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今回は国内での大会だったが、僕は、領域13で物理教育についてのみ発表し、素粒子論領域では発表しなかった。
僕の発表は21pTV-15『インターネット上の公開教材「物理学正典」』だった。
21pTV-14の発表者が棄権したため、僕の発表は、予定よりも約15分繰り上がって、午後5時頃に開始された。
講演概要および発表に用いたOHPは当ページ下方に掲載されている。
口述内容は主にOHPに書かれている事で、それに対して言葉を補う形を取った。
物理学正典については、僕は既に、物理学正典サイト内に相当の紹介記事を書いているので、そこに書かれていない事を言うように心がけた。
せっかく発表会場に来てくれた人に、来たからこそ聞ける話をするべきだと思ったからで、これは、僕がいつも心がけている事だ。
まず最初に、物理学正典はウェブサイトだ、という事を述べた。
OHP「物理学正典が提供する情報」内の第1項目「何をどの順番で勉強すれば良いか」について、たとえば科目の取捨選択が読者にとって有益である事、物理学正典で採り上げる科目を僕は正典科目と呼ぶ事、ショービニズムとの謗りを免れるために、あの科目は大事でこの科目はそうでもない、などとは言わない先生が多い事、を述べた。
統計力学は正典科目に含められるべきだが、統計力学については、私が解説記事を書く必要があるかどうか分からない、という事も述べた。
この言葉の意味は、他科目については、僕は、既存の全ての教材に共通の欠陥を感じ、自分が改めて書き直す必要を確信しているが、統計力学については、もしかすると、既存の教材のうちの最も良いものを指示するだけで十分かもしれない、という意味だった。
しかし、それが絶版に成ったりする可能性が懸念されるので、僕も書いた方が良かろう。
物理学正典の当面の取り扱い範囲は学部レベルの物理学であり、大学院レベルのものについては私に書けるかどうか分からない、と述べて、大学院レベルの物理学については書かない、と決めているわけではない事を、匂わせた。
心の中では、僕は、標準模型までは勉強して解説記事を執筆する事を、目指している。
OHP「物理学正典の利点」では、提供する情報の内容の良質さが利点だが、それ以外の点について述べる、とコメント。
ハイパーリンクの挿入は、他人に言われてやった事で、その事が物理学正典サイト内の
寄与貢献ログに記載されている事、を述べた。
発表前から思っていたのに、直さずそのまま発表してしまったが、「物理学正典の利点」という言い方は少し変で、正しくは「物理学正典の長所」ないしは「物理学正典を利用する事の利点」とするべきだった。
ウェブサイトなので更新が容易、という点について、私が今まで学会の物理教育会場で発表して来たような豆知識的なものは、今後は、物理学正典の末端ページの補足説明欄に網羅される様に努力します、という意味の事を述べた。
教育の自動化、という点については、講演概要に書かれている「学校のやって来た事の大部分は自動機械でも出来るだろう」という言葉を補う意味で、学校の先生の言う事は全て本に書いてある、という諺を紹介した。
それから、IT式教材として講演概要に挙げておいた私以外の人による教材3つは、氷山の一角だからと言って、その程度のものならザラにある、というわけではなく、模範的な最高の水準のものだと思う、という事も述べておいた。
それから、数式交じりの静止した文書が学習の柱であるべきだ、と書いたが、動画教材も副教材としては否定しない、という風にも述べた。
OHP「CAN,TEC,COMの役割分担」については、まず、物理学正典のメイン・コンテンツが CANONICAL NOTE , TECHNICAL NOTE , COMMENTS の3本立てである事を述べた。
TECとCOMのどちらに書くべきか決まらないものもある事、TEC内の記事が相互に引用関係を持つ場合もあるし、COM内の記事が相互に引用関係を持つ場合もある事、も述べた。
OHP「イメージ図」を、読者の読み進み方のイメージを示すものとして、提示した。
基本はCANを順次読み進めて行く事であり、その途中で、引用されているTECとCOMの記事を読み、その途中でさらにTECやCOMの記事が補足説明として引用されていれば、それも読む、という読み進め方だ。
これは、
物理学正典サイト内「ヘルプ」ページに書かれているが、そこにはイメージ図は掲載されていない。
OHPの提示としては、最後に、
物理学正典トップページ電磁気学正典目次ページCAN-2-1-7TEC-0-2-3, COM-2-1のスナップショット画像を、リンクを辿る形で見せた。
講演概要に書かれている「学問の自由」の件と「学習指導要領」の件に対する補足も述べた。
学問の自由については、学問は金持ちだけのものであってもいけないので、試験に合格すれば貧しくても進学出来て学者に成れる学校システムは、その意味で貴重である事、私はそういうシステムを否定しているのではサラサラ無く、それ以外の進路は駄目、という態度を否定しているだけである事、学校は、学問を助長する機関であるべきであって、部外者が学問をするのを阻止する機関であってはいけない事、独学自習を否定する事は、その内容如何によっては、学問の自由の否定である事、を述べた。
結局、教育の自動化の可能性を考える事によって、学校という機関にとって、教育機能は本質的ではない、という事に成ると、学校や学会の最も本質的な機能は評価機能である、と言えるのではなかろうか。
僕が物理学正典で学習指導要領のごときものを目指した、という点については、指導要領だからと言って、物理学正典が教育の発展の足を引っ張る事は望まない事、つまり、物理学正典が、いくら後で評価されたとしても、逆らってはいけないものに成ってはいけない事、を述べた。
最も分かっている人による補足訂正は望ましい事、しかし、分かっていないのに軽率に間違いと決め付ける行為は破壊的である事、それを防ぐために今のうちに私が出来るだけ注釈を補筆しておくべきである事、を述べた。
宇田以外による補足や訂正は、全て、どこを誰がいつどういう風に訂正したか、物理学正典サイト内の
寄与貢献ログに明記されねばならないし、宇田による原版は無修正の形でいつでも参照できるように保存されねばならない、という僕の意向も述べた。
また、物理学正典が学習指導要領では厳し過ぎる気もする事、物理学正典を私はオッサンに成ってからやっと書いたのであって、学生時代の私は物理学正典のレベルには達していなかった事、も述べた。
物理学正典の著作権の扱いについて、何らかの条件をつけて、東京理科大学が同意する場合には、僕の死後、物理学正典を英訳してその英語版を所有運営する権利を、東京理科大学に寄贈するつもりがある事、を公言した。
これは遺言として有効なのだろうか?
学会という公の場で、多数の聴衆を前に述べたのだが。有効でないとしても、同じ内容の遺言を、僕は、後日改めて書くつもりなので、御心配無く。日本語版は別である事も、シッカリ断っておいた。
最後に内情として、
EMANの物理学という大人気サイトがあり、それに対する対抗意識が、物理学正典を編む動機の一つと成った事、を述べた。
しかし、「EMANの物理学」の真似をした、という事ではなく、EMANさんと僕とでは物理観が違い、自分の物理観の優越性をアピールし読者に理解を求めるつもりで書いた、という事を述べた。
事実、以前EMANさんのサイトで読んだ物理観に関する文言には僕は今でも反発ているのだ。
波田陽区の「て言うじゃない、でも・・・」形式に乗せて反意表明したい感じ。
そのぐらい、EMANさんのその文言は、ある意味、物理観に関しては、実質上、良く聞く台詞だったのだ。
僕は、学生時代に、大学の先生から、ファインマンのようだ、という褒められ方をされて、それを快く思わなかった。
その先生にしてみれば、天下のノーベル賞学者を引き合いに出したのだから、お世辞の域に達するぐらいに最高の褒め方をしたつもりなのだろうけれど、僕には、その頃既に、ファインマンの物理観とは一線を画する自負があったからだ。
EMANの物理学は、その名称だけでなく内容の傾向も、ファインマン物理学に似ている気がする。
僕に言わせれば、どちらもアンチ文法主義なのだ。
僕は、その部分に反発しているし、その部分が自分は違うのだ、という自負を持っている。
もちろん、文法主義は僕の提案であるから、ファインマンにしてもEMANさんにしても、文法主義を知った上でそれに反対していたのではない。
むしろ、僕の提唱している文法主義、の指し示すような物理学の発展の可能性を、想像だにしない出来ないが故のオールドフィジックスなのだ。
量子論以前の物理学を「クラシカル(古典)」という語で指し示すが、僕は、僕の文法主義以前の物理学を「オールドフィジックス」と呼びたい。
2つの「マン物理学」は、似ているが、しかし、EMANの物理学は、ファインマン物理学の剽窃ではなく、EMANさん独自の面白い話の持って行き方によるものである事を、僕は自分の目で既に確認した。
僕の発表に対して「手間と費用はどうしているのですか?」という質問を頂いたので、それにお答えしたが、僕は何故「手間については、お答えせず」と言ったのだろうか?
多分、一日中自室に居る事を、言いたくなかったのだろう。
しかし、これは言うべきだった。
物理学正典は徹頭徹尾僕一人によって書かれたものだ、という点を常にハッキリさせておく事の方が、もっと大切だからだ。
メインコンテンツの全部が僕の直筆である事は、他人に手伝ってもらったのではないか、との嫌疑への抗い難い強力な反証と成る、という事には、今まで気付かなかった。
今までは、物理学正典は出来が悪い、というタイプの悪口を散々浴びせられ、それに対する抗弁をするところまでだったので、その後で、どう見てもモノ自体の出来の良さにはケチの付けようがない、と分かると、今度は、僕の手に依るものではないだろう、という濡れ衣を着せて来る輩が出て来ないとも限らない、という事にまでは、思い至らなかったのだ。
芸能人やタレント知識人のゴーストライター事情と違って、純学問の世界では、当然本人が書いてるよ。ああ、でも、部下に書かせた論文の著者名を自分にする教授が居る、という話は良く聞くねえ。
「お答えせず」に矛盾するが、「手間は全て自分でまかなっています」とも言っておいたので、まあ良いか。
費用については、「普通の人が普通にインターネットをやっている程度にしかかかりません」と答えた。
21pTVの僕以外の発表や22aTVにも参加し、質疑応答時間にコメントを述べた。
どれについても、質疑応答時間は短い(数分しか与えられない)ので、それに僕だけでその時間を使い切ってもいけないので、僕は早口でしゃべったが、それでも言葉が足りなかったのと、早口でしゃべったために発表者に伝わりにくく成ってしまった(独断的で強引なコメントだと誤解されかねなかった)ので、広島県の自宅に帰宅してから、発表者に電子メールを送ってフォローした。
ちなみに、今回の発表会場は北海道札幌市の北海道大学札幌キャンパスだった。
しかし、飯田修一先生の21pTV-1に対しては、質疑応答時間の全てが飯田先生と僕とのやりとりに費やされてしまった。
これについては、僕は、「認められ方には2段階あって、仮説として検討に値する、という認められ方と、実証されたものとして認められる、という認められ方がある」という風に切り出した。
すると飯田先生は自分の主張を「実証されたものだ。
中略。
なぜならQEDの結果を何桁にも渡って再現するからだ」と述べた。
それに対して僕は「それだったら、飯田理論ではなくて既存のQEDでも良いではないか、という事に成る」と反論。
以後、
飯田先生「QEDは無限大の発散を難点として含む」、
僕「それは繰り込みによって克服される」、
飯田先生「では、(飯田理論を取るかQEDを取るかは)好みの問題だ」、
ここで時間切れとなった。
僕は、飯田先生の「好みの問題だ」という言葉を聞きながら、「好みの問題なら、実証済ではなく仮説の段階ですね」という文句を用意したが、時間切れで言えなかった。
「中略」の部分では、飯田先生「既存の素粒子理論では素粒子の実体が無いのに対して、自分の理論ではその実体が電流であるとされる点で、既存の理論よりも自分の理論の方が満足の行くものだ」、僕「既存の素粒子理論では素粒子の実体は要素的自由度だと考える」、というやりとりが行なわれた。
飯田先生は、精一杯冒険的な事を考えたつもりでいらっしゃるようだが、それは、たとえ正しかったとしても、(正しそうな気配は感じなかったが、)オールドフィジックスだ。
物理学における冒険的な意見は、なぜか、冒険しようとする人の意見ほど、ベタベタのオールドフィジックスに寄る。
オールドフィジックスは、文法物理学に比べれば、全然冒険的ではない。
オールドフィジックスの範囲内で、冒険の限りを尽くしても、文法物理学の行なう冒険に比べれば、それは自宅の庭の散歩だ。
21pTV-12では、僕は、発表者に熱力学の基本的な考え方について質問してそれを教わり、発表者の主張に一応納得した形と成ったが、後で考えてみると、問題と成っている2つの状態をつなぐ準静的過程が存在しない事が証明されたわけではない、との思いが強くなり、そのような準静的過程を見付け出す事が出来れば面白いな、と思うように成った。
22aTVでは、IT式教材をたくさん見たが、そのIT活用の手腕の見事さを褒めるのを忘れてしまった事が心残りであると同時に、IT活用の手腕が優れている事よりも、物理学や物理教育自体に対する見識が優れている事の方が希なのだ、という事を改めて実感した。
22aTV-7については、これはIT教材に関するものではなかったが、発表者が外国人で英語による発表だったので、僕は、英語を見せびらかす目的ではなく、外国からの参加者を冷遇してはいけない、という動機から、無反応が一番良くないので、無理して英語で大して内容の無い質問をした。
その付けが回って、発表者の返答が良く聴き取れず、発表者の協力者の日本語による説明に頼る羽目と成った。
その説明を聞いて「それは良いアイデアだ」と思ったので、後ほど、発表会場の直ぐ外の廊下で、発表者に英語で声を掛け、「あなたの同僚の説明によって、あなたのアイデアは素晴らしい、と分かった。
高校の先生は、もしマイクロ波について教えるならば、あなたの装置を採用するべきだ」という風に英語で褒めた。
「プラスティックの代わりに厚紙を使う方が良いと思う。そうすれば生徒が導波管を自作出来る」という風に英語でアドヴァイスもした。
しかし、そこでも、発表者の英語は部分的にしか聞き取れなかった。
そこで、マイクロ波はセンサーに使われている、という事を発表者から教わった。
しかし、センサーで使う波長と0.6μmの関係については、尋ねてみたが答えを聴き取れなかった。
後で、厚紙だと正確に作れないかもしれないなあ、とか、日本のおなじみの簡易式学生実験提案ブラザーズが同じ事を発表したら、僕は、それをあまり高く評価せず、またやってらあ、と思っただけかもしれない、という風に、反省すべき点もある。
22aTV-9に対しては、
2006年春季大会の報告記事に書いておいた、昼と夜の気温の差で動かせば実用面への貢献が考えられますね、という点をコメントした。会場で僕の少しだけ前に座っておられた学会で良く見かける実務経験豊富な感じの人が、それを聞いて「あ、そうかあ」と感心していたのを見て、感心された事は嬉しかったが、僕の報告記事は読まれていないのか、と残念に思った。
その人は、22aTV-4に対する僕の「動画が、最後に提示された生徒への設問と、つながっていない」という批判に対して、「それよりもっと根本的な点として、生徒は、なぜ x の関数ではなく t の関数が出て来るのか分からないのではないか」とコメントしたので、僕は、その直後に、「あ、なら、変数部分を(ωt−kx )から[ x−(ω/k) t ]に書き換える式変形を、ヒントとして生徒に与えると良い」とコメントしたが、後で考えると、「だから、なおさらつながらない」とコメントする方が良かった事に気付いた。
IT教材の中で最も印象に残っているのは22aTV-3で、この人は、IT活用の手腕が優れているだけでなく、現実を撮影した動画にリアルタイムで速度ベクトルの矢印などの図形を重ね合わせて経験を強化する、という、私の知らなかったARという考え方を知っておられ、その事に僕は感心した。
これに対して僕は、補足コメントとして「素晴らしいツールだと思いますが、使い方としては、カメラを運動させれば、慣性力の学習にも使えますね」とコメントしたが、批判コメントではなく補足コメントである事が、発表者に良く理解されなかった嫌いがある。
「素晴らしいツールだと思いますが」の「が」が良くなかったか?

講演概要

21pTV-15
日本物理学会講演概要集
第62巻
第2号
第2分冊
405ページ。
OHP

OHP-13-1


OHP-13-2


OHP-13-3


OHP-13-4


OHP-13-5


物理学正典サイトのアドレスは、2008年2月より、
http://wooder.stepserver.jp/から http://physics.aki.gs/に、
変わりました。



最終更新2016年01月06日