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日本物理学会2011年秋季大会での私の発表は、16pSC-2「新文法版シュレディンガー方程式の局時形式」と24pRF-4「進級時飛躍内容教訓化学習の勧め」の2件だった。

今回は、16pSC-2が2011年09月16日、24pRF-4が2011年09月24日という風に、間が7日も空いているので、旅費の都合上、16pSC-2の会場近辺または24pRF-4の会場近辺で宿泊するのではなく、16pSC-2が終わったら一旦広島県の自宅まで帰って、その後で24pRF-4には自宅から改めて行き直す、という方法を採った。
計算するとその方が会場近辺で宿泊するよりも安く上がる事が分かった、からだ。
ただし、それは夜行バスを使い全く宿泊しない場合に限るので、体力的にはかなりキツイ事が予想され、実際やってみてキツかった。
夜行バスには、単に鉄道や飛行機よりも運賃が安いという経済性だけでなく、乗っている間に寝るのでホテル代が浮く、という鬼の様な節約効果もある。
というわけで私は、各会場までの1往復につき、ホテル無し夜行バスだけで4泊した。
こんな事は初めてなので、やり遂げるまでは、そんな事が出来るものなのか、不安だった。
2件とも無事に終わった今、両方とも成功させた事は、大きな自信に成った。
旅行中の写真を、私の写メール投稿ブログ
即達に、掲載しておきました。

私の発表16pSC-2「新文法版シュレディンガー方程式の局時形式」では私は、作用汎関数が新文法版量子力学のメタ・ポテンシャル・エネルギーと見なされる事を発表した。
これは、
日本物理学会2010年春季大会20pBJ-1「作用汎関数は新文法版量子論の何なのか」において私が提起した問題への1つの解答に成っている。
16pSC-2では私は、まずohp11au-sr-2(このページの下方にある)を掲示して、次の様に口述した。
t軸を横軸として、それからx軸を縦軸とする座標平面内に、関数χのグラフと、それから関数χ(□-ε)のグラフを描くと、2つのグラフは、関数χのグラフをt軸方向にεだけ平行移動すれば関数χ(□-ε)のグラフに重なる、という関係に成ります。
この平行移動は、tの各値に対して関数の値をχ(t)からχ(t-ε)へとズラす変分、この青い矢印で描いたものですねえ、こういう風に、tの各値ごとにこの様(「この様」の言い間違い)ズラす事を考える変分、で置き換えられます。
この後、「この事を利用すれば」と言いながらohp11au-sr-3(このページの下方にある)を掲示して、次の様に口述した。
(最後の式を指して)この式、最後の式、この式が成立する事が分かります。
何故かと言うと、変数の添え字が離散的な、多変数関数の全微分を偏微分で表す(最初の式を指して)この式ですねえ、最初のこの式において、これは、まあ大学1年生ぐらいで習う式ですが、(中央の推移規則を指して)この様な推移の規則を考えると分かります。
xiというのをχ(t)に置き換え、と言うか、それで、添え字のiを時刻のtに置き換え、で関数のfを汎関数のΦに置き換え、まあfはここにありますねえ、こう、Φがこれですねえ、それからこの偏微分∂/∂xiを汎関数微分δ/δχ(t)、xiでの偏微分をχ(t)での汎関数微分に置き換える、これをこれに置き換えるという事ですねえ。
それから、ここのシグマ和、このiが1からnまでiについて足すという、このシグマ和をtでの積分にこう置き換える、という、この様な推移規則を考える事によって、(最後の式を指して)この式が、一番最初の式から一番最後の式が、得られるからですと。
この中の「と言うか」は、直前の「置き換え」という表現に満足できなかったために、ついつい出てしまった言葉ですが、不要です。
次に「この式を」と言いながら、ohp11au-sr-4(このページの下方にある)を掲示して、次の様に口述した。
(最初の式を指して)これが新文法版シュレディンガー方程式なのですが、新文法版シュレディンガー方程式の
(Φ[χ(□-ε)]-Φ[χ]を指して)この部分ですねえ、ここの部分に代入すると、
(中央の式を指して)この式が得られます。
真ん中の式が得られます。
左辺だけ書き換えた、という事ですねえ。
(最初の式と中央の式の左辺を指して)この部分がこの部分に成ってます、という事ですねえ。
一番上の式の左辺全体が、2番目の式の左辺全体に、書き換えられています。
(中央の式を指して)で、この2番目の式の左辺を、これを右辺に移項して、それから
(赤色の式を指して)これに注意して平方完成します。
この事実に注意して、という事ですが、これは何かと言うと、χ(t)の微分をχ(t)で汎関数微分したもの、というのが、δ関数の微分のゼロ点での値で、これをゼロとする、という事が、よくあるのですが、ちょっと怪しい所ではありますが、まあ、これをゼロとする、という考えを採用すると、
(最後の式を指して)この様に、最後の式が出て来ます。
これは、もう一度言いますと、この赤で書いた式に注意しながら、真ん中の式の左辺を右辺に移項して平方完成すると、と言うのは、この部分(2番目の式の左辺の積分記号以外の部分)がここ(2番目の式の右辺の角括弧)の中に入って行く様に平方完成した、という事ですねえ。
ここ(最後の式の右辺の角括弧)の部分ですねえ、そうすると、最後の式が、この最後の式が、これが得られます。
まあ、ついでの話ですが、この式(最後の式)を使うと、ちょっと簡単に、その、次元のチェックが出来ます。
ここαというの私が導入した新しい物理定数で、時間分の1の次元を持つんですが、(mχ'(t)を指して)ここ運動量ですから、この部分ですね、まあihを取り除いた1/αとδ/δχ(t)の部分がですね、∇の次元を持ってれば、要するに離散的な長さの変数での偏微分の次元を持ってれば、普通の古い量子力学の運動量演算子に成るから、次元が合ってるはずですよね。
だから次元チェックが出来ます、事でね。
αの次元を時間分の1とした、という、これは今回の発表ではありませんが、以前した発表の中に入っておりますが、その次元の置き方が正しい、という事が、ここでチェックできます。
その後で、この講演のタイトルと内容の関係について、次の様に説明した。
ここでですねえ、タイトルに新文法版シュレディンガー方程式の局時形式というタイトルを言いました。
タイトルを局時形式というタイトルで言いましたが、それはどういう事かと言うと、最初はですねえ、この発表の内容として、この積分を取り外して、被積分関数が全てのtに渡ってゼロに成る、という仮定を考えて、それを発表しようと思ってたんですが、講演概要を書いてる途中でですねえ、やっぱ積分付けたまま発表した方が良いなあ、と思う様に成りまして、理由はこの後発表する事なんですが、だから、そういうタイトルに成っております。
発表の内容は、その、タイトルからは少しズレた内容に成っております。
今私がしております発表は、この、被積分関数が全てのtに渡って、各t毎に全てのtに渡ってゼロに成る、という主張ではありません。
あくまで、tで積分した後ゼロに成る、という事を今発表しております。
その後で、ohp11au-sr-4とohp11au-sr-5(このページの下方にある)を交互に掲示しながら、ohp11au-sr-4の最後の式を書き直したものがohp11au-sr-5の2番目の式である事を指摘した。
その後で、ohp11au-sr-5を掲示して、
2番目の式は1番目の式の連続無限次元版といった形をしている事、および、1番目の式は電磁場中の荷電粒子に対する旧量子力学のエネルギー固有値ゼロの定常状態を決める式である事、を述べた。
さらに、これら2つの式の対応関係について、2番目の式においては、1番目の式の電磁場のベクトル・ポテンシャルAk(x)の位置に古典運動量mχ'(t)が来ている事、および、電磁場のスカラー・ポテンシャルφ(x)の位置に作用汎関数S[χ]が来ている事、を述べた。
さらに、この対応関係は赤枠の中の書き換えによって分かり易く成る事、赤枠の中のA,φと1番目の式のA,φは意味が違う事、および、赤枠の中の物理量をメタ・ゲージ場と名付けたい事、を述べた。
最後に、次の様に述べた。
ただしですねえ、まあ見て分かる様に、メタ・ゲージ場には結合定数が無いので、ちょっと変かもしれません。
まあ現段階では、何かそんなメタ・ゲージ場みたいなものを考えると良いのではないか、というヒントを得た感じがするんですが、でもチョッと結合定数が無いなあ、といった感じですねえ。
それで、これで私が日本物理学会2010年春季大会、春の大会20pBJ-1で提起した、作用汎関数は新文法版量子論の何なのか、という問題に対して、作用汎関数は新文法版量子論のメタ・ポテンシャル・エネルギーだ、という答が得られた事に成ります。
作用汎関数がポテンシャルだ、という事に成ると、2011年春の大会での私の予想は外れだ、という事に成ります。

画像をクリックすると拡大表示されます。
講演概要

16pSC-2
日本物理学会講演概要集・第66巻・第2号・第1分冊・5ページ
OHP

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2011年09月16日撮影分@学会発表の実況@動画

質疑応答時間には、鈴木貞吉さんから、次の様な質問が出た。
まあ、新文法って言うのは、だいたい分かったんですけれども、我々が雑誌を見た場合に、結局、今の説明との逆の、いわゆる逆が文法に成らなければ、雑誌読めないと思うんですよね。
だから、今の変換だと、そういう変換でこういう結果が出ましたよ、という、その結果が雑誌に載ってるわけですよね。
だから、その雑誌を読むためには、結局、今の文法の逆を読者はやらなければならない、と成るとですね、これちょっと、何か、実際に役に立つ文法なのかどうかっていう事が疑問に成る、と思うんですよね。
その点いかが?
これについて、私と鈴木さんの間で、次の様な対話が、行なわれた。
宇田 ええと、雑誌というのは、どの雑誌なんでしょうか?
鈴木 ですから、例えば「物理」とかね。
宇田 「物理」というのは、何出版ですかねえ?
日本物理学会誌ではなくて?
鈴木 物理学会誌ですねえ。
宇田 JPSJでもない?
Progressでもない?
鈴木 うん、まあ、どんな雑誌でも良いですけど。
宇田 どんな雑誌でも良い。
論文誌ですか?
それとも、論文誌以外の、もっと砕けた雑誌なんでしょうか?
鈴木 いや、論文誌でも、砕けた雑誌でも、
宇田 どちらも?
はい、どちらもね、はい。
鈴木 ええ。
全てを、こう、詳細に書いてなんかくれないわけですよね。
結論だけを、こう、出しておって、その結論を読むための文法ね。
それは今の説明の逆が出来ないとね読めないんじゃないか、役に立つ文法に成らないんじゃないかな?
宇田 あ、ひょっとすると鈴木さん、私この文法の説明というのは、雑誌を読むための文法を説明しているという風に思われたかもしれませんが、
鈴木 そうじゃないんですか?
宇田 違うんです、違うんです。
だから、雑誌に書かれてる事はこういう意味ですよ、という話ではなくて、まだ雑誌に書かれてない事、しゃべってます、今。
ので、雑誌に書かれてる事が逆、というのもまた良く分からないんですが、私の言ってる結論とは正反対の結論が雑誌に書かれている、という意味なのか、それとも、雑誌を文法に従って読む、という流れとは逆の流れで何か考えなさい、というお話なのか、まあ、その辺りの事もちょっと良く分かりませんが、どういう事でしょうか?
鈴木 逆に読まなければ読めないんじゃないか。
宇田 逆の流れ、という事ですね?
鈴木 うん。
宇田 逆の流れというと、どんなんですか?
書いてある事から逆に文法を探知して行け、という事ですか?
鈴木 うん、だから、書いてある結論から、最初に読者が考えた仮定の様なものが、
宇田 「筆者が考えた」ですかね?
鈴木 うん。
筆者が考えた仮定の様なものが、言い当てる事が出来れば、その雑誌を読めた、という事に成るわけですよね。
だから、そのための文法でなければ、あまり意味が無いんじゃないか。
宇田 いや、それは、雑誌を読む、他人(ひと)の書いた文章を読む、他人(ひと)の書いた論文を読む、ためには、あまり役に立たない。
まあ、ゼロかどうか分からないけど、基本的には役に立たないものを発表しておりますが、それ以外の役に立ち方というのが色々ありますので、新しい仮説を発表する、というのも、また、これは非常に役に立つ事なので、
鈴木 じゃあ、まだ、私は、文法の意味が良く分からない。
宇田 そういう事ですね。
以上。

24aRF-11を聴講して、質疑応答時間に、「磁界をもっと強くしてやってみなさい」と指示するよりも「もっと遠くでもそのまま直線的に減少し続けるだろうか?」と発問する方が良いと思う、という意味のコメントをした。
「磁界をもっと強くしてやってみなさい」という指示では生徒に、実験というものは欲しい結果が出る条件を選択して行なうものだ、という誤ったメッセージが伝わってしまう危険性がある、と考えたからだ。
また、1/rという結果にしても調べた範囲内ではそう成っていた(もっと遠くで1/rから外れないか調べてはいない)という事に過ぎないのだから遠くまで調べず線形減少を結論とした生徒の態度を一概に欠けた態度とは言えなかろう、という意味のコメントもした。
欲しい結果が出る条件を選択して実験を行なう、とは、面白く言うと、どちらが強いかを調べる格闘技の試合で、ひいきの選手が負けそうに成ったら試合を止めてやり直させる、という事を、ひいきの選手が勝つまで繰り返し、その結果を元に、ひいきの選手の方が相手よりも強い事が実験によって証明された、とする不正な態度に似ている。
物理学の実験の場合、プロの実験家の不正行為として、仮説を支持する結果のみ採用し仮説に合わない結果を破棄する行為、が指摘される事がある。
配線ミス等の破棄する合理的な理由があれば問題ないが、仮説に合わない事が破棄する理由である場合には、不正行為と成る。
1/rに成るはずなのに成ってないから条件を変えてやり直す、という風に生徒に受け取られたら、この種の不正行為を生徒に勧めてしまう結果に成る。
誰かの「r目盛りの代わりに1/r目盛りを使え」という意味のコメントに対して、「それでは生徒を1/rという答えに誘導している事に成って良くない」という意味の批判が沸き起こったが、これについては、私も、この批判に賛成だ。

24pRF-1,2を聴講して、それについて、24pRF-1,2の質疑応答時間と私の発表24pRF-4の終了後に、コメントおよび議論をした。
日本物理学会2008年秋季大会@学会発表報告記事@活動報告@学問@宇田英才教室の五十嵐靖則さんとの議論についての記述を参照して下さい。
24pRF-1の質疑応答時間での発言内容は次の様であった。
座長 あと2分30秒ほど残っておりますが、誰か御質問のある方。
宇田 中性子がスピードが落ちないと反応できないとかいうの私は知らない内容だったのでですね、見ていて、確かにそうだなあ、という所までは私には分からないんですが、確実であれば授業でコメントするには適していると思いますよね、補足的に。
それから、あと最初の方で、出る角度が違う、という図がありましたよね。
まあ、これなんかも、横軸が時間軸で縦軸が空間軸だみたいに見て下さい、みたいな図だと解釈するという柔らかい発想だと、まあ間違いとまでは言わずに、角度はこうではありません、というのを補足的にコメントすると良いですよね、生徒さんにはね。
そういう事を思いました。
あと並進温度エネルギー、熱エネルギーという言葉について、何年か前の発表で五十嵐さんと同席した時に私は賛成したんですけど、ああその通りですね、という様な事を言ったんですが、その後ちょっと考えてみてですねえ、なかなか思い出せないんですが、なぜ並進のエネルギーだけを特別扱いするんだろうか、というので、並進というのだけを特別扱いするというのは、圧力なんかは並進だけだと思うんですが、例えば平衡でないものが熱平衡に達する時には回転や振動のエネルギーだって、例えば並進のエネルギーが回転や振動の方へ行ったり、振動や回転のエネルギーが並進の方へ行ったりしないと、等重率・・・等重率って言うのかなあ?1自由度当たりのエネルギーが同じに成るという、成らないですよねえ。
という事は並進だけ特別なのかなあ、というのをチョッと疑問に思います。
五十嵐 それで、まあ、先生に聞いて頂いた時は丁度私が何年か前岩手大学でここの学会秋にあったときに提案したんですよ。
その時も会場から色々質問があってたんですが、その時に皆さんに説得できるものがちょっと足らなくて、まあ仮説のままで終わってしまってたんですが、昨年ですねえ大阪で、まあ物理教育学会の研究大会があった、その時に、良い実験を考え付いたんですね。
思考実験です、もちろん。
で、それはどういう実験かって言うと、単原子分子の例えばヘリウムガス、それから2原子分子の何でも良い酸素でも良い窒素でも良い、それを、それからもう一つは、まあ例えば3原子分子の様な、気体の3原子分子ね、何か今悪者に成ってるCO2、そういう気体をそれぞれ別々のフラスコの中に入れて、その中に温度計入れて、全体を恒温槽に入れとくと。
で、しばらく経って熱平衡状態に成った時に、温度計の目盛りはどうなってますか?
こうやって考えてみますよね。
そうすると、当然熱平衡状態ですから、単原子分子だろうが2原子分子だろうが、3原子分子だろうが、それぞれの気体の入れてある温度計は同じ目盛り指してるわけですよ。
という事は、運動の自由度は、2原子分子や3原子分子は多くは成っているけれども、
温度計で測定してるものは結局何だったのかって言うと、単原子分子の例えばヘリウム気体のトランスレイション、ランダムな、それだけなんですね、引っ掛かって来るのは
宇田 いや、その部分が「並進の」じゃなくて「1自由度の」なんじゃないんですか?
別に並進じゃなくて。
五十嵐 いや、1自由度じゃなくて、3次元的に言うんですよ。
3次元的なトランスレイショナルなランダムな運動のモードだけが引っ掛かって来る。
それは何故かって言うと、一番簡単な場合は、理想気体ですが、ボイルの法則が、単原子分子だろうが2原子だろうが3原子にも、あれが成り立っている、という所の方を良〜く考えてみると、結局は、エナジーとしては、先ほど言いましたが、そういう回転とか振動のモードでエナジーは分配されます、等配則。
だけど実際に温度に寄与している、温度をプロデュースしているのっていう、運動のモードはランダムなトランスレーショナルなモーションだけ。
液体も固体も。
それで、先ほどは気体だけにしましたが、今度は気体のヘリウム入れたもの、次は液体の例えば水なり水を入れたもの、次は固体、ちょっともうこれを中に入れるの難しいですが、それをやはり同じ様に温度計入れて、一つの恒温槽にしばらく入れておくと。
するとやっぱり温度計同じ目盛り示すわけですよね。
そうすると固体の場合あるいは液体の場合で、結局
温度計で測ってる運動って、ミクロに見てですよ、分子の、何なのかって言うと結局ランダムなトランスレイショナルな話
まあ、それが2番目の思考実験です。
宇田 まあ、賛成できない部分があります。
座長 もう時間が来ておりますので、今の議論されてる事をですね、五十嵐先生、次の御講演に行って、是非また議論していただければと思います。
24pRF-2の質疑応答時間にも私は発言したが、時間不足のため、上記の議論の続きは出来なかった。
私の発表24pRF-4の終了後の発言内容は次の様であった。
発言者 発言内容 注釈
宇田 五十嵐さん、思考実験考えました。
まず、2原子分子気体が並進運動を全く持ってなくて、並進運動エネルギー・ゼロで、全部回転だけしてたとしますねえ。
で、それをずっと放っておくと、回転と振動と並進の運動エネルギーが全部等しく成って行きますよねえ段々、熱平衡に達して。
その過程において、回転の運動エネルギーが、ぶつかったりする時に並進に変わったりするわけですよねえ。
(それはあるby五十嵐)
という事は、何か2原子分子気体の中に温度計を挿し入れた時に、温度計へのエネルギーの移り方というのは、並進だけじゃなくて、他の自由度からも移ってるって事じゃないですか?
私は、この思考実験を、五十嵐さんの発表が終わってから、ここまでの間に、即席で考え出しています。
これは私の能力でも難しい事なので、この時には運良く出来て得意な気持ちでした。
五十嵐さんの発表に、五十嵐さんが思考実験だと主張するもの、が出て来たので、それへの当て付けのニュアンスを込めて思考実験で反論しています。
五十嵐 う〜ん、だけども、まあ、熱平衡状態に成った時を考える限りにおいては、結局は・・・
途中のプロセスはね、エネルギーというのは、分配されたものは、温度が下がって来れば、回転や振動のエネルギーは、トランスレイショナルに変わったりして行くんだけども、だけど回転してる時のエナジーそのものが多いからと言って、それが即温度が高く、それには成ってない。
もちろんトランスレイショナルには移り変わるんだけど。
トランスレイショナル(translational)は、トランスレイション(translation)という名詞の形容詞形です。
トランスレイション(translation)は並進という意味の英単語です。
宇田 ええ、ええ、僕が言いたいのは、並進のエネルギーだけを特別扱いするんじゃなくてですね、五十嵐さんが並進の運動エネルギーと言ってるものを、1自由度当たりの運動エネルギー、まあ並進だったら3だけど。 -
五十嵐 うん、3にしないとダメです。
1自由度じゃあダメなんです。
3次元空間を動き回ってるから、3つの自由度は持ってる。
だけども、回転とか振動のエナジーも、もちろん、温度が下がれば、トランスレイショナルに、ぶつかったりした時に、トランスファーする、それは、もちろんそうです。
相互に移り変わってる。
そして結局は、一番その温度で決まるエナジー分配の仕方で、熱平衡は達せられる。
-
宇田 そうすると、並進以外の回転や振動の運動エネルギーが「ぶら下がり」だ、という思想はどこから出て来るんですか? 五十嵐さんが発表中に、並進以外の回転や振動のエネルギーが「ぶら下がり」だ、と発言した事を受けてのものです。
五十嵐 それは、ただ、エネルギーをもらってるんだ。 回転や振動の自由度は並進の自由度から、ただ、エネルギーをもらってるんだ、という意味です。
宇田 だって、回転や振動から並進へ行く場合だって、あるんでしょ? 並進の自由度が回転や振動の自由度からエネルギーをもらう場合だってあるんでしょ?という意味です。
五十嵐 うん、もちろん、あるけど、それは温度が下がった時、温度が下がると。
例えば、それは、熱平衡状態よりも温度の低い部分の気体分子は、そういう事はある。
それは、熱平衡状態よりも温度が低いから、どういう形でエナジーもらうかって言うと、衝突をするけども、衝突の時に回転してるヤツからぶつかられれば、そこのエナジーはもらう、そこから。
その代わりに、ぶつかられた方が、(未終止)
五十嵐さんが、温度が高いか低いかの違いを、非平衡か平衡かの違いと混同しているらしい事を、この発言から私は感じます。
宇田 僕は、温度が高い低い、じゃなくて、偏りだ、と思うんだけど。
回転や振動にエネルギーが偏在してる場合には、並進(未終止)
ここで私は、非平衡を偏りという言葉で表しています。
回転や振動にエネルギーが偏在してる場合には、並進が回転や振動からエネルギーをもらう、という意味の事を言おうとしています。
五十嵐 偏在はねえ、しない。
もう熱平衡状態だとキチッと、(未終止)
この発言は、私に、ドジョウスクイにおいて感じられるであろう様なストレスを、感じさせました。
何故かと言うと、直前の宇田の発言は1つ前の五十嵐さんの発言に対するものであり、そこでは非平衡状態から熱平衡状態に移る過程が温度が下がって行く過程として表現されており、宇田は直前の発言で、それを、温度が下がる過程ではなく偏りが無くなって行く過程だ、という風に正したからです。
熱平衡状態を考えるから偏在はしない、と言うのだったら、1つ前の五十嵐さんの発言における「温度が下がる」って何なの、という事に成ります。
宇田 いや、熱平衡状態に成る前。
-
五十嵐 うん、成る前は別ですよ。 -
宇田 成る前から出発するんですよ。
成る前から出発する事によって、成った時に、(未終止)
成る前から出発する事によって、成った時にどのようなエネルギーのやり取りが行われているか、を推し量ろうとしている、と言おうとしています。
五十嵐 成る前とか、成って今度は違う状態に成った時は、インターメディエイトの場合より(この後4秒程度が聞き取れない)
それは、もう、色んな相互にエネルギーは変換し合いながら、エネルギー・トランスレイションだから、ある状態に変化して行くんだね。
エントロピーが決まって行く。
-
宇田 うん、詳細は難しいかもしれないけど、回転や振動から並進にエネルギーが行くんだという、ねえ、移って行くんだという事だけで、並進だけが特別という事じゃない、というのが言える、と思うんだけど。 -
五十嵐 うん、だけど、実際に、さっきも言った様に、単原子や2原子や3原子を一緒に入れるフラスコに入れて、温度計入れて、恒温槽に入れておけば、みんな同じ温度を示したんだよ。
運動モードが違ってる、にもかかわらず。
だから、内部エネルギーとしては2原子や3原子の方がたくさん持ってる、にもかかわらず、温度計の目盛りは依然として、同じ温度なんだ。
じゃあ温度計で測ってる温度って一体何なの、分子がこうぶつかってる、ランダムにね、(未終止)
-
宇田 あの〜、内部エネルギーは違うけれど全部同じ温度、いう所までは良いと思うんですよ。
だけれど、(未終止)
ここでの「あの〜」は、多分、相手の話中に自分の話の切り出しを打診するテクニックとして用いられたものだった、と思います。
五十嵐 だから、ね、内部エネルギーは違う。
だけど温度は同じだ。
これは一体どういう事なのか、って言うと、さっき言った、(1/2)mvの平均値ね、2乗平均が、同じだ。
分子の大きさとか、たくさんの振動持ってるヤツは、内部エネルギーは高い。
だけど、温度として効いて来る平均のエナジーはイクオールなんだ、不思議な事に。
それは何故そんな事に成ったのか、と言うと、宇田さんが言う様に、圧力(この後1.3秒程度が聞き取れない)
トランスレイションだけの(この後2秒程度が聞き取れない)
「(1/2)mv」は「(1/2)mv2」の言い間違えだ、と考えられます。
宇田 だからエネルギーが、要するに、気体から温度計、温度計から気体に、という風に、こう、移る形態が並進だけだ、って言うんでしょう? -
五十嵐 そうそう。 -
宇田 その部分が違う、と思います。 -
五十嵐 もし違うんならば、例えば2原子分子の方が、温度計上がって見えてしまう。 思ってもいないのにウッカリ「そうそう」と言ってしまったのではない事を、この発言が裏付けています。
宇田 成らないです。 -
五十嵐 違うん? -
宇田 成らない。 -
五十嵐 じゃあ、なぜ同じに成る? -
宇田 だから、それは、(未終止) -
五十嵐 じゃあ何故? この発言は、宇田の発言に対する妨害としてしか、機能していません。
宇田 うんと〜、あのぅ、え〜、それが何故かを説明する事は、(未終止) -
五十嵐 なぜ、(未終止) この発言は、宇田の発言に対する妨害としてしか、機能していません。
宇田 うん、それが何故かを説明するこ(未終止) -
五十嵐 なぜ同じなの? この発言は、宇田の発言に対する妨害としてしか、機能していません。
宇田 それが何故かを説明する事は、さっき僕が間違って等重率の法則と言ったけど、エネルギー等分配の法則。(未終止) この様に相手の声で自分の発言が連続して何度も遮られた場合、「遮らないで下さい」という風に話の仕方に入って行ってしまうと、本論を見失う恐れがあります。
ここでは私は、その点に特に気を付け、腹は立つけれど、相手の質問が同じなのだから、辛抱強く何度でも最初から言い直しました。
五十嵐 そう、等分配だね。
エネルギー等分配則によって、全てにエネルギーが分配されて行く。
宇田の発言の出だしを聞いて、その後に続く部分を予想し、それを、宇田に言われる前に言おうとしている、と感じました。
予想は外れています。
宇田 うん。
だから、それが何故かを説明する事は、エネルギー等分配の法則が何故成り立つかを説明する事です。
だから、それは僕には理由は分からないけれど、(未終止)
私は、この発言の優秀さを、特に強調したい。
もし、単に「分からない」とだけ答えれば、理由が説明できない意見を主張するのは間違いだ、という利いた風な反論をされて、仮想審判員に誤解される危険があります。
五十嵐さんの「じゃあ、なぜ同じに成る?」を聞いた瞬間に、そう成ってしまった人が何人も居るだろう、と思いました。
左記の発言では、理由が分からなくても良いのは何故かを、先回りして述べる事により、詭弁の芽を未然に摘んでいます。
それだけの事に瞬時に気を回して発言に反映させるのはスーパースキルだ、と思います。
五十嵐 だから、エネルギー分配則からすれば、そういうモードがあれば、エネルギーは分配されるわけです。
分配されたからと言って、その分配されたエナジーが、温度にディペンドはするけど、温度依存性を持ってるから、(未終止)
-
宇田 あのぅ、気体と温度計の間のエネルギーのやり取りが並進のチャンネルだけを通して行なわれる、という事に対する反論を今やってるんですが、それはね、だから、エネルギー等分配の法則によりますと、事なんですよ。
だから、(未終止)
-
五十嵐 だから、エネルギー等分配の法則によって、然るべき自由度に分配はされてるけども、ね、だけど一方、単原子分子はそういうモード持ってなくても、ランダムな分子運動してるでしょう。
それは何なの?何故なの?
-
宇田 いやあ、もともと、だから、余分な自由度が無くて、1自由度当たり幾ら幾ら、1自由度当たり幾ら幾ら、という事を、(未終止) -
五十嵐 結局、それと、それからもう一つは、今はまあ別々のフラスコを考えたけども、別々のフラスコじゃなくて1つのフラスコの中に、違った種類の単原子や2原子を入れて、同じ事をやっても、熱平衡状態に成ったら、どういう状態に成ってるかって言う、それぞれの運動エネルギーの平均値は、結局等しく成ってる。 -
宇田 それは間違ってないですよ。
運動エネルギーの平均値が等しく成ってる、って言うのは間違ってないけれど、僕に言わせると、そう表現せずに、回転や振動まで差別せずに、運動エネルギーの平均値の3分の1が1自由度当たりの平均のエネルギーに成ってますと、そういう言い方の方が良いんじゃないか、と思ってね、
-
五十嵐 それは、まあ、分かり易いんだけど、でも、実際に温度にディペンドする運動と、温度を積極的に温度計で測ってる温度って何か、って言うのを考えて行くと、(未終止) -
宇田 ああ、例えばねえ、例えば、こう言うのを考えたらどうですか。
温度計の壁面の分子が、あるじゃないですか。
そこにね、気体の分子が回転しながら当たる、と。
(ジェスチャー付きで)回転しながら当たる時に、並進でボーンとぶつかるんじゃなくて、まさに回転している端っこの分子がカーンと当たって、で、当たる事によって、こっちの壁面の分子が、運動エネルギーが増えて、で、回転していた分子の回転がね、弱まったとしますよ。
そういう事だって中には有るはずなんですよ。
(それはあるby五十嵐)
だから、並進のエネルギーだけをチャンネルにしてエネルギーのやり取りが行われている、のではない、という。
ものすごく、具体的なイメージで言うと、そう。
ここまでは、エネルギー等分配の法則を成り立たせるエネルギー移動が気体内部だけでなく気体と温度計の境界でも起こっているはずだ、という説明をしようと思っていましたが、五十嵐さんに対しての場合にはもっと具体的に言った方が良いかもしれない、という事と、具体的に説明する方法に、気付き態度を変えました。
「ああ」と発語した瞬間が、気付いた瞬間です。
「回転している端っこの分子」は誤りで、「回転している分子の端っこの原子」と言うのが正しい。
五十嵐 もちろん。
エネルギーのやり取りをしてる時は、もちろん全運動モードで行なわれてる、エネルギーのやり取りは。
これで、「そうそう」に対する論駁が、完了した事に成ります。
五十嵐さんが直前の私の主張を受容するか拒絶するか一瞬迷った後に「もちろん」と発語して受容した様に、私には見えました。
だから、もし私が具体的に言わない方法で説明していたら、五十嵐さんは私の意見を拒絶していた可能性があり、具体的に言う説明方法に切り替えた私のトッサの判断が、功を奏した気がします。
しかし、相手の意見に対して、まずは間違いだ、と主張し、どうしても認めざるを得なく成ると、それを「もちろん」だと言う事は、五十嵐さんの不徳の致す所だ、と思います。
宇田 う〜ん、だけど、さっきは、そうは言わなかったし、(未終止) 「さっき」とは「そうそう」の事です。
五十嵐 いやいや、エネルギーのやり取りは、もちろん、全運動の自由度を通して、エナジーはトランスファーされてる。 -
宇田 う〜ん、そうすると、並進を特別扱いする理由は無いじゃないですか? もちろん」という言葉に憤りを覚えるが、そこをつつかない選択をしています。
「もちろん」と言われようが、論駁の完了は揺ぎ無い、という冷静な判断が背景にあった、と思います。
ここで私は、冷静さに加えて忍耐力も発揮しています。
五十嵐 いや実際、だから、単原子や2原子や3原子という事で、考えて行くと、何故みんな同じ温度を示してるか、ね、エナジーは違うにもかかわらず。 -
宇田 だから、それは、温度が「1自由度当たり」で決まるから。
自由度の数が多いからと言って温度が上がったりはしません、という事ですよね。
-
五十嵐 いや、温度は1自由度で決まるって、それはどういう意味?
どこに、あるの?
-
宇田 だから、エネルギー等分配の法則。
ああ、違うか?(独り言)
ああ、等分配、そうだ、そうだ、そうだ、うん、うん。(独り言)
ここで、私は、エネルギー等分配の法則は、エネルギーが全ての自由度に等しく分配される、という事を言うだけであって、その値がkT/2である事までは言わない事に気付き、「ああ、違うか?」と発語した後、自分が以下の見解を述べるのを楽しみに待っていた事を思い出し、「ああ、等分配、そうだ、そうだ、そうだ、うん、うん」と発語しています。
---
エネルギー等分配の法則を、並進、回転、振動という様な自由度の種類にエネルギーが等分配される、という考えとしてではなく、分子の番号まで区別して、どの分子のどの種類の自由度にもエネルギーが等分配される、という風に理解すると、熱い物体から冷たい物体へのエネルギーの移動も、エネルギー等分配が成立して行く過程として理解され、この事から、1自由度当たりのエネルギーが大きい物体から1自由度当たりのエネルギーが小さい物体へとエネルギーが移動する事が分かるので、1自由度当たりのエネルギーが温度の正体(温度の単調増加関数)だと分かる。
五十嵐 いや、エネルギー等分配って言うのは、1自由度当たりに分配されるエネルギーが、(未終止) -
宇田 等しい、という事ですよね。 -
五十嵐 等しく成る、う〜ん。 -
宇田 だから、全体のエネルギーが、自由度が多ければ、そりゃあ、大きければ、全体のエネルギーは大きいけれど、その事と1自由度当たりのエネルギーは関係ありません、という事です。 -
五十嵐 宇田さんの言い方をすると、1自由度当たりに分配されるエナジーは、温度によって決まってるだろう。
(うん、そういう事ですかねえby宇田)
だから、うん、というのは、1自由度当たりの運動エネルギー。
-
宇田 うん。
ああ、まあ、運動とは限らないけど。
振動なん(未終止)
-
五十嵐 振動も全部運動ですよ。
振動って運動は、(未終止)
-
宇田 振動はポテンシャルに行ってる瞬間があるじゃないですか。 -
五十嵐 いや、それも、結局は運動よ。 -
宇田 そう言うんですか? -
五十嵐 固体の場合は、結局、1つのモデルなんですね、あれは、いわゆるラティス・バイブレイションは。
あれ、単なる理想化したモデルで、ホントは、原子や分子は、まあ、これも正確じゃないんだけど、ほぼまあ釣り合いの付近に、ランダムに、やっぱり運動してるんです。
そのランダムな運動の1つのモードがハーモニックに揺れてるのが振動モード。
だけど、1つの分子を全て振動に百パーセント自由度を出してるんじゃなくて、同時に、さっき言ったランダムなアレにも成ってるし、振動モードにも成ってるし、回転もしてるわけだ。
分子の内部振動の話をしているのに、どうして格子振動の話が出て来るのか、理解に苦しみます。
宇田 うん。(相槌)
回転は、まあ、運動と言っても良いでしょうね、回転はねぇ。
-
五十嵐 回転、それからトランスレイショナル、振動ね。
そういうものが、(未終止)
-
宇田 振動はねぇ、ちょっと、運動言うのはマズイ、と思います。 -
五十嵐 いや、1つの分子が同時に持ってる。 -
宇田 振動の自由度に付与されているエネルギーは、これは、運動エネルギーと言うのは、ちょっとマズイ、と思います。
運動に成ってる瞬間もあるけど、全部ポテンシャルに成ってる(未終止)
-
五十嵐 隣の原子の中に、ぶつかった事によって、そこに蓄えられている。 -
宇田 そうですねえ。 ここで私は不用意に同意してしまっていますが、五十嵐さんによる直前の発言の意味を私は理解していません。
「そうそう」に対する論駁完了後は、会話を正常終了させるべく、出来るだけ新規に争点を作らない様に努めました。
五十嵐 それが、出たり入ったりしてる、という事ですよね。 -
宇田 それとねえ、後ねえ、ちょっとギャグなんですけど、面白いギャグを。
「それじゃ、いっそのこと、五十嵐さんは、熱力学と言わずに温度力学って言ったらどうですか」っていう。
これは、五十嵐さんが発表の中で、熱エネルギーと言わず温度エネルギーと言うべきだ、と言っている事に対する皮肉です。
五十嵐 (聞き取れない) -
宇田 ああ、そうなんですか?
おあ、そうなんですか?
-
五十嵐 誰も反対してない。 -
宇田 ホントに?
あ〜、そうかぁ。
やっぱし、(未終止)
-
五十嵐 今年ねぇ、広島へ発表行った時はねぇ、シモダ先生って御存知? -
宇田 シモザワ先生? -
五十嵐 シモダ。 -
宇田 シモダ先生、聞いた事あるかもしれない。 -
五十嵐 物理教育学会の前々会長さん。 -
宇田 ああ、そうですかぁ。
は〜。
-
五十嵐 シモダ先生。 -
宇田 はい。 -
五十嵐 シモダ先生が、(1秒程度聞き取れない)運動をミス・コンセプションだった、と言ってる。
(1秒程度聞き取れない)ね。
それは、サーマル・エナジーの、五十嵐さんが言う様に、日本語訳が変(この後4秒程度聞き取れない)
私は、(この後5秒程度聞き取れない)
そうすりゃあ解決しますね、と。
先生自らが仰って、ビックリした、僕が言ってる事を、言ってくれて。
あんたが発表したアレ聞いてると結局、まあ昔から問題だったんだけども、サーマル・エナジーに対する日本(2秒程度聞き取れない)まあ適切じゃないみたいだから。
温度エネルギーというのは。
-
宇田 そうですよねえ。
あの〜、(未終止)
ここでの「そうですよねえ」も、不用意な同意だったかもしれません。
五十嵐 それと後(6秒程度聞き取れない)工学の日本の権威の。 -
宇田 ああ、そうですかぁ、う〜ん。
あの〜、色んなエネルギー、何々エネルギー何々エネルギーという、こう、アレをズラーッと並べて、それで、こう、比較検討してみると良いですよねえ。
そうすると、揃え方が分かって来たり、するかもしれない。
ここでの「揃え方」というのは、エネルギーの名称の揃え方の事です。
五十嵐 熱は中身が無いのね、仕事と同じだから。
-
宇田 あ〜。
あ、そうそう、それが一番良いと思いますよ。
熱(未終止)
分類としては熱は仕事と同類だという考え方が一番良いと思う、という意味です。
五十嵐 あとはねえ、全部ねえ、みんな実態あるんですよ。
(10秒程度聞き取れない)
-
宇田 うん。
熱については、まあ、ほとんど、仕事の一形態である、とか、特殊な仕事である、とかね。
-
五十嵐 仕事と非常に性格が似てる。
出入りするエナジー。
-
宇田 と言うか、性格が似てる、というだけじゃなくて、実際たとえば、2つの物体が接して、片方から片方に、こう、熱としてエネルギーが移る時には、接している物体同士の分子が、もう片方の分子に、力を加えながら押すわけですよねぇ、結局ねぇ。
まあ、弾性衝突みたいな描像を持つと、接触の時間が一瞬だから、仕事を出来ないけれど、まあ、それも、(未終止)
「弾性衝突みたいな描像を持つと、接触の時間が一瞬だから、仕事を出来ないけれど」の部分は言い間違いです。
正しくは「剛体球どうしの衝突みたいな描像を持つと、接触の時間が一瞬だから、仕事を出来ないかに見えるけど」と言うべきでした。
五十嵐 非弾性散乱して、トランスファーされる。 -
宇田 う〜ん、チョッとその辺の事は、僕もハッキリは言えないですが、まあ、そういう意味で、どう言うんか、似てるだけじゃなくて、もう、ほとんど仕事なんですよねぇ、アレねえ、熱はねぇ。 -
五十嵐 ある意味では、光にしても、力学にしても、電磁気にしても、全て、内部エネルギーに成(1秒程度聞き取れない)
仕事は介在しません、仕事はね。
-
宇田 ああ、はあ、はあ、はあ。
そうかぁ。
ここでは、五十嵐さんの発言を聞いて、力学的ではないエネルギー交換の可能性に、そういうのも有るなあ、という風に気付き、「そうかぁ」と言っていますが、熱は仕事だ、という私の意見に対する反論に納得しているわけではありません。
そもそもの五十嵐さんの問題設定が力学系の温度についてだから、ここでは、仕事という力学概念で考える事は妥当です。
五十嵐 で結局、熱も、(3秒程度聞き取れない)
結局は、トランスファーされた相手の中には変数は入って来ないんですよ。
-
宇田 え〜と。
ああ、そこはねぇ、ちょっと僕は追えてないです。
はは、追えてないです。
何か難しい式が書いてあるなあ、と。
-
五十嵐 温度が高い(聞き取れない)で表す時がある。
それは面白い。
でも、運動そのものじゃあ、ないんだよね。
-
宇田 熱が? -
五十嵐 運動そのもの、じゃあない。 -
宇田 温度が? -
五十嵐 うん、いや、熱。 -
宇田 あ、熱がね。 -
五十嵐 分子の運動そのものじゃあない。 -
宇田 ああ、そうですねえ。 -
五十嵐 衝突を通してトランスファーされた平均のエナジーを言ってるだけで。
運動そのものが持ってるエネルギーという言い方調べると、また、それだったら、(この後5秒程度聞き取れない)
-
宇田 あの〜、熱エネルギーという言葉も、熱という言葉をエネルギーだという風に思って、熱エネルギーと言うと、そりゃ確かに間違いですけど、アレを、熱種のエネルギー、熱現象の種類のエネルギーである、という風に、熱種のエネ(未終止) -
五十嵐 僕はねえ、熱現象という言葉はねえ、適切じゃない、と思うんです。
(2秒程度聞き取れない)温度(1秒程度聞き取れない)
温度が高く成った低くなったで、色んな物質が変わり、現象が起こって行く。
熱そのものが(この後1秒程度聞き取れない)
温度なんですね。
-
宇田 そりゃ、だけど、熱現象というか、温度現象というか、それが解明された後の話であって、(未終止) -
五十嵐 だから僕は、温度の、(2秒程度聞き取れない)ですよ、という事が見えて来たから、それに基づいて考えて行くと、(この後20秒程度聞き取れない) よく聞き取れない部分の中に「テンペレチャー」という言葉が入っています。
テンペレチャー(temperature)は温度という意味の英単語です。
宇田 うん、テンペレチャーね〜。
あの〜、何ですかね〜、元々は熱素説とかが有ったわけじゃないですか、ねえ。
それで、あの〜、その〜、(未終止)
-
五十嵐 ラボアジェがねえ、熱に元素を与えたんだ、ラボアジェが、はっはっは。
あの、化学、酸化の、大気中の酸素を結び付ける、そんな事をやった大化学者にもかかわらず、熱に対しては、元素(この後1秒程度聞き取れない)
-
宇田 だから、昔熱素と考えられていた物が、実はそんな物質じゃなくて、何か内部エネルギーなんですよ、という様な、ランダムな運動のエネルギーなんですよ、というか、それが解明された事に因んでね、因んで、(未終止) -
五十嵐 解明は、だから、されてないわけでしょう。
僕が言ってる事を認めれば、運動エネルギーで終わってるわけじゃなくて、熱は運動エネルギーそのものじゃないから。
ね?
-
宇田 うん、熱は移動なんだけど、熱素という言葉が使われていた時代は、まだ解明されてない時代は、熱を移動とは考えてなくて、熱を熱エネルギーと考えてるじゃないですか。
熱素というのは、あれ、まあ、今流に言うとエネルギー(未終止)
-
五十嵐 物質と思ってるね、熱の物質だと。 -
宇田 うん、だから、それが解明されて、熱素だ熱素だと言ってたのは、幽霊の正体見たり枯れ尾花で、コレコレのものでした、という事に因んで、熱エネルギーという言葉を使う、というのは、まあ、なかなか良いんじゃないか、とも思うんだけど。 -
五十嵐 日本の子供たちは、熱エネルギーは、ね、そういう言葉で学んだ場合は、中学校の、まあ、ほとんどの話、そう成っちゃったんだけど、だから、温度と区別がつかない、よね。
そして、熱が物体の中にあるんだと、ね。
特に日本の考え方は、我々の温度が上がると、体温が上がってるのに、熱が発生した、って、そういう風に理解する。
英語圏の場合(この後2秒程度聞き取れない)体温が上がってる、(この後5秒程度聞き取れない)
-
宇田 あと、お熱測りましょうか、の熱なんですけど、熱なんだけど、あの漢字って、熱い、っても使いますよね。
ネツイと書いてアツイって使いますよね。
-
五十嵐 ふっふっふっ
-
宇田 そこまで直せと言えるか、という、うん。
そりゃあ、日常用語の中から物理学者が勝手に取捨選択して、専門的な意味を付与しているわけで、うん。
-
五十嵐 (1秒程度聞き取れない)適切な言葉(3秒程度聞き取れない)ちゃったから余計にね。 -
宇田 う〜ん。
まあ、そりゃあ、アレですよねえ、英語なんかでも、やっぱし、専門用語を作る時には、もともと日常用語が下敷きに成ってますよねえ、大抵ねえ。
-
五十嵐 成ってるんだけども、結構(未終止) -
宇田 それは、そういうものに関しては、まあ、(未終止) -
五十嵐 考え方って、結構厳密に考えてるでしょ、 -
宇田 そうですねえ。 -
五十嵐 (1語程度聞き取れない) -
宇田 はい、はい。 -
五十嵐 特にドイツ語圏とか。 -
宇田 はぁ、ドイツ語は、そうらしいですねえ。 -
五十嵐 ねえ? -
宇田 う〜ん。 -
五十嵐 (5秒程度聞き取れない)英語は(1秒程度聞き取れない)日本語は全く変化して無い。
-
宇田 う〜ん、そうですねえ。 -
五十嵐 特に、サイエンスを学んで行く上で、(1語程度聞き取れない)障害(1語程度聞き取れない)。
言葉の上ではハンディが有る。
-
宇田 う〜ん。
まあ、あの〜、どうなのかなあや、温度エネルギー。
-
五十嵐 質問側は良いんだけど、分かってる、(3秒程度聞き取れない)他の人は、そこで、しっかり考えようとするのは、分かる気がする。 -
宇田 う〜ん、そーね〜、ひょっとすると、まあ、そうな用語の整理というのも、した方が良いとこが、(未終止) -
五十嵐 ものを深く論理的に考える時に、言葉って大事なんだよね。(この後1語程度聞き取れない)
-
宇田 大事ですねえ。 -
五十嵐 人間にとって。 -
宇田 はい。 -
五十嵐 思考(1秒程度聞き取れない)言葉は大事でしょう。 -
宇田 まあ、言葉でも、しますねえ、人間はねえ、はい。 人間は言葉で思考する、と言った偉い哲学者が居るらしく、この話題が出た時には、私は、ウッカリそれに同意しない様に気を付けている。
五十嵐 (1語程度聞き取れない) -
宇田 はい。
重要な事を結構、言葉でもしますよねえ。
言葉以外も有るけど。
-
五十嵐 文科系の学生に言われたんだけど、「先生、図は使わないんですか?」 -
宇田 へ? -
五十嵐 図は使わないんですか? -
宇田 ああ、ああ、「図は」ねえ。
はあ、はあ、はあ。
はあ、はあ。
-
五十嵐 図はねえ、(この後6秒程度聞き取れない)
言葉で分かる様にしないと、本当に説明した事に成りませんよ、
-
宇田 あ〜、そりゃあ、なかなか鋭い。 -
五十嵐 ホントだね、正に。 -
宇田 は〜、そうですか。
そりゃあ、まあ一理ありますねえ、一理ありますねえ。
学術的な事は確かに、図を描いて、はい証明終わりです、と言っても、
-
五十嵐 分かった人は(1秒程度聞き取れない)分からない人は、図のどこをどう見ればいいのか、分からない。
分かったつもりに成ってるの(未終止)
-
宇田 学術論文に文字が無くて図だけ描いてあっても論文として成立しない、ですからねえ。
論文は、あくまで文ですからねえ。
-
五十嵐 どこを見て欲しいのか、何を記してるのか、キチッと言葉を添えないと、伝わらない、正確には。 -
宇田 ああ、そうですねえ、うん。 -
五十嵐 (10秒程度聞き取れない)情報量が多過ぎて。 -
宇田 う〜ん、なるほど、情報量が多過ぎて、というのは、良い理由付け -
五十嵐 図とか、図解したり、色んなグラフとか、何か、分かり易い様な図だ、みたいなの出てるけど、どこをどう見ていいか、ホント説明をキチッと、やって行かないと、ホント分からない。
(1語聞き取れない)の説明は(1語聞き取れない)から整理しないと、たくさんの情報が入ってる(2秒程度聞き取れない)書き込んでね。
-
宇田 はい、そうですねえ。 -
五十嵐 (1フレーズ聞き取れない) -
宇田 あはは、こちらこそ。
東京からですか、五十嵐さんは?
-
五十嵐 (1フレーズ聞き取れない) -
宇田 じゃあ、けっこう近いですねえ。 -
五十嵐 (11秒程度聞き取れない) -
宇田 え? -
五十嵐 特急が。 -
宇田 ああ、止まったんですか?
うわ〜、そりゃ大変だ〜。
-
五十嵐 (2秒程度聞き取れない) -
宇田 はあ〜。
じゃ、お疲れ様でした。
-
五十嵐 (1フレーズ聞き取れない) -
宇田 ああ、ご苦労様です、どーも。 -
以上。
この対話で私は次の2点も述べた様に記憶している(述べている時の光景が目に浮かぶ)が、何故か記録には残っていない。
ひょっとすると、これらは、言おうとして頭の中で強く念じている瞬間に五十嵐さんの発言が始まった、等の理由で、言わなかったのに言ったつもりに成っているものかもしれない。
それから、温度計で測られているのは並進運動だけだ、という五十嵐さんの意見、に対する反駁が完了した時点で、今日はこれだけで十分とし、これ以上欲張らない事にしよう、と判断した事も覚えているので、実際言わなかったのかもしれない。
しかし、これらは、エネルギー等分配の法則が理由だ、とする私の発言の真意を理解する上で重要な事なので、以下にそれを書いておく。
第1点 エネルギー等分配の法則が成立しており、それを成り立たせるためには、並進、回転、振動相互間のエネルギーのやり取りが必要(僕が冒頭で提示した思考実験は、この必要性を説くもので、熱平衡に成る前を考える事によって熱平衡でのエネルギーのヤリトリを推し量るものです)だから、気体内部では並進、回転、振動相互間のエネルギーのやり取りが存在するはずだ。
ここまでは発言されている。
そして、それは、気体内部で起こっているならば、気体と温度計の境界でも起こっているはずだ。
具体的なイメージで言わない言い方としては、こう成る。
第2点 エネルギー等分配の法則を、並進、回転、振動という様な自由度の種類にエネルギーが等分配される、という考えとしてではなく、分子の番号まで区別して、どの分子のどの種類の自由度にもエネルギーが等分配される、という風に理解すると、熱い物体から冷たい物体へのエネルギーの移動も、エネルギー等分配が成立して行く過程として理解され、この事から、1自由度当たりのエネルギーが大きい物体から1自由度当たりのエネルギーが小さい物体へとエネルギーが移動する事が分かるので、1自由度当たりのエネルギーが温度の正体(温度の単調増加関数)だと分かる。
記録では、ギャグの発言が「それとねえ、後ねえ」で始まっており、その直前が私の発言ではなく五十嵐さんの発言に成っていますが、この点が不自然な気もします。
ギャグの発言の直前に、私の発言があったのかもしれません。
しかし、よく覚えていないし、記録が間違っている、というのは、とても考えにくい。
また、「それとねえ、後ねえ」は、もっと大づかみに、温度計に掛かるのは並進運動だけか、という問題についての議論が終わった事を受けてのものだ、と解釈すれば、その直前に私の発言が無くても不自然ではなく、それは大いに有り得る。
私の今までの対人経験の中で、五十嵐さんとの対話は、非常に特殊なケースだ、と思う。
けれど、上記の対話内容には、私の今までの対人経験に共通する要素も、多々含まれている。
子供の頃、大人の話を聞いていて、その話の中に出て来た人間関係上の負の要素について、その大人に質問すると、それはもう経験した者でないと分からない様なものなんだよ、という答えが返って来る事が何度もあった。
ここに言う、私の今までの対人経験に共通する要素、とは正に、子供から尋ねられた時に、並みの表現力の持ち主では、それは経験した者でないと分からない、と答えるしかない類のものだ。
今回の五十嵐さんの私に対する態度は嫌がらせではないので、嫌がらせを例に取って説明しても、当たり障りは無かろう。
私が、子供の頃に、大人に質問して、経験した者でないと分からない、と言われても、さらにしつこく聞くと、嫌がらせを受ける、という答えが返って来た様に思う。
私の場合もそうだったけれど、大抵は、嫌がらせと答えられると、何となく分かった気に成るし、そんなに凶悪な事をされるわけでもないんだ、と思って、話はそこで終わってしまう。
そのため、その種の問題については、それ以上解明されず、いつまでも同じ手が通用し続ける事に成っているのだと思う。
また、何かを正攻法でやろうとする行ないに対して、それを阻止する実効性がある、という点で、凶悪犯罪よりも小さな問題だ、とは一概に言えない。
典型例は、政治家が官僚から抵抗を受ける、というのを良く聞くが、その抵抗って具体的には何なの、という問題だ。
圧力という言葉も良く使われるが、圧力って具体的には何なの、という問題だ。
嫌がらせにしても抵抗にしても、解明したければ、具体的にはどんな嫌がらせですか、とか、具体的にはどんな抵抗ですか、と聞けば良さそうな物だが、経験した者でないと分からない、と言われる様に、まず、言葉で説明するのが難しい。
言葉で説明するのが難しい、とは、どういう事かと言うと、一つには、言葉で具体的に言い表そうとすると、個々の事象を述べる事に成るが、問題は経緯全体に潜んでいるので、個々の事象を述べても、その問題を説明できない事だ。
もう一つは、運良く単独で問題の証拠と成る様な個別の事象を思い出せても、それを単独で述べただけでは、十分な信憑性が確保されない、つまり、聞き間違えじゃないの、とか、そういう意味で言ったのではない、と言われ得る点だ。
この点を解決しているのが演劇や小説だと思う。
そういう意味で、演劇によって(のみ)説明され得る様な事を、私は、演劇種の事実と呼ぶ。
(今までは演劇上の事実と呼んでいたが、「演劇上の」では「架空の」というニュアンスが出てしまうので「演劇種の」にしようと、ここを書きながら思った。)
テレビ等で見る演劇(ドラマなど)は、フィクションである事を口実に実質上は、演劇種の事実に分類される現実(の傾向)を、チャッカリそうではないかの様に宣伝しているが、演劇種の事実を説明するには演劇によるしかない。
上記の対話内容の書き起こしは、演劇種の事実を説明するために、出来るだけ演劇に近い表現形式を取った、という意味を持つ。
だから、言葉での説明にもかかわらず、経験した者でなくても、良く分かるのではないだろうか。
物理学特有の部分以外は、子供にも分かる、と思う。
物理学特有の部分も、この程度なら、物理を勉強した事のある子供には分かる、と思う。
演劇種の事実というものは、本当は、言葉で表現すると同じに成ってしまう複数の異なる状況(発言の音楽属性や表情まで含まれる)を、そうではなくこうだったんだ、という風に弁別的に表現した時の、表現された内容、の事だから、上記の対話内容の書き起こしは、全然それに満たないが、一部始終(経緯全体)をそのまま表現した、という事をアピールするには、演劇種の事実という言葉しか、私には思い当たらない。
ここに至って私(宇田)について何かが判明した、とお感じの方には、その判明した何かは、今そう成ったのではなく、昔(宇田が子供だった頃)からずっとそうだったのだ、という事に、目を向けて頂きたい。
だから、私がここで五十嵐さんとの対話を今までに無いぐらいに詳しく取り上げたのは、私の今までの対人経験の中で五十嵐さんとの対話が最悪だった、と考えての事ではなく、この辺でこの問題(子供の頃からずっとそうだった何事か)に手を着けておこう、と考えての事だ。
たとえば、私に、宇田はコミュニケーションが出来ない、宇田には話が通じない、宇田は意思疎通不可能者だ、というレッテルを貼っている者が居る。
それがウソである事が、上記の書き起こしから分かる。
本当は、宇田はコミュニケーションが出来ない、のではなく、宇田と話すと何が出て来るか分からないので怖い、だ。
宇田が出来ない、のではなく、相手が出来ない、のだ。
私が話さない様に話さない様にしていたところを見て、話せないと勘違いした人が居るかもしれないが、それは私の本来の姿ではない。
相手が私との対話に耐えれそうにない、と判断した時には、遠慮して黙っていた事が何度もある。
私は、何が出て来るか予め分かり切っている様な会話の方がつまらない、と思うのだが。
対話において、宇田は話が長い、とか、宇田は相手の発言の隙間にスッと入って来る、とか、宇田は相手の発言を遮る、という風に言う人が居るかもしれないが、上記の書き起こしを見れば、それらの点についても私の話し方には問題が無い、という事が、分かるだろう。
私の発言の中で長いと思われるものを、もっと短く言う事が出来るか、考えて欲しい。
短くすると今度は、分かり難いのでもっと丁寧に説明すべきだ、と批判されないだろうか。
また、じっくり時間をかけて考えれば簡潔な文章で表現できる様な事でも、とっさに口頭で表現するのは難しいものだ。
返答出来ないはずの事に返答した場合には、長くても言えてれば、それだけでも大したものだ、という評価が成り立つ。
相手がこちらに発言の機会を与えない様に切れ目なく長々としゃべる場合には、相手の話のわずかな切れ目にスッと入って行って自分の発言をする事は、美技であって欠点ではない。
欠点として非難されるべきは、相手に発言の機会を与えない様に切れ目無く長々としゃべる事だ。
上記の書き起こしを見ると、私の様に対応する事は簡単に見えるかもしれないが、五十嵐さんとのこの対話での私の対応は、スパーテクニックとかスーパースキルと言って良いと思う。
その事は、ドジョウスクイみたいなものだった、と言えば、読者にも少しは伝わるかもしれない。
心理的負担も大きかった。
だから、五十嵐さんの様なタイプの人との対話を敬遠していた人が、な〜んだ宇田の様にすれば良いのか、と思って実際にやってみても、上手くは行かないだろう。
それは、将棋の名人の絡む対局の棋譜を覚えても名人の様には指せない事や、空手の型を覚えても組み手では通用しない事に、似ている。
私のこの対話能力は、子供の頃からそうだった、わけではない。
子供の頃の私も口は達者だったが、それでも今の私の足元にも及ばなかったと思う。
したがって、子供の頃からずっとそうだった、というのは、討論で周りの人に道を踏み外させてばかりだった、という意味ではない。
私は、そこまで神童だったわけではない。
私の論旨は上に第1点,第2点として書いた様な事だから、それが通るべきものである事は、話す前から明白だった。
それでも、討論すると、こうなってしまうのだ。
討論とは、そういうものだ。
世の中には、「売り言葉に買い言葉」という成句を引用して、相手を言い負かそうとする態度を憎み、討論のその性質を盾に、口頭での討論に持ち込めば決着を回避できる、と考える人も居る。
そして、自分が一方的にしゃべるのだ。
私は、そういう態度に義憤を感じるので、そういう人に唯唯諾諾とする事は決して無い。
物理教育では、生徒に理解を深めさせるために生徒にもっと実験をさせるべき、という事が、繰言の様に言われる。
しかし私は、この意見に対しては以前から批判的で、物理学の学習において実験は必要だけれど、理解を深めるという事に関しては言葉や図や数式による学習の方が中心だ、という事を、(学会では言ってないかもしれないけど)言って来た。
今回の五十嵐さんと私の対話内容は、私のその考えの正しさを裏付けている。
私との対話によって生じたであろう五十嵐さんの思考の変化が、実験を経験する事によっても生じる、なんて有り得ない。
理解を深めるために実験を、と言う人は、その意見が正しいか否かについては、あまり実験で確かめない様だ。
実験が理解を深めるために役立つか否かを、学習前と学習後の生徒の学力を統計的に比較して調べた研究は見た事があるが、今回の私と五十嵐さんとの対話で争点に成っている様な事項が、そういう研究の網に掛かるはずがない。
つまり、そういう調査では、どういう項目について調査するかが肝心なのに、その項目の選択の妥当性は実験で確かめられていないので、全体としては、実験で確かめた事に成らない、と思う。
確か、五十嵐さんは以前は故石川孝夫先生の路線の講義実験・演示実験を研究しておられた人だ、と思う。
これは、どういうものかと言うと、大体、テレビで人気の米村でんじろう先生のやってる様な事だ。
私は、学生時代に石川先生の授業を受けた経験があり、その頃から、この路線には批判的だった。
石川先生の授業は、キャーキャー言う様な表面的な楽しさ、であって、大学生としての真面目な勉強とは別だ、と思ったから。
啓蒙活動としてなら良い、と思うけど。
石川先生は、授業で、ノーベル賞を取るアメリカ人がたくさん出だした頃からアメリカの工業は衰退した、という風に述べて、高尚な学問という路線に対する反感を露にしておられた。
これは、最近日本国内で吹き荒れている仕分けの論理に共通する心情だろう、と思う。
この様に実験というものを中心に研究して来られた五十嵐さんが熱力学における基本概念を誤解していた、という事も、実験をすれば理解が深まる、という考えへの反例に成っているのではないか。
その点、最近の五十嵐さんが講義実験とは全く別の理論的な興味を追求し始めたらしい事は、良い事だと思う。
ただ、前回お会いした時と全く同じ間違いが残っている点は、残念に感じる。

私の発表24pRF-4「進級時飛躍内容教訓化学習の勧め」では私は、講演概要の文章をそのままOHPで掲示し、それを読み上げながら、
印の部分で止まって補足説明を口述した。
発表時に用いられたOHPのコピーが、このページの下方に掲載されています。
口述タイミング 口述内容 注釈
ohp11au-13-2「・・・プロセスだ。」の直後の印の所 私には、進級時飛躍内容教訓化学習を子供にさせた経験は、ありません。
しかし、私自身が学習者として進級時飛躍内容教訓化学習を実践して来た面があります。
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ohp11au-13-2「・・・最高の問題だろう。」の直後の印の所 以下、これを最高問題と呼ぶことにします。 -
ohp11au-13-3「・・・居なかったからだ。」の直後の印の所 つまり、宇宙人を視野に入れるのでもなければ、これよりレベルの高い問題というのは、存在しません。 -
ohp11au-13-3「・・・ずっと低い。」の直後の印の所 難度については、最高問題を試験時間中に解く事は不可能だが、受験難問を試験時間中に解く事は可能だから。
重要性については、
受験難問は、自分で考え出す能力を育てても、新しい事を、ではないから。
この中の「受験難問は、自分で考え出す能力を育てても、新しい事を、ではない」の部分は、講演概要の読み上げです。
ohp11au-13-3「・・・ではない。」の直後の印の所 から。
受験難問はするな、という事ではなく、程々に、という事です。
受験難問は最高ではない、と言っているわけで、最低だ、と言っているわけではありません。
受験難問的な鍛錬を中心に行なった方が良い発達段階というものもあるでしょう。
これに対して、進級時飛躍内容教訓化学習は、あらゆる発達段階に妥当するのではないか、と思います。
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ohp11au-13-3「・・・居ないばかりか」の直後の印の所 そういう風に使う、とは、教科書を最高問題集として使う事です。 -
ohp11au-13-3「・・・存在する」の直後の印の所 講演概要には、こう書きましたが、後で違う気がして来ました。
そういう態度とは、教科書をそういう風に使う態度、の事です。
そういう発想が欠けているだけで、それを疎む空気は存在しないかもしれません。
犬のブリーダーの「まて」「よし」「おあずけ」みたいな印象も受けるんだけど、学校からね。
しかし帰宅後、やはり学校にはそういう態度を疎む空気が存在する、と思い当たった。
上の学年の内容を教えるのは学校の専売特許なのだ、という空気が存在すると思う。
だから、それを学習塾で習ったり自分で考え出したりする事は、密売や密造の様に疎まれるのではなかろうか。
私が小学生だった頃、他のクラスの担任の先生に、塾の事を塾屋と呼んで疎んでいた人が居たし、私のクラスの担任の先生も授業中、塾で学校よりも先に習った事を学校の授業で答えるな、みたいに言うのを聞いた事があり、それは私(まだ塾には行った事が無かった)に対してではなかったが、心の中で、そういう先生の態度は間違っている、と思った。
今では、時代も変わって、そこまで専売者意識を持つ先生は、もう居ないのだろうけど、それは、より良く教育するためにそう成った、のではなく、単に責任感が希薄に成っただけではないか。
映画を先に見た人が、これから見ようとしている人に、結末を言ってしまう事は、これから見ようとしている人に損害を与える行為だ、という考え方を勉強に適用しての事だったら、専売者意識との批判は当たらないし、進級時飛躍内容教訓化学習の考え方と調和するが、許可無く勝手に勉強するな、という態度は、学問の自由に対する呆れた不理解だし、場外での過ごし方によって場内でのルールに差を付ける事は不公平だから、そういう先生の態度は間違っている、という私の意見は今でも変わらない。
ohp11au-13-4「・・・困難だし」の直後の印の所 カンニングしてなくても、上の学年の教科書の内容が周知の事実である現代社会に生きているだけで、自然にそれを空気の様に吸ってしまう、という間接的なカンニングまで防ぐ事は不可能です。
例えば、極端な話し、現代の音楽を聴いている、という事が、ものすごくヒントに成るかもしれません。
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ohp11au-13-4「・・・空気もあると思う」の直後の印の所 経験談なのですが、小学校で光の直進性を習った時、私が、日影と日なたの境界のぼやけを指摘して、疑問を投げかけると、先生が「みなさん、宇田君の言う事を聞いてはいけません」状態に成りました。
それから、あとですねえ、私の宇田英才教室の日記の2007年11月25日の分と2008年1月11日の所に、学校奇談という題で、片方は題名は違ったかもしれませんが、これに類する話が掲載されております。
ホームページ、ウェブで見る事が出来ます。
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ohp11au-13-4「・・・持ち出す事なのだ」の直後の印の所 独創性や創造性を伸ばす教育を標榜している当の本人が、上記の真の独創性を「もっての外」として疎み、生徒を自分の型にはめようとしてはいないだろうか、という事が言いたい。 -
ohp11au-13-5「・・・効かないのではないか」の直後の印の所 飛び級は、教科書という最高問題集の問題を自分で解かずに直ぐに模範解答を見る学習法に相当します。 -
ohp11au-13-5「・・・出来る様に成るものなので」の直後の印の所 先まで勉強して昔の業績を馬鹿にする人が善く居ますが、こういう人は、最高問題を自分で解こうとしてどうしても解けなかったり、鼻クソの様なアイデアしか出なかったり、という経験をしていないから、その解答の創造性を正しく感じる事が出来ていない、と考えられます。 -
ohp11au-13-5「・・・適している」の直後の印の所 進級時飛躍内容教訓化学習は、無形の学習法であって定形の学習法ではないので、これを学校でやれ、とは私は言いません。
学校の勉強を普通に進めながら、それと並行して生徒個人が任意の意志で私的な営みとして行なえば良いと思います。
学校に出来る事は、聞く耳を持つ、程度の事だと思います。
ただし、聞いた内容が一定限度を超えていれば、その場限りの褒め言葉で済ませず、事件として扱う事も必要だと思います。
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以上の私の発言だけを見て、私が学校で常時先生から疎まれたり敵(かたき)の様に扱われたりしていた、という風に誤解する人が居るといけないので、私を教えて下さった先生方の名誉のために付言すると、小学校でも中学校でも高校でも大学でも、学校の先生の私に対する態度は概して好意的だった。
贔屓にしてもらった、という印象を私は持っている。
だから、上記で私が指摘している学校の先生の態度というものは、常時私に加え続けられた弾圧の様なものではなく、時折例外的に、それはいくら宇田君でもダメですよ、とか、宇田君なのに間違った事を言っている、といったニュアンスで現れるものだった、と記憶している。
また宇田君が変な事を言い出したぞ、という風に、私の独創性を宇田固有の欠点として認識していた先生も居たが、その人も、私の事を、トータルでは出来の良い生徒だ、と見ていた様だ。
小学校4年生の時に、私が出しゃばっていると、どこに行ってもそういう生徒が1人や2人は居るものなのよ、という風に言った先生が居るが、この発言は教育上良くない、と今でも思っている。
生徒の個性を否定する発言だからだ。
その時の私は、そんなに大した事を言っていたわけではなかった、と思う。
ものの本に書いてある事を、知ったかぶりをして、受け売りをしていただけだったかもしれない。
けれど、その先生のその発言は、そうであるからいけない、というものではなくて、日頃からの私の言動をひっくるめてのものだった、という風に、私は受け取っている。
そして、その発言を聞いて私は、本当にそうなのかなあ、という風に少し思ってしまった。
この事は、デマによる損害の様な負の影響を、私に与えた。
私は、先生が生徒の個性を否定するなんて、という見方よりは、このデマ文脈で、その先生のその発言を問題視している。
そういう好意的でない態度もあった。

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講演概要

24pRF-4
日本物理学会講演概要集・第66巻・第2号・第2分冊・368ページ
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質疑応答時間の問答は次の様であった。
発言者 発言内容 注釈
質問者1 飛び級は反対なんですか?(という意味の質問) -
宇田 いや、イエスかノーかと言うとノーです。
飛び級反対じゃあないです。
-
質問者1 反対じゃないけども、教育上はよろしくない、とおっしゃるんですか? -
宇田 いや、よろしくない、という事でもないです。
この進級時飛躍内容教訓化学習によって達成されるような結果は、飛び級では得られない、という事です。
飛び級は、だから、能率が良いと思うんです。
-
質問者1 進級時飛躍なんとかと飛び級はイクオールじゃないんですか? -
宇田 違いますねえ。
どちらかと言うと、無知の温存という感じかなあ、どちらかと言うとねえ。
例えば、そうだなあ、小学校の内は小学校のものだけ見てなさい、中学校の内は中学校のものだけ見てなさい、その代わり、小学校の内は、中学校の教科書に何が書いてあるか、精一杯昼寝でもしてる時に考えなさい、とか。
草むらに寝転んでる時とか、友達と遊んでる時とか、そういう時に将来何が出て来るかという事を、自分の頭で想像してみなさい、という感じですかね。
で、それを、飛び級の場合は、そういう時間を持たずに直ぐもう次を勉強してしまう、という事ですねえ。
だから能率は良いんだけど、で、その能率が良いという事が、だから最後まで勉強し終わった時に、能率が良いという利点が、その後のその人の強みに、それは成ると思います。
で、だけど、進級時飛躍内容教訓化学習の様な事をして来なかった、という弱みが出るんじゃないか、というのはチョッとある、と思うんですよねえ。
逆にまた、進級時飛躍内容教訓化学習なんてして、まあ最後の大人に成って研究者に成った時にですね、自分は飛び級さしてくれれば良かったのにと、それは思う可能性だって有ります。
それは分かりませんが、種類が違って、飛び抜けて独創的な事をやろうと思えば、飛び級はあまり関係ないんじゃないかな、とか思ったりするんですけどね。
優秀な僕(しもべ)に成ってしまうんじゃないか、という、飛び級でズッと行っても。
勉強し終わった時に、次何やるんですか、次の課題を与えてくださいよ、という人間に成ってしまうんでは。
自分では考え出せません、という。
う〜ん、どうなんだろうなあ。
「無知の温存」という言葉で表現されているものは、進級時飛躍内容教訓化学習の特徴です。
皮肉を込めて言うと、飛び級はネタ切れ地点まで最短距離で連れて行ってくれる。
質問者2(五十嵐) チョッと質問ね。
まあ、子供の中に、ま色んなタイプの子が居ると思うんですけれども、比較的、学校で先生の言う説明とかを、スイスイスイッと理解できちゃう子と、まあ、(2音節聞き取れない)概念とか誤概念とか自分なりの何か概念を考える事で、なかなか先生が言う事をすんなり理解できないので、まあ、足踏みしてしまってる子が居ると、そこは、先生はどういう風に、その子の違いを見ますか?
どこが違う?
-
宇田 違いをどういう風に見るか、う〜ん。
う〜ん、それは、千差万別なんじゃないか。
と言うのは、ものすごく深く考えて言うと、ですよねえ、ものすごく良い方に良い方に解釈すると、という言い方なのかもしれないけど、例えば、どう言うんですかねえ、まあ、ある程度大きく成ると、厳密主義的なものの考え方とか習うじゃないですか。
で、そうすると、初歩的な例えば中学校で習った様な、数学の持って行き方・・・
あ、そうか、これが良いか、高校でリミット極限操作を習いますが、あれは大学へ入るとεδでねえ厳密主義的にキチッとやるじゃないですか。
で、その厳密主義は思い付く事が出来ないんだけど、高校で極限を習った時にね、これじゃあまだ厳密じゃないんだ、と思ってしまう人が居たとしたらね、そしたらその生徒は、まあ、馬鹿だから着いて行けなかった、という事じゃあなくてね、普通以上に賢かったから着いて行けなかった、という事に成ってしまいますよねえ。
ま、そういう可能性も有りますんで、ま、ものすごく、その、どう言うのかなあ、例外的なものを例外的なものをこう選り分けて言うのも良くないかしらないけど、千差万別で一概には言えないと。
ええ、その人その人によって違うでしょう、という、ええ。
小泉元首相の発言を真似て「そんな事を私に聞かれても分かるわけないじゃないですか。人生色々、生徒も色々、違いも色々です」という風に言えば良かったが、そこまで機転が利かなかった。
五十嵐 なんか見てると、午前中のセッションで有った様に、結構一般のこう多くの子は、全部の子じゃないと思うんだけど、多くの子は、やっぱりミスコンセプション持ってたり、まあ自分の考えにものすごく頑固にこだわる。 -
宇田 そうですねえ。 -
五十嵐 そういう子供と、そうじゃなくて、まあ自分の考えがあるけども、置いといて、先生の説明シッカリ理解する事に全力を賭す、とか、友達の意見にシッカリ耳を傾ける事を、なんか、意識的にやってる子。 -
宇田 まあ、ちょっと、生徒さんの違い、という事に成ると、ちょっと私も良く分かりませんが、この飛躍内容教訓化学習の観点から、またちょっと、どう言うか、例外的な方を例外的な方を言いますとね、出来るだけ誤概念の中に長く留まっている方がね、正しい理解に至った時のショックが大きいでしょう。
だから、その刺激がプラスに成る、というねえ、そういうのは有るんじゃないか、というねえ。
ただし、誤概念を真面目に乗り越えないとダメですよね。
誤魔化して馴れっこに成って乗り越えて行く、という方法というのは、それは、あまり進歩しないと思いますけどね、ええ。
真面目に乗り越えようとするあまり誤概念の中に長く留まってしまう、というねえ、場合は。
だから、私はさっき誤概念の話なんか見て思ったんですが、こういうの(下記)が良いんじゃないか、という。
誤概念を打破する方法としてね、正しい概念より誤概念の方が正しいと思ってしまう生徒の理由付け、というのをねえ、逆に、だから、誤概念は何故間違ってるのか、という、説明をするんじゃなくて、だってこうだから誤概念の方がやっぱし正しいじゃないか、例えば、ボールが投げ上げられてる時に力が上向きに働いてなかったら止まってしまうじゃないかと、例えば、そしたら、そういうものを沢山たくさん並べて、その考え方はこうだから間違ってるんです、というのをね、どう言うんですかねえ、小まめに直して行く、という事が良いんじゃないか、とか思いました。
言葉尻が変な所を分かり易く書き直すと、次の様に成ります。
「誤概念を打破する方法として、誤概念は何故間違ってるのか、という、説明をするんじゃなくて、正しい概念より誤概念の方が正しいと思ってしまう生徒の理由付け、だってこうだから誤概念の方がやっぱし正しいじゃないか、という生徒の理由付け、例えば、ボールが投げ上げられてる時に力が上向きに働いてなかったら止まってしまうじゃないか、といった生徒の理由付け、そういうものを沢山たくさん並べて、その考え方の一々を、こうだから間違ってるんです、という風に、小まめに直して行く、という事が良いんじゃないか」
以上。


最終編集2014年09月23日