さんは言った。
その通りだった。
この発表を見てベクトルポテンシャルの古典力学的意味を知る事が出来て良かった。
質疑応答時間に私は以下の事を言った。
技術的に難しそうで嫌だなあ(ここで会場に笑いが生じたがそれはフライング)と思うので自分でやるつもりは無く、この部分は谷村先生の腕の見せ所だと思いますが、量子力学の部分(発表で割愛された部分)というのは、ハイゼンベルグ描像で書くと運動方程式が古典力学のと相似な形に成るので書けるという事ですよね?
電磁場中の荷電粒子の古典運動方程式は電場と磁場で(ベクトルポテンシャルでではなく)書けますから、それと相似なハイゼンベルグ描像での量子力学の運動方程式も電場と磁場で書けるだろうなあ、という見通しが立つので、そういう事ですよね?
私の頭では隅から隅まで即座に確認できたわけではないけれど、発表内容は正しいと思います。
この発表内容は、教科書の本文に追記すべき事なのか、それとも練習問題みたいな所に追記すべき事なのか、どちらだとお考えですか?
ポテンシャル、ベクトルポテンシャルは物理的実在なのか mathematical device なのか、という発表中に触れられた問題については、もし荷電物質が作り出す遅延電磁場だけを電磁場だと考えるなら電磁場だって荷電物質と荷電物質が及ぼし合う力を表現する mathematical device に過ぎない、と考える事だって出来ます。
そういう考え方を推し進めると切りが無いですよね。
それを私は古典物理学という書籍に書いておきました。
谷村さん自身が登壇中に、この発表の内容は既に誰かの著書に書かれている、と言いました。
私は、だったら何故谷村さんが発表するのかなあ、といぶかしく思い、研究会場ではなく教育会場で発表すべきなのでは、と思ったが、量子力学の部分は谷村さんが初なのかもしれない。
電磁場も mathematical device だと考える種類の傾向をとことん突き詰めようという思想はエルンスト・マッハを始祖とする。
(2019年03月29日15時頃、この辺りを執筆していると、何日も止んでいた東からの騒音が激しく始まった。犯人はナンバー370赤アーム白トラックで来て削岩機を行使している様だ)
エルンスト・マッハの考え方を徹底的に推し進めるとどう成るかを書いたのが私の書籍「古典物理学」です。
各概念によって表されるものが物理的実在なのか mathematical device なのかは、実験および論理によって決める事が出来ない、その意味では命題ではない、しかし、実際の科学の歴史というものを見ると、淘汰されなかった概念が表すのは mathematical devive よりは物理的実在だと考えられるに至った、という傾向がハッキリと存在し、それはマッハの時代で言うと原子という概念がそうだし、電磁場のポテンシャル、ベクトルポテンシャルの地位が量子力学によって mathematical device から物理的実在に昇格させられた事も、その一例だ、というのが私の見解であり、マッハの思想よりもそういうマッハの思想とは逆向きの傾向の方を私は支持する。
「ハイゼンベルグ描像ですか」という私の質問に対しての谷村さんの返答は「はい」でした。
「教科書への追記は本文ですか練習問題ですか」という私の質問に対しての谷村さんの返答は「本文」でした。
私の物理学正典に加筆の必要が新規に生じた、という事かもしれないので、覚えておかなくては。
私の質問に対して谷村さんは答え渋っている感じで、質問を何度も繰り返さないと答えなかったし、返答の声は小さく、顔も出来るだけ私の方に向けない様に努めていました。
ハイゼンベルグ描像という言葉があまりに初歩的過ぎて谷村さんの記憶から消えていたせいかもしれませんが、集団ストーカー由来の脅迫下に谷村さんが置かれているからでしょう。
私が自著「古典物理学」に言及すると直ぐに座長が「質問に限らせて頂きます」と言って私の発言を封じた。
過去の非常に多数回の参加経験から判断して、質疑応答時間の聴講者の発言は質問のみではなく質問およびコメントです。
質疑応答時間に入ると同時に座長が発する言葉は「何か質問コメント等ありましたら」であるのが普通です。
発表へのコメントに相当する事がどの書籍に書かれているかを言う事がコメントとして妥当である事は、14pK212-14の質疑応答時間での私の発言が遮られなかった事を見ても分かるし、過去に参加した学会大会で聴講者が質疑応答時間に関連する自分の研究に言及するのを見た時にも座長は遮らなかったし私も何とも思いませんでした。
つまり 15aG213-6 の座長は、その書籍の著者が私だから私の発言を遮った事に成ります。
「著者が私だから」というのは理由に成らないでしょう。
何事においても全部これなんですよ、全く腹が立つ。



15aG213-8「量子から古典への過渡ダイナミクス - スクイーズド状態を経由したコヒーレント状態の発展から -」について。
私は質疑応答時間に質問したが、邪魔に成るといけないので端的な質問をするに留めた。
私の質問内容は以下。
いわゆる観測問題における波束の収縮は生じるのか否かといった様な問題を解決したという発表なんですか?
あるいは、それとは全然関係の無い発表なんですか?
それに対する発表者の返答内容は以下。
その波束の収縮の問題を解決する準備に相当する発表です。
過去には観測問題に直接言及する発表をした事も有ります。
セッション終了後、この発表の発表者が聴講者のひとりと対話している声が聞こえ、その声に誘われて歩み寄り、先客との対話が終わるのを待ってから話しかけた。
その対話のおおよその内容は以下。

宇田:スクイーズド状態というのは古典性が強いけれど量子状態なんですか?
発表者:スクイーズド状態は量子状態です、古典性が強いどころかとても量子状態です。
宇田:(古典状態と量子状態が混在したという発表者の言葉が気に成って)古典状態も煎じ詰めれば量子状態なんですか?
発表者:(ハッキリした返答をしなかった)
宇田:信仰はシュレディンガー方程式1神教ですか?(この質問の仕方の工夫は私の自慢)
発表者:はい、そうです。(これで、やっと、一歩前に進めた)
宇田:波束の収縮はシュレディンガー方程式に従った量子状態の時間発展なんですか?
発表者:そうだと思います。
宇田:その考えは、シュレディンガー方程式は決定論的なのに波束の収縮は非決定論的である事、と矛盾しませんか?
発表者: コヒーレント状態というのは不安定な状態です、つまり、山型ポテンシャルの頂上に居るかの様な不安定性を持っています。そこに古典ノイズが介入すると、
宇田:古典ノイズも煎じ詰めれば量子力学枠内での対象外自由度の影響ですか?
発表者:(明確な返答の有無や返答内容を思い出せない)
宇田:(古典ノイズの影響をシュレディンガー方程式のポテンシャル部分で現象論的に表現する事が出来るのかを私は多分質問したんだと思う)
発表者:ポテンシャル部分が(古典ノイズを表現しているという形で)特殊なシュレディンガー方程式はランジュバン方程式に書き換えられます。
宇田:ランジュバン方程式は非決定論的なんですか?
発表者:はい、そうです。
宇田:(大変衝撃を受けた私は日本物理学会2018年春季大会での私の発表23pK402-3「量子力学の観測問題と宇田文法(2)」の講演概要に(A)決定論の自発的破れとして挙げられているアイデアを説明して)それですか?
発表者:それの量子力学版です。
宇田:ああ、既に出てるんですねえ。(この態度の潔さも私の自慢だが学者として当然の態度に過ぎない)
発表者:(明確な返答をせず)あなたの発表内容を見たい。
宇田:(嬉しいと感じながら私の発表内容の閲覧方法を教えた)

対話終了後、観測問題ももう実質上問題ではなくなっているんだ、という事がジワリと分かって来た。
決定論から非決定論は出て来ないはずだ、なのに何故、という問題は既に解かれている、という意味でだ。

対話中に発表者は生成演算子を使ってスクイーズド状態を私に説明してくれたが、その時の私は石頭な事にフェルミ場の生成演算子だけを想像してしまったために理解できなかった。
後で考えると、同一状態にボソンが複数個存在する、というのがスクイーズド状態だ、という事らしかった。
これを私はフェルミオンで考えた為に、真空(基底状態)に同一生成演算子を複数回作用させると真空(基底状態)に戻ってしまうんだがな、と思ってしまった。

帰宅後テレビで高校野球を視聴していてスクイズのシーンで本件を思い出し、英和辞典で調べると squeeze という英単語が存在し、この英単語の意味は「圧搾する(特に両側などから強く押しつける事を言う)」である事が分かった。
これは正に決定論の自発的破れを説明する為に私が使ったイメージじゃないか。
まったく、物理学の競争相手は手ごわい、ランジュバンも、15aG213-8の分野を始めた人も。

日本物理学会2018年春季大会23pK402-3では私は、ニュートンの運動方程式は時間に関して2階微分だがシュレディンガー方程式は時間に関して1階微分なのでシュレディンガー方程式では決定論の自発的破れが起こらないかもしれない、と発表したが、ニュートンの運動方程式は解析力学でハミルトンの正準方程式に書き換えられハミルトンの正準方程式は時間に関して1階微分なので時間に関して1階微分である事は決定論の自発的破れが起こらない理由とは成らない事、に発表後に自分で気付いていた。

上記対話で私は潔さについてひとつの模範を示しておいた。
それは学者としてまで言わなくても人として当然の事に過ぎないという事を忘れてはいけないが、ジタバタしてしまって潔さを失う者が多い。
それが生身の人間のレベルという物だが、でも許されない。
その点私はサディストです。
トンデモは全部と言って良いほど、潔さを失ってジタバタしている事そのものだ。
自分には無理な優れた正しい事を自分より先に誰か他の人が成し遂げたなら、それを間違っていると言い張ってダダをこねるのではなく、未だ誰も成し遂げていない優れた正しい別の事を成し遂げるのを目指すしか勝つ道は残されていない。
ダダをこねている時間の分だけそれが遅れて勝てる見込みが減って行く。
先をこされたら、間違いを指摘されたら、直ぐに認める、直ぐに頭を切り替える、これがスタートラインです。
そして例えば、尻取り遊びの様に、先行業績を引用して、だったらこう成りますね、という指摘をして、その指摘の優秀性によって負けた分を取り返してなお余る得点で凌駕し返す、というのが大人の戦い方です。
相手の意見を正しくても認めない意地を張るなど、スタートラインにすら着けてない態度です。
「業務妨害をする」「ガスライティングをする」に至っては、それ以下、筆舌に尽くす事が出来ない、あえて言うなら糞(くそ)です。
既に確定した事実を変えようとする努力は無駄だし揉み消す事は不正だから、そういう事は一切しない、
既に確定した事実はルールだ、これが正しい勝負哲学です。
その上、それでも負ける事が有るんだ、という道理に対してもジタバタしない事です。



15pK103-5「AR を用いた磁力線の 3 次元提示教材の開発と実践」について。
実写ライブ動画に磁力線がCGで追加される、という内容だった。
永久磁石を生徒が手で持ってコイルに抜き差しする様子を撮影した動画が想定されていた。
ファラデーの電磁誘導の法則を説明する為の教材だったと思う。
教材として高く評価できる、と思った。
質疑応答時間にそう評価するコメントも有った、と思う。
質疑応答時間に私は「あのう」と言って「コイルを縁とする平面(円板)が不透明(灰色)に着色されていてコイルのその陰に隠れている部分が見えないので、コイルを縁とする円板を何とか透明にして奥の磁石が透けて見える様に出来ませんか?」と質問した。
するとワンテンポ遅れて会場にボワッと笑いが巻き起こった。
私が指摘した状況がスクリーンに表示されたままに成っていたからだ。
「あら、ほんとだわ」って成ったわけだ。
同時に教室内から教室外に出て「怖い」と言う者が居てるのではないか、と私の耳には聞こえた。
そういう経験(怖いと言う声が聞こえたのではないかと思われる事)が私には多数回有り、集団ストーカーについての判断材料に成っている。
私の発言に反応しない様に根回ししてあったのにその根回しが破られてしまった、これではノルマ達成失敗だから集団ストーカー上司から厳しく罰せられる、怖い、という事ではないかと私は思っている。
私の質問に対する発表者の返答は「最初は透明にしていたのだけれど、それでは磁力線がコイル内を通過している様子が見え難い、という指摘を受けたので不透明にしました」という返答だった。
発表者の返答の方が私の質問よりも一枚上手だったので私は「おそれいりました」と言って質問を終えた。
後で考えてみると、コイルを縁とする面は平面でなくてもよい任意な(この事情を生徒に説明する必要は無いけれど)ので、やはり、コイルを縁とする円板を着色せず透明として、コイルを縁とする面を通過している磁力線のみ磁力線の色を変える、という方法が良いだろう、と思う様に成った。



15pK103-7「総当り表を活用した力学教育の実践」について。
質量の異なる3つの直方体を縦に積み上げてそれを重量計の上に載せている、という状況について各物体に働く力はどうかという問題についての生徒の理解を調べた物だった。
上の物体に働いている重力と考えられるべき物を下の物体に掛かっている上の物体の重さだと生徒は誤解している等。
質疑応答時間には挙手者が多く私がコメントする時間的余裕は無かった。
もし可能だったなら私は以下の事を言いたかった。
重力以外に接触力、高校物理の言葉で言うと垂直抗力も有る事を生徒が考え落としている面が強いのではないか。
垂直抗力を生徒にもっと意識させる事によって解決するのではないか。
上の物体が下の物体に及ぼすのは重力ではなくて垂直抗力だ、という風に。
重力とは地球が各物体を引く力だ、という事も生徒が分かっていない様だ。
座長さんが「力は全て近接作用だ、という事を教える必要が有る」と発言したが、この学年では重力は遠隔力なので、座長さんの意見は間違いです。
釣り合っているので各物体に働く力のベクトル和はゼロベクトルでなくてはいけません、そう成っていますか?
下の物体に上の物体の重さが掛かるなら、上の物体に下の物体の重さは掛からないんですか?
じゃあ作用反作用の法則はどう成るんですか?
という風に問い詰めて論理破綻に追い込み、最後に種明かしとして、この状況で働いているのは重力と垂直抗力の2種類である事、作用反作用の法則と釣り合いの条件が至る所成立していなければいけない事、ニュートン、りんご、万有引力を生徒に思い出させて、重力は地球が各物体を引く力だ、物理学用語の重さとは重力の大きさの事だ、という説明をします。
矛盾の指摘例としては、各物体を地球が引く力を考え落とせば、上下から挟まれた物体に掛かる上の物体の重さと下の物体から受ける反作用の大きさが食い違ってしまい釣り合いの条件が成り立たない、という指摘が考えられる。
「教え過ぎるな」という先生も居るのですけれど、もし生徒が分かりさえすれば良いのであれば、こうすれば言葉を重ねて逃げ場が無いぐらいに分からせる事が出来ます。
私は、教え過ぎるな、という意見には反対で、それを言うなら分からせた上で言え、と思っています。
大抵は、その分からせるというラインがクリアできていないので、教え過ぎるな所ではないのです。



15pK103-8「理工系大学でのアクティブ・ラーニングII」について。
発表者の大学には中学の数学や小学の分数を習得できていない学生が入学して来るので、入学後に中学の数学や小学の分数を教えている、という話だった。
質疑応答時間の私と発表者の対話は以下。
宇田 発表の主旨にかかわる事ではないかもしれないし、他の科目の事も有るので一概には言えませんが、小学は小学レベルの事を教える学校、大学は大学レベルの事を教える学校、中学高校も相応の内容を教える学校であるのが本来の姿なのに、小学は小学の年齢の人を教える学校、中学高校大学もそれ相応の年齢の人を教える学校に成っていませんか。
分数が分からない人には、大学で分数を教えるのではなく、小学に行って習って下さい、と言うべきだと思う。
発表者 まあ、そう切り捨てずに、
宇田 そう言うと切り捨てた事に成っちゃいますかねえ?
発表者 学生を引き上げてあげて、学生の手助けをして、(以下省略)
医者が自分の手に負えない患者に紹介状を与えて他の医者を紹介する様に、小学校と業務提携して分数未消化の学生には紹介状を与えての小学校で分数の授業を受けてもらう、という風にすれば、分数を教えるプロである小学教諭の極上の授業を学生に提供でき、その方が、大学の先生の付け焼き刃な授業を提供するよりも効果的で学生に親切なのではないか。
それだと学生を切り捨ててないし引き上げて手助けしてるよ。
小学校には算数セットという裁縫箱みたいなツールが有るしな。



15pK103-11「一般教養科目としての放射線教育」について。
発表が15分に渡った為に質疑応答時間は無かった。
セッション終了後の私と発表者の対話内容は以下。
発言者 発言内容 注釈
宇田 放射線を遮蔽する効果が高そうだと見込める物体を見た目や手で持った時に受ける感じで識別できますか?
つまり、見た目や手で持った時に受ける感じがこういう感じの物が大抵は放射線を遮蔽する効果が高いものなんだよ、という傾向性は存在しますか?
存在しなければ、個別にコレとコレとコレという風に覚える必要が有りますが、存在するならその傾向性を学生に教えるべきです。
発表者 傾向性は有ります。
質量密度や厚さとの相関がそれです。
宇田 質量密度や厚さ以外にも遮蔽効果との相関が有る指標は存在しますか?
発表者 存在しますよ。
宇田 存在するんだったら、それも教えるべきです。
発表者 既に教えている(という返答だったかも) 思い出せない。
宇田 地球磁場による宇宙線の遮蔽の様な磁場による遮蔽も(ガンマ線は駄目ですが)アルファ線やベータ線に対してなら考えられる、アルファ線もベータ線も荷電だから。
ポータブルな物はまだ無いけれど、将来そういう物も技術的に開発される可能性が有ると思う。
その遮蔽装置だと放射線は全く入って来れませんよね、減衰させるのではなくて軌道を曲げるのだから。
発表者 放射線のエネルギーが高ければ入って来ます。 確かに、その通りです。
宇田 15pK103-9で、具体的な商品名を持つ塩から放射線が出ていて、放射線が出ているのは事実だが、放射線が微量だから安全なのに、だから買わないという間違った反応が広がるといけないので、授業ではこの線源を使わない、とされていましたが、私はアレを見て、じゃああの塩は買わない事にしよう、なんて思うんですけど。 そう言う事によって私は、放射線のレベルが低ければ安全である事、どのぐらい低ければどういう理由で安全なのかを自分が理解していない事を表現した。
放射線のレベルが低ければ安全である事、どのぐらい低ければどういう理由で安全なのかを生徒に教えるべきだ。
発表者 それは先生が教える事じゃなくて生徒が自分で判断する事です。
宇田 じゃあ、お墨付きを与える事はしないんですね?
発表者 お墨付きを与える事はしません。
宇田 幾ら放射線のレベルが低くてもリスクがゼロに成るわけじゃない、という事なんですか?
発表者 はい、その通りです。 発表中に、放射線の量がバックグラウンドレベルまで低下している事を必要条件だ、とする発言が有ったが、十分条件ではない、というのがこの発表者の意見の様だ。
これは放射線の専門家の認識として主流なのだろうか?
じゃあ、バックグラウンドレベルの放射線で癌に成った人は居るんだろうか?
宇田 放射線のレベルがどのぐらいだとリスクはどのぐらいだ、という対応関係を学生に教えるべきだ。
発表者 講義期間は十数週間に限られているので、そこまで教える時間的余裕は有りません。 それにしては、質量密度や厚さと遮蔽効果の相関関係を学生に体験させるのにかなりの時間を使っている様に見受けられた。
それよりも放射線レベル対リスクを教える方が優先だと私は思う。
つまり時間は足りるのではないかと。
質量密度や厚さと遮蔽効果の相関関係も講義のみで実験なしとすれば、時間を捻出できる。



2019年03月16日午前、時間の矢の講演を聞く為に椎木講堂コンサートホールに行くと、その前に2019年03月16日午前09:40から10:40分まで(予定)「国際物理オリンピック (IPhO 2022) 日本大会の開催に向けて」という講演が有る事に気付いた(プログラム冊子にも書かれている)ので、それも聴講しました。
大講堂での講演なので聞くだけで発言機会は無いかと思ったら、発言機会が有りました。
私の意見は以下です。
A スポーツはインプット(トレーニング)の時間に比してアウトプット(試合)の時間が一瞬だからオリンピックに向いているが、学問はアウトプット(問題を解く)の時間が長いのでオリンピックに馴染まない。
B 世界一を競うなら、理論問題・実験問題を課する形式では、高校生と言えども、制限時間は1週間でも短いかもしれない、1年間ぐらいでもおかしくない、と思う。
現行の制限時間は短すぎる。
C インターネット掲示板での討論の形式で試合を行なえば、スポーツのオリンピックの試合時間と同程度の試合時間で競技が実行できるので、私はこれを勧める。
D インターネット掲示板での討論の形式で試合を行なえば、それをリアルタイムで全世界にWEB公開して、広告収入を得る事が出来る。
E 理論問題・試験問題でこれをやると、公認の開き直ったカンニング大会に成ってしまう。
F Cの場合、テレビにライブ放送を許して放送権料を受け取る事も出来るだろう。
将棋で行なわれているテレビ放送が良い模範だ。
G 同一の問題を独立に解かせて解答を競うのではなく、単一の問題を全てのチームが協力して解こうとする、その過程への貢献を得点として付与する、という方式を私は勧める。
これは大人の学者がやってる事のミニチュア版だ。
単一の問題としては、完答不可能な難しい問題が適当ではないか。
方針を提案したら何ポイント、方針に従がって推論したら何ポイント、結果を他のチームに利用されたら何ポイント、いずれも最初に発表した者のみが得点する、という風にする。
H 理論問題・実験問題も残せば良いが、大学入学試験における冒頭の計算問題の地位が、物理オリンピックにおける理論問題・実験問題の地位に相当する、という形に理論問題・実験問題を簡略化して格下げしてはどうか。
会場で私が発言したのは A, C, D, E だけです。
誤って、A, C, E, D の順で言ってしまいました。
D, F は、資金調達で苦労しているという講演内容、を受けての物です。



2019年03月16日午前10:55〜11:55(予定)、椎木講堂での総合講演『情報と「時間の矢」』について。
この講演が有った為に、十年後とか百年後の人が単に「日本物理学会2019年春季(第74回年次)大会での時間の矢についての講演」とだけ言った場合に、それを聞いた人は、私の講演16pG214-13「時間の矢への宇田予想と重力円錐宇宙」の事ではなく、この総合講演の事を言っている、という風に誤解するでしょう。
総合講演はプログラム冊子の最も目立つ位置に大きな面積を用いて表示さているのに対して、私の講演は、プログラム冊子の中から見付け出すのが困難なぐらいに、目立たない位置に小さく表示されているだけだからです。
だから私は、この総合講演は何者かが私の講演を埋もれさせる目的で実施した物だ、と確信しています。
事実、この総合講演の講演者は講演開始時に、自分が何故ここに呼ばれたのか理解に苦しむ、理由が分からない、不思議だ、どうしてだろう、という意味の事を言っていました。
これは謙遜の常套句とは異なる、と思います。
謙遜の常套句なら、時間の矢についてなら私よりふさわしい人が居るのになあ、という意味の事を言うはずです。
それなのに、この講演の講演者の発言には、なぜ自分がという意味だけでなくなぜ時間の矢がテーマなんだ、という意味も含まれていたと私は思いました。
時間の矢なら自分だ、という点には疑問を持っていなかった様に見えました。
聴講者に与えられた発言機会に私は以下の事を言った。
私は物理しか勉強してなくて情報を勉強してないので大変勉強に成りました。
途中で何度もついて行けなく成りそうに成りましたが、説明が上手なので、その難局を何度も乗り越える事が出来た。
しかし結局、終盤には、ついて行けなく成りました。
因みに本日午後G214会場で時間の矢について私の講演が有ります。
不可逆現象の例としてビルが崩壊する動画が有りましたが、私は、それは時間軸の向きを現象に合わせているだけなんだ、という風に考えます。
そういう考えを「なんじゃそりゃ」と思う人は、本日午後G214
この発言の末尾のG214の4を発音している途中に座長が「質問だけに限らせて頂きます」と言って私の発言を終了させた。
「本日の午後G214」と言う事によって、私の講演を埋もれさせる効果を多少なりとも減じる事が出来た。
私の講演内容は、この講演へのコメントとしての価値も持つので、その私の発言は発言権の濫用でもない。
むしろ、それを遮った座長の議事進行の方が不審だ。
G214という情報は一番肝心な部分だからねえ。
1回目にG214と言った時には座長は完全に虚を突かれて反応できず、2回目でやっとハッと我に返って発言を封じた、それでも一瞬遅れを取った為にG214の後端しか封じる事が出来ず聴講者全員に「本日午後G214」を2回聞かれてしまった、という事だと私は思うよ。
「なんじゃそりゃ」の部分は、子供に「おばけがでるぞお」と言う時に使う様な声色で言った事もあって、会場全体に笑いが巻き起こった。
講演終了後に講演者に話し掛けて私の講演を紹介すると講演者は「午後5時から予定が入っているので行けません」と答えた。
それを聞いた私は、既にそこまで手が回してあるんだ、と思った。
「じゃあ、もしよろしければ講演概要でも御覧に成って下さい」と言えばよかったが、言いそびれた。



2019年03月17日午前は、稲盛財団記念館でのJr.セッション(ポスターセッション)の中の1件と、椎木講堂コンサートホールでのポスターセッションの中の3件を聴講した。



Jr.セッションでは「はい、大変優秀です」と褒めた上で、横軸を「基礎←→応用」とし、縦軸を「実験←→理論」とした座標平面を見せて、自分が今やっているのはどの辺か、将来やりたいのはどの辺か、考えて下さい、高校時代は人生の夜明けです、私もそうだった(夜明けのすがすがしさを感じた)なあ、これから日が昇って昼が来るからね、と励ました。
応用というのはデヴァイスを発明する事ですか?と質問された。
私は「いいえ、現象を説明するのが応用です」と答えるに留めたが、せっかく質問されたのだから、もっと詳しく説明すべきだった、と後悔している。
要素過程や現象論という言葉も説明しておくべきだった。
デヴァイスを発明する事も応用だから「いいえ」という私の返答は間違いです。
ただし発明というのは工学に属する行ないであって理学には属しません。
将来理学ではなく工学に進みたい、という進路選択も全くO.K.なのですが、物理学とは何か、という事について説明するならば、物理学に限らず理学が行なうのは全て理解や説明や解明や究明だけです。
デヴァイスについてのアプローチも、それを発明する開発する、というのが工学のアプローチであるのに対して、デヴァイスがどうしてそんな挙動を示すのか解明する、というのが理学のアプローチです。
もっと言うと、理学の研究対象は自然のみであって、人工物(デヴァイス)はそもそも理学の研究対象ではない、ぐらいに考えた方が正しい。
デヴァイスの発明や開発に工学が利用する理論を生産して工学に提供する、というのも理学に属しますが、どうなっているかを調べるのが理学、その調査結果を使ってどうするかを決めるのが工学、というのが理学と工学の役割分担です。
工学というのは「作る」という能動的な営みですが、理学はあるがままの自然を記述するだけに徹する完全受動態です。
宇田は物理学を専門としているからどうせ自然の偉大さを過小評価しているに違いない、という先入観を持っていた文科系の親友が学生時代に居ましたが、そういう先入観を持つのは、この点が分かっていないからです。
理学と工学を混同して、理学者は人工デヴァイスで自然を征服できるという傲慢な考えに陥りがちだ、という誤解はありがちです。
テレビの刑事ドラマに登場する物理学の天才(役)は大抵自分の発明したデヴァイスで犯罪を犯すと相場が決まっており、偏見じゃあ。
それは物理学じゃなくて工学だっつうの。
実験物理学では研究対象に強い能動的な介入を行なうし、その手段であるデヴァイスの発明・開発が研究の中で大きなウェイトを占めますが、目的はあくまで既に有る物事(物理法則も既に有る物事ですから)がどうなっているか調べる事です。
と言うわけで物理学には既に有る物事を説明する、記述するという仕事しか無いわけですが、その中で現象を(実際に出会う現象を出来るだけ単純化せずに)説明するのが応用物理学です。
説明する現象が複雑であればあるほど、その研究は応用的です。
例を挙げるなら地球物理学なんかは物理学の中では応用に属します。
では基礎物理学とは何か?
これを知るには、例えば京都大学基礎物理学研究所ってどんな事を研究している所なのか調べてみると良いでしょう。
答えを言うと、現象を説明するのに使う法則(を導き出すべき基に成る法則)を見付けたり発展させたり基礎付けたりより良く理解するのが基礎物理学です。
現象を説明するとは基礎法則を応用する事だから現象を説明するのは応用物理学という事に成るわけです。
基礎物理学の中でも最も基礎的な研究は基礎理論を書くのに使う文法を研究する文法物理学(創始者は私)です。
最後は我田引水に成りましたが、物理学において基礎とは何か、応用とは何か、という事の説明は以上です。
洋書を見ると、applied physics(応用物理学)の反対語としてはpure physics(純粋物理学)という言葉が用いられています。
これは工学対理学という図式で見ての事だと思います。
また応用物理学は適用物理学だ、との見方を得る事が出来ます。



17aS-PS-88「深層学習のFPGA実装における対数量子化法の検討」について。
私が分からない所を質問すると発表者は親切に説明して下さったので私は理解できた。
確実に1歩前進だと思ったので私は「なんだ、こんなもん即採用じゃん」とコメントしておいた。



2019年03月17日午前には椎木講堂コンサートホールでポスターセッションを他に2件聴講した。
最後に聴講したポスターセッションの発表者は歩き去りつつある私を追って来て私が誰なのかを私にたずねた。
私は「うれしいですねえ、こちらから渡そうとすると嫌がられるので求められなければ出さない事にしてるんですよ」「名詞を渡した人には二度と会う事が無い、というジンクスが有るので、そういう事に成らない様にしたいものです」と言いながら私の名詞を発表者に渡した。
その発表者は私から名詞を受け取って直ぐに「メールします」と言ったが、その直後に「メールは届かない場合が有ります」と言った。
それに対して私は「いいえ、メールは必ず届きます」と言い返した。
うっかり「メールします」と言ってから「メールは届かない場合が有ります」と言うまでの間に私の名詞の内容を読んだのだと思う。
その時に「ちっ」とか「ちぇっ」と舌を鳴らした。
だからジンクスが有ると言ったじゃないですか、というわけです。
発表者は「なんだ、客じゃなくて商売敵か」と思ったのかもしれないが、「こいつにかかわったらお前を干すぞ」と脅され、そう脅す者の動機に賛成していたのではないか。
「メールするのをやめた」とは言えないから「メールは届かない場合が有ります」と言った点は笑える。
私は www.GrammaticalPhysics.ac への寄稿者が欲しいのだが、この人も駄目か。



2019年03月17日午後は、鈴木貞吉さんの発表17pK212-8を聴講するために私は、17pK212セッションを最初から最後まで聴講した。
セッション中の休憩時間に17pK212-3「荷電レプトン質量式:残る問題は何か?」の発表者に「先生ちょっとよろしいですか?」「5番の人が質量に詳しそうなので意見を聞いてみませんか」と声をかけ、2人で17pK212-5の発表者の所に言って3人で談話した。
その談話内容は以下。
発言者 発言内容 注釈
私→5 質疑応答時間に発言が無かったので特に言いたい事は無いと思うんですけれど、どう思いますか?
私→3 先生が質量への寄与を計算するのに使っていたradiative correctionは全て質量への繰り込みで既に使い果たされているんじゃないんですか?
3→私 私のは繰り込みを済ませた後の分です。 意味が分からなかった。
私→3 ヒッグス理論が質量の起源を説明すると知った時、なんだ、質量はヒッグス理論から算出されるって事じゃないか、と思った。
3→私 質量はヒッグス理論から算出されますが、質量の関係はヒッグス理論から算出されません。
5→3 発表内容中に理解できない部分が有ったんですけど、 ψとその共役のコントラクションか何かの事ではなかったか
私→5 素粒子論の主業務が素粒子の分類だった時代に異なる素粒子を単一の素粒子の異なる状態だと考える分類法(アイソスピンの考え方)が登場して、その考え方は標準模型においてもSU(?)変換として受け継がれているはずですが、クォークの質量の世代間格差は、そのSU(?)に関して非対称である事を意味しますか? 17pK212-5の内容についての質問です。
左記の意味の事を言ったつもりだが言いあぐねて伝わらなかった。
異なるクオークを単一粒子の異なる状態だと見なす考え方が有ったはずだ、という私の記憶も不確かです。
また、せっかく5と3の対話が始まったのに、それを私のこの発言が遮ってしまった事は失敗だった。
休憩時間が終わったので、会話はここまでしか出来なかった。
17pK212-3の発表者はセッション終了前に会場を去ったので、セッション終了後に会話を続行する事も出来なかった。
17pK212-3で提示された3つのレプトンの質量の間の関係式は多分
(m1 + m2 + m3)/(√m1 + √m2 + √m3)2 = 2/3
という式だった。



鈴木貞吉さんの発表17pK212-8について。
タイトルはプログラム冊子には重力発電「54」と書かれているが、現場でのタイトルは違っていた。
質疑応答時間に私の真後ろに座っていた人が「タイトルと内容と何の関係が有るんですか?」と質問し、鈴木さんの返答を聴きながら繰り返し「なるほど」と言ったので、その後私は念の為に挙手して「私は全然なるほどとは思いません」と発言した。
これを言っておかないと「なるほど」と言ったのが私だと誤解される恐れが有ったし、それを狙われた可能性が有るとすら感じたからだ。
私のその発言に対する鈴木さんの反応は「は?」だった。
座長さんに「今のはコメントですか?」とたずねられ私は「はい、そうです」と答えた。
質疑応答時間には質問だけでなくコメントもO.K.である証拠の、ほんの一例だ。



17pK212は、その全体がトンデモ隔離セッションだったわけではない、少なくともセッション開始時には私はそう思ったが、セッション開始前にK212教室に入って待機している間、その場の雰囲気によって、素粒子論という分野は50才ぐらいに成ると人生的な意味でこんなにも辛い感じに成って来る物なのか、大学卒業時には不本意でない人生にする唯一の道だと明白に感じられたのに、と感慨した。



今回の学会大会では、毎回見かけるあの人の人相が以前とは全く別人の様に成っていたのを見て、凶悪な物を感じた。
事によると整形したかもしれない。
以前は、黒澤明の映画「生きる」の主人公や「醜聞(スキャンダル)」の弁護士役、それからカンフー・ハッスルの登場人物に似ている所があって、内面のレベルの低さが外見に表れていたが、今回は、何も言わずに黙って座っていれば高齢の立派な学者だとウソを吐かれても見破れない様に風貌が取り繕われていた。
整形だとしてもエステだとしても、ハリウッドのメイク級の相当腕の立つ職人でなければ、あそこまでは出来ないだろう。
つまり、かなり高額の美容サービスを購入したと考えられ、その事から、これは本人の自費ではないだろう、という事や、本人の都合(意志)によるものではないだろう、と推測されます。
本人の自費では払えないだろうし、また、本人はその鈍感性のせいもあってそこまで必要を強く感じないはずだからだ。
本人の都合だけならば、今まで通りでも発表を続ける事が出来る。
よって、この人相変更は、本人個人よりももっと強大な組織の都合によって為された、と考えられます。
こんな人が居る、というのが事実なんだけど、それでは都合が悪い、都合が悪いから「そんな人は居ません」と言って白を切り通す、その為とあれば何でもする、それがこの人相変更です。
その為とあれば何でもするんだから、それがあなたや私に向けられたら我々は幾らでも大きな被害を受け得る、という事です。
つまり凶悪です。
以前の人相が黒澤明の映画の登場人物に似ていた事も、この人を悪く言うと悪者にされる、という罠を仕掛けるのが目的での事かもしれない。
なら変更前の人相から既に工作だったのか、恐ろしい事だ。



2019年03月17日に内田ゆうやさんが死去した、というニュースを2019年03月18日に帰路の新幹線の中で知りました。
QEDの漸近状態についての発表があった会場に聴講者として来て発言した大先生らしき人物が内田ゆうやさんに似ていた事、私の高校での数学の先生が内田ゆうやさんに似ていた事、今回の学会では私は初めてJrセッションの高校生のポスター発表を聴講しアドヴァイスした事、これらと関係が有ると思う。

2019年03月13日18時頃に筑前前原駅でピアノを演奏していた人へ。
最初は既製品がスピーカーから聞こえ始めたと思いましたが、音源が見え始める前にライブ演奏である事に気付きました。
駅の建築物での音の反射が感じられたせいも有りますが、音に乱れが有ったからです。
しかし、弾こうとしている音の配列と組み合わせは、歪みが無く気持ちが良くパクリ性の無い良い物でした。

2019年03月17日16時台に筑前前原駅でピアノを演奏していた人へ。
その時私は既に既製品のスピーカー放送ではない事を知っていましたが、既製品のスピーカー放送と聞き分ける事が出来ませんでした。
この事は、あなたの演奏が極めて正確であった事を意味します。
楽曲に和風のニュアンスが織り込まれていましたが、それを聞いて私は味付け自由自在なんだな、と思いました。



今回の学会大会参加旅行では、まず新幹線の出発時刻が45分遅れ、そのせいで筑前前原駅に到着したのがホテルのチェックイン予定時刻に成ってしまい、予定通りにホテルにチェックイン出来なかった。
過去の他ホテルでの経験から判断すると、しなくても構わない事である様だが、私は念の為に規則通りに筑前前原駅ホームからホテルに電話して、チェックインが遅れるが既に筑前前原駅に到着しているので遅れは小さいと予想される、と告げた。
連絡を省略しようかと現場では思ってしまったが、この連絡をして良かったと今では思っている。
集団ストーカーはこういう所を狙って来る物だからだ。
ちょっとチェックインが遅れたぐらいでホテルの予約がキャンセルされる事は無いはずだが、それでは新幹線の出発を遅らせるという集団ストーカー工作の効果が大きく減ってしまう。
新幹線の出発が遅れる、という異常事態が有った事と考え合わせると、新幹線の出発が遅れた事は、それ単独でも集団ストーカー工作だと思われるが、宿泊予約を失効させる事を狙った集団ストーカー工作でもあり、かつ、チェックインが予定時刻より遅れれば宿泊予約の成立が脅かされた可能性が高い、と考えるべきだ。
新幹線では指定席に座乗したが、ガスッとゲロの臭いがし座面が湿っていた。
座面を湿らせられる集団ストーカー工作は過去にもバスで複数回経験した。
私は、前回(2018年秋季大会)の報告記事でじゃらんを敵にまわしているので、今回は針のむしろならぬ敵のむしろで寝る物と心得る必要が有った。
今回も私はじゃらんで予約した、どう思う?なあ、あんた、どう思う?
筑前前原駅の直外では駐車場に有人停車していたナンバー福岡338ほ6688青BMWが私に見られると直ぐエンジン始動発進逃走開始など集団ストーカー車両多数殺到。
チェックイン直前には道を挟んでホテルの隣に在るクリーニング店ないしコインランドリーに工務が来ていた。
関係車両は以下。
福岡301た5197、福岡545の1010、福岡480つ7526、福岡583え3023、福岡480け8647。
ホテルのチェックインで私に対応した職員の態度は、比喩的な意味で何が何でも腕ひしぎ十字固めに持ち込もうとする態度だった。
そのポジションからじゃ腕十字は無理だ、という状況でガチガチに硬く成って狙っていたその様子は、この職員が犯行のプロではなく犯人から何か吹き込まれて即席で出来上がったにわか作りの犯人である事を物語っていた。
私の言ってる事が意味不明だ、不当な要求だ、言動が不審だ、という言い掛かりを何とかして付け様と出来るだけ努力している風に見えた。
私は、その事も念頭に置きながら間違いの無い様に手続きを済ませた。
手続き中に、5泊分全部を一括申し込み出来る事を確認した上で、モーニングコールを5泊分要請した。
2019年03月18日チェックアウトで私に対応したのも同じ職員だったが、チェックアウトでは私がタクシーまで行く経路として屋外階段ではなくエレベーターを選択したのを見ると直ぐにこの職員は「ちくしょう」相当の発語をした。
エレベーターを使えば屋外の犯人達にあまり見られずにタクシーに乗れる事を私は事前に自分で確認していたのだった。
日本物理学会2008年秋季大会で宿泊したホテルでは室温と冷蔵庫の温度に問題が有ったが、今回宿泊したホテルでは室温も冷蔵庫の温度も合格だった。
しかし、今回宿泊したホテルでは自室でエアコンのスイッチを入れるとエアコンから激しい異音が聞こえた。
その異音は、針金で隣室の壁をひっかく様な音を含んでいた。
これは集団ストーカー工作音だと思うのだが、だとすると私がどの部屋に宿泊するかを犯人が知っていた、という事に成る。
私の発表日2019年03月16日には、まずモーニングコールが来なかった、さらに2019年03月15日帰路ではまだ開業されていなかった新駅が往路途中に新出していた。
モーニングコールが来なかったのは5泊中この日だけだった。
過去の他ホテルでの経験では、途中でモーニングコールが来なく成り、その後も来ないままに成ったが、今回のホテルでは私が何も言わなくても翌日からまたモーニングコールが復活したので、私の発表を妨害する工作である事が分かり易かった。
新駅の出現は2019年03月15日のテレビニュースで知っていたので迷わなかったが、もし事前に知っていなかったら私は「自分が間違った列車に乗ってしまった様だ」と誤解する恐れが有り、その事が狙われた様だ。
私が宿泊したのは506号室だったが、2019年03月16日午後の時点では505号室の客が集団ストーカー犯だった様だ。
506号室から見て505号室は正面の左隣だった。
私が506号室に帰室して間も無く505号室からマスクで覆面した女が左折で出て去った。
この女がこの際に私の506号室の直外に置かれていたタオル等のサプライ品の消滅を目視確認し、その情報と他の犯人から得られた私の帰館タイミング情報を突き合わせて、犯人達は私の宿泊位置を特定したのではないか、と私は思っている。
2019年03月16日午後505号室から女が出て去ると間も無く、集団ストーカー工作騒音の鳴点が506号室内の私の位置に正確に一致する様に成った。
今回は、それまでは、そういう事は無かった、ただし、ホテル周辺に暴走族風の騒音が集中する様には成っていた。
2019年03月17日往路では列車内アナウンスが「周船寺」を「すさき」と発音した。
正しくは「すせんじ」。
逆走して藤崎に向かっていると私に誤解させるのが目的の集団ストーカー工作だ、と思われる。
九大学研都市駅で、その事をブログ「即達」にメール投稿しようと交通の邪魔に成らない位置を選んで、そこに立って投稿文を執筆していると、そこは自動販売機の直前だった。
その事を目ざとく見付けた集団ストーカー犯が自動販売機から飲料を買うという名目で、私の行動が迷惑に見える様にした。
それに対する私の退去の遅滞が過度でなかったので、その犯人は去り際に非生理な故意咳き込みをした。
九大学研都市駅では改札を出る直前に前方から歩行で改札を入りつつある人々が私にコリジョン工作を仕掛ける事を狙っている事が分かったので私は「あ!例のアレが来た」と思って目前の先行歩行者に急接近する事によって、それをかわした。
すると直ぐに私の目前の先行歩行者が改札で連続複数回エラーを繰り返した。
また、バスを待つ乗客が2019年03月16日までよりもずっと多かった。



今回の私の発表は物理学のトップ70に入る大問題の1つに実質上の終止符を打つ重大な発表だったが、当然の事の様に、新聞に書かれる事も無ければテレビニュースにも成らない、学会誌でも全く紹介されていない、そうしながら四六時中毎日毎日自宅周辺からブーイング等の騒音による拷問が私に掛けられ続けており、その上いつもの事だが代わりに私とは別の人の物理学上のショボ臭い研究成果が顕著な物だとして私への当て付けの様にテレビニュースで報じられ、大工場等で大火災が発生したり、重度の殺傷事件が発生した。



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最終編集2019年04月16日