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24pWK-14「砂川重信著「理論電磁気学」正誤表2」と26pXE-7「グラスマン変数の表示」を発表。
24pWK-14では、まず、発表の主旨が、前回の注釈的発表の誤りの訂正と、前回の発表後に新たに気付いた点についての補足であることを述べ、僕の使う規約が砂川と違ってfilm-1である事を述べ、次にfilm-2を提示し、その第1式がグリーン関数の定義式であること、第2式を第1式に代入する事によりグリーン関数のフーリエ成分が満たすべき条件が第3式だと分かること、第4式と第5式が第3式の解であることとその理由、を述べた後、前回の発表では、第4式と第5式の右辺の記号δを書き忘れていたこと、右辺第1項を(2π)の4乗で割るのも忘れていたかもしれないこと、を述べた。
OHPの表示時間が短いので、十分に見れなかった人のために、僕のウェブサイト(ここ)で見ることが出来る旨をコメントした。
次にfilm-3を提示し、そこに書かれている通りの事を言い、それを僕が完全にではないがおおよそ確認したこと、a0が電子の剛体球模型の半径を表すこと、砂川が v0と書いているものを僕は vと書いていること、を述べ、v の1次の項が現れていないことが、砂川の言うような v やその任意階の時間微分の2次以上の項を無視する近似、ではなく、正確にv=0の場合ではないか、という事に気付くキッカケになること、v の1次の項が現れていない事は、気付くキッカケにはなるが、そのことだけを理由に正確にv=0の場合だと決め付けて良いわけではないこと、を述べた。
film-3の内容は、v の1階以上の時間微分は、その2次以上のべきが無視出来ないくらいに大きくても、第9章(5.34)は正確に成り立つことを主張するものである。
次にfilm-4の問題を論じた。
前回の発表ではこの部分の説明が回りくどかったので説明し直す、と断った上で、解くべき問題は、v=0の瞬間に第9章(5.34)に一致するローレンツ共変な式を求めよ、という問題であること、第2式はμ=4の場合に成り立たないこと、第1式はμ=4の場合に成り立ち、かつ、第1式の右辺第3項の挿入は、空間成分が第9章(5.34)に一致するという事態を破壊しないこと、およびこれらの理由、を述べた。
ここまでが前回の発表の訂正である。
最後に、前回の発表後に新たに気付いた点として、film-5,film-6,film-12を提示して、film-5の第1式を荷電粒子が1つだけ存在する場合の電磁場の全4元運動量の第μ成分と考えても良い事とその理由を説明した。
砂川の本に、そう考えてはいけない、と書かれている事の根拠が、film-5の第3式の不成立だ、と僕は考えた。
film-5の最後の式が成り立つ理由をfilm-6で述べた。
film-6の第1式の被積分関数が荷電質点のストレス・エネルギー・テンソルであり、film-6の第1式が荷電質点の4元運動量の第μ成分であること、film-6の第2式は全体系つまり(荷電質点)+(電磁場)に対するエネルギー運動量保存則であるから成立すること、film-6の中段の式は質点のストレス・エネルギー・テンソルの具体的な形から証明できること、質点のストレス・エネルギー・テンソルの具体的な形は例えばライトマンの相対性理論の問題集に書かれていること、film-6の上段の最終式とfilm-6の中段の式を辺辺引くとfilm-6の下段の式が得られること、その際に、任意であるfilm-6の上段の最終式中のx4とx'4をfilm-6の中段の式のx4とx'4に合わせること、を述べた。
これで、film-5の最後の式が成り立つ理由を述べた事になる。
ここまで述べるのに僕は13分30秒程度かかった。

講演概要

24pWK-14
日本物理学会講演概要集
第60巻
第1号
第2分冊
384ページ。
OHP 

OHP-13-1


OHP-13-2
(film-1)


OHP-13-3
(film-2)


OHP-13-4
(film-3)


OHP-13-5
(film-4)


OHP-13-6
(film-5)


OHP-13-7
(film-6)


OHP-13-8
(film-12)


質疑応答のための時間は1分以上あったが、座長の促しに応じて質問やコメントのために挙手した者は一人も居なかった。
これを確認した後、座長が僕に苦情を述べ始めた。
その内容は、
(1)僕の提出した講演概要における式の引用が、砂川の本の式番号を書くのみとなっている点が、「皆さんに分かるように」との原則に反する。
(2)講演概要の修正を僕が何度もしている事が世話人に迷惑をかけている。
(3)僕のような講演があるとこれから世話人にレフリーの権限を持たせざるを得なくなる。誰も砂川の電磁気なんて聞きたくない。
(4)僕の講演は皆さんとのディスカッションが出来るように良く準備されていない。
(5)講演概要には何を発表するかのみ記し、具体的内容は発表会場にて伝える、との僕のやり方は間違いであり、具体的内容まで講演概要に書いておく必要がある。
以上。

今まで僕の見て来た感じでは、座長さんらしい発言をする人が座長さんを務めているようだったが、今回は違った。
今回も26pXEの座長さんは立派そうな人だったが。
日本物理学会は、世話人に発表内容を検閲させる事を考える前に、座長の人選を良く考える必要があろう。
(1)について。
講演概要は参加者に十分な時間的余裕をもって事前に配布されるものであるから、講演概要集にはどの本のどの箇所に書かれている事かを表記するのみで、知りたいと感じた参加者はその内容を事前に調べて知る事が出来る、と僕は考えたが、この点については、僕は、日本物理学会に問い合わせて正式な指示を仰ぐことにする。
(1)が日本物理学会の公式見解に一致しないならば、(1)を真に受けて自分の講演概要を劣悪なものにすることは、愚かである。
(5)についても同様。
(2)については、何度も書き直しているでしょう、と言われて僕は、提出前に何度も推敲したので、はい、と答えたが、提出は1度しかしていない。
後で気付いたが、座長の指摘は、何度も提出し直しただろう、というものらしい。
でないと世話人が困るはずがない。
したがって、これについては、齋藤嘉夫の指摘ははずれている。
(3)については、まず、(3)の前半は、今回の僕のような講演は次回からは出来ないようにするよ、という警告である。
これが僕を最も立腹させた、表には出さぬように堪えたが。
このような警告は、余程の無茶な発表でもない限り、再三再四注意しても聞かない発表者に対してのみ行なうべきものであり、座長のこの発言によって僕がそのような発表者に匹敵するぐらいに性質の悪い発表者であるかのように誹謗されたことは、許し難い。
砂川の電磁気に対する僕の前回の発表は、講演概要まで含めて、今回と全く同様であった。
そして、前回は座長に注意されることがなかったばかりか、座長から肯定的な評価の言葉を受けた。
であるから、今回も前回と同様にして良いだろう、と僕が判断したことは、たとえそれが誤りだったとしても、次回から発表させないようにするぞ、との警告に直ちに結びつくものではないはずである。
領域13でではないが、講演概要を提出しない人を僕が見た事は何度もある。
その人たちは座長から注意はされなかった。
そういう事例との対比において、本件の座長の僕に対する警告は、明らかに著しく不公平である。
(3)の後半も問題である。
僕は大学物理学科の学生用の電磁気学の教材として、砂川重信著「理論電磁気学<第2版>」を特別に高く評価している。
そのため僕は、大学物理学科ではみな、電磁気学の教材としてはこの本を用いるべきだ、というぐらいに考えている。
学生時代に書店「書泉グランデ」でアンケート結果が貼り出されているのを見た。
そこでは電磁気学の教科書としてはこの本の人気が第1位になっていた。
つまり、この本に対する僕の評価は、単なる偏見や独断ではないのだ。
この前提に立って、この本を教材として用いる際の障害の除去や利便性の補強を、日本物理学会の物理教育分野で発表することに、僕は、主に日本の物理教育への貢献の方法を見出したのである。
この考えが、偏っていたり間違っていたりしたとしても、発表の機会すら奪うべきである程には偏ってもいないし間違ってもいない。
というのは、聞き手が、発表者の偏見や間違いに毒されやすい子供、ではなく、分別のあるはずの教育者達、だからだ。
発表内容が少しぐらい偏ったり間違ったりしていても、そうであるかどうかは聞き手が主体的に判断すればよいことなのだ。
誰も聞きたくない、とは独断も甚だしい。
大学物理学科で電磁気学を教える立場にある者にとっては、聞きたくなくても聞くべき内容だった、というぐらいに僕は自負している。
確かに、大学物理学科で電磁気学を教える立場にある者は会場には居なかったかもしれないし、それ故に参加者の誰も僕の発表に関心を持たなかったかもしれないが、そのことが大学物理学科用の電磁気学の教材について発表することの不当性を意味するものではなかろう。
日本物理学会の領域13は大学物理学科用の電磁気学の教材についての発表をも受け入れ対象としているはずのものであり、参加者に該当者が居ないからといってその事情が変わるものではないからだ。
さらに言わせてもらうと、それがなぜ物理教育についての発表なのか、と疑問に思う発表はあったし、その点を指摘する者も居たのに、本件の座長はそれらに何らの批判も加えていない。
この事からも本件の座長の僕に対する当たり方が異常に不公平であることが分かる。
(4)についても、僕は今まで何度も日本物理学会に出席して他者の発表を聴いたが、内容が高度過ぎて僕には理解できず、それゆえ質問も出来ない、というものがたくさんあった。
それを僕は、発表者のせいだ、などとは考えない。
僕の不勉強に依る、と思っている。
今回の僕の発表についても座長は僕に向かって「あなた一人が分かってて」と言ったが、はたしてそれが僕の発表ないしは講演概要の不備に依ると言えるのかは、甚だ疑問だ。
もちろん、僕も、何であるにせよ批判を受けたからには、これをキッカケに、自分の講演概要や発表について改善すべき点は無いかを真摯に反省し、そういう点があれば改善して行く所存ではあるが、今回の批判については、これを全部真に受けるつもりはない。
帰路、参加者の一人Kさんに感想を訊いてみた。
Kさんは、本件の座長の態度について、「あれでも控え目だったと思う」と言った。
本件の座長が、僕の発表には問題は無く講演概要にのみ問題がある、と述べたことを僕が指摘すると、Kさんは、そうではなく発表にも講演概要と同様の難点があった、と述べた。
確かに、(3)では座長も発表テーマを批判しているのだから、発表には問題が無く講演概要にのみ問題がある、との座長の主張は、苦しまぎれの言い逃れであり、本音では座長も、Kさんの言うように、僕の発表と講演概要の両方に不満を抱いていた、と考えるべきであろう。
Kさんの言うには、僕が他の人の発表の質疑応答に積極的に参加していたにもかかわらず、自分の発表のときには僕が全部言ってしまって他の人に何も言わせなかったこと、に問題があり、そのために、座長まで含めて参加者にフラストレーションが溜まっており、それがせきを切ったように座長の苦情として表面化したのだ、と教えてくれた。
これについて、僕は座長ではないから、他の人に何も言わせない権限を持っていたわけではなく、したがって、そのような権限を行使したわけではないこと、僕の発表が質疑応答時間に食い込んだとは言え、それを完全に食いつぶしたわけではなく、1分以上残っていた質疑応答時間に誰も質問やコメントのための挙手をしなかったこと、を僕はここで指摘する。
こうであるから、僕が全部言ってしまったために他の人が僕の発表に対してコメント出来なかった、という言葉の意味は、僕が時間を使い果たしたから他の人がコメント出来なかった、ということではなく、僕が内容的に全部言ってしまったために他の人にコメントすべき事柄が残っていなかった、ということだと考えられる。
Kさんは、僕が他の人の発表に何か言ったのと同様に他の人も僕に何か言いたかったのにそう出来なかったので他の人にフラストレーションが溜まった、と説明してくれた。
これについては、もし僕が、他の人から言われなくても分かっていることを述べ忘れたならば、他の人が僕に向かってそれをコメントし、僕はそれを言われて初めてそれに気付いたのだ、という事にされてしまう危険性があり、僕には注意深く発表することによってそれを避ける権利があると考える。
樹下に冠を正さず、ということだ。
その結果、他の人にコメントすべきことが全く残っていなかったとしたら、それは、僕がサーヴィスエースを極めたという事に他ならないのであって、何ら僕が責めを負うべきことではないのである。
Kさんの言うように、座長がフラストレーションのはけ口として僕に著しく不公正な威嚇と誹謗を加えたのだとしたら、それは由々しき事態である。
座長のこのような態度に与する参加者が教育現場で生徒に科学の正義の厳しさを教える事が出来るとは到底思えない。
Kさんは、僕の発表について、式変形については述べず仮定と結論だけ発表した方が良かった、とか、前回の発表内容や砂川の本の記述にも少し触れるべきだった、とアドヴァイスしてくれたが、冒頭に紹介したように、その点は僕は適切に行なったつもり。
式変形自体がテーマとなっている部分については式変形を取り上げざるを得なかったし、26pXEの参加者に意見を求めたときには、僕が省略したある部分が良く分からない、との感想もいただいた。
僕としては、削れることは可能な限り削り、触れるべきことには可能な限り触れる、ということを、ギリギリまで行なったつもりだ。
Kさんからは、僕の「ウェブで見てください」との態度がルール違反、との指摘もいただいたが、僕のその態度の主旨は、僕がOHP表示したものをウェブで見ることも出来ます、というものだから、ウェブを見ない人には伝わらない発表の仕方を僕がしたということではない。
したがって、この点についての僕の態度もルール違反ではない。
24pWKの僕以外の発表についても少し書いておく。
まず、24pWK-11の発表者について。
この人は24pWK-10に対して、ブラックボックスを作るべきではない、との批判を行なったが、僕はこの批判を妥当だと感じた。
僕が、24pWK-10に対して、磁界による共鳴は取り上げるが電界による共鳴は取り上げないのは何故か、と質問したのは、電界による共鳴も取り上げるべきだ、と主張するためではなく、磁界による共鳴も取り上げなくて良いんじゃあないの?と主張するためである。
24pWK-11についても僕は同様の感想、つまり、半導体をそこまで詳しく取り上げなくて良いんじゃあないの、という感想を持った。
物理は工業製品の仕組みを教える科目ではない、というのが僕の考えだ。
24pWK-11には質問やコメントが殺到したので、僕も一言言ってあげたかったが、言うことが出来なかった。
褒めるコメントは一つだけで、それは、良い所に目を着けたね、というものだった。
他の質問やコメントについては、いずれについても、それらよりもそれに対する発表者の受け答えの方が優れていると僕は感じた。
24pWK-11の発表者に向かって問題の座長が「真空管の代わりにトランジスターを作ったのではなくて、トランジスターが出来たから真空管がすたれたのだよ」と述べたことについて、許容範囲内の発言ではあるが、相手がそれを知っているか否かを十分に確認せずに、そのように言うことは少し無礼ではないか、と僕は感じた。
24pWK-2に対して、力積と運動量を使うよりは仕事と運動エネルギーを使う方が良いのではないか、というコメントを誰かが述べ、それに対して僕は、力一定が保証されていないから力積の方が無難、とコメントしたが、その後、力一定が保証されていなくても仕事と運動エネルギーを使う方が良いことに気付いた。
余計なことを言ってしまった、と後悔している。
24pWKの僕以外の発表の中では、24pWK-3のテーマが最も理科的で良い、と僕は感じた。
ただし、これの発表者によるこの問題の取り扱いは少し的外れな気がしたので、僕は、(瓶)と(瓶の内容)の質量ないし重さの合計が変化しないので計測値は変化しない、と答えた生徒のその理由付けが最も肝心で、この理由付けがどうして間違いなのかを教授することがこのテーマにおける最優先課題ですよ、とアドヴァイスした。
これに反発して、そういう事を強調しすぎると生徒の理科嫌いにつながる、と発言した者がいた。
こういう人に対しては、その人の生徒が僕と同じ事を言ったときに、その人はそれを肯定的に評価して教室内で公示できるのだろうか、と僕は懸念する。
賢こさを厭い嫌う教師は教員不適格者である。
24pWK-13は言っちゃあ悪いがトンデモだった。
問題の座長から「あなたが分かっていない」と言われていた。
確かにその通りだし、言及を避けるよりもハッキリ言う方が良いのかもしれないが、今まで僕が見た限りでは、そういう事をあえて言う座長は一人も居なかった。
その問題は生徒にとっては有意義ではないだろうか、という意味で肯定的に評価するコメントを述べた人も居たが、僕は、このコメントは尊重に値する、と思う。
24pWK-13に対しては、僕は、電流に対する流体力学描像を完成させれば電気回路理解がスッキリしますよ、ということと、電荷という語は基礎未定義語だからそれ以上遡及不能であること、この2点を述べた。
前者については、よく引用される重力場中の位置エネルギーにたとえて電位を理解するやり方はダメで、流体中の圧力の高い部分にある流体が圧力の低い部分にある流体より大きな位置エネルギーを持つ、と考える場合の、その位置エネルギーにたとえて電位を理解すると良いですよ、と僕は述べた。
僕のコメントが終わると、問題の座長が「他にもっとマトモなコメントはありませんか」と言って、発言を促した。
つまり、ここで、僕のコメントはマトモでない事にされているわけである。
後に誰かが、物理量には何らかの操作的定義が必要、と述べて、僕の、電荷は基礎未定義語、という認識に異を唱えたが、これを聞いて初めて僕は、普通はその程度にしか分かっていないものなのか、という事に気付き、座長の発言に「マトモ」という語が含まれていたのが何故かを知った。
僕の言葉の真意を理解せずして、僕の発言をマトモではないと決め付けた座長のこの態度も、単なる愚かさや軽率さを超えた無礼として、僕の立腹の対象となっている。
参考




さて、ここから、26pXE-7について述べよう。
まず、僕が「グラスマン変数の表示」と言うときの「表示」とは何かについて、講演概要に書いてある事を繰り返して述べた。
続いて、これから何を説明するかの概略として、表現空間として集合を与え、その任意の2つの元の間に積とイクオリティーを定義する旨を述べた。
その後、表現空間の定義としてはfilm-7を、イクオリティーと積の定義としてはfilm-8とfilm-9を提示して、それらの内容を概説した。
film-8については、π が n 次の置換であること、π についての曝aは n 次の全ての置換にわたってとる事、などを述べた。
ついでに微分の定義としてfilm-10を提示し、微分と積分は同じであること、f の変数で微分するのではないこと、などをコメントした。
さらにfilm-11を提示し、グラスマン変数の関数と表現空間の元との対応関係、特に各グラスマン変数とその表示との対応関係、を述べ、グラスマン変数の定義である反交換関係が僕の提示した表示によって満たされること、などを述べた。
グラスマン変数の添え字が連続の場合にも同様の手法で表示を構成できる旨もコメントした。
最後に、26pXE-6についてコメントして良いか座長に尋ね、許可を得てから、量子力学の観測問題について自説を開陳した。
非常に重要なことを言うと断った上で、僕は、長い間コペンハーゲン解釈を受け入れ、測定を基礎概念と思って来たが、全体系つまり宇宙全体に量子論を適用すると外部からの測定は原理的に存在しないことに気付き、今では僕は測定を応用概念と考えていること、宇宙全体に量子論を適用して(その内部で行なわれる)測定現象をシミュレート出来れば、そしてコペンハーゲン解釈をそこから導出できれば量子論は基礎理論だが、それが出来なければ量子論は現象論に過ぎないという事になる、とコメントした。
さらに、今まで量子論の中に解決しがたいジレンマが内在しているかのように言われて来たが、今の僕は、そうではなく、宇宙全体に量子論が適用できるか否かの識別を我々はしなくてはいけないというだけのことだ、と認識するに至っている、と主張。

講演概要

26pXE-7
日本物理学会講演概要集
第60巻
第1号
第1分冊
11ページ。
OHP 

OHP-sr-1


OHP-sr-2
(film-7)


OHP-sr-3
(film-8)


OHP-sr-4
(film-9)


OHP-sr-5
(film-10)


OHP-sr-6
(film-11)


26pXEは全体としてはトンデモではなかった。
個性的な発表を幾つも見せて頂いて面白かった。


最終編集2017年05月17日