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一般相対性理論も教えろだと?


おいおい、特殊相対性理論はもう勉強したのか?
一般相対性理論というのはだな、特殊相対性理論の勉強が済んでからやるものなんだ。
なに?まだやってない?
しょーがねーなー。
じゃあチョッとだけ教えてやる。
が、一般相対性理論となると高校で物理を習った人でないと僕の分かりやす〜い説明でも理解できないかもしれないよ。

重力は力ではない
高校物理の力学をマスターした人には「重力は力ではない、見かけの力たる慣性力だ、というのが偉大なるアインシュタインの教えの一つなんだ」と言うだけで相当部分は伝わるはずなんだが、高校物理を知らない人のために「慣性力」を一応説明しとこうかなあ?
自分が走行中の自動車の中に居ると想像してくれたまえ。
運転手がアクセルを踏んで車が加速している間は、君の体は後ろへ引っ張られてシートに押し付けられる。
逆に運転手がブレーキを踏んで車が減速している間は、君の体は前方へ引っ張られる。
急カーブにさしかかって運転手がハンドルを切り車の運動方向が変化している間は、君の体は側方へ引っ張られる。
ここに現れた、君の体を引っ張る3種類の力は全て慣性力だ。
慣性力とは、慣性系で観測していないために現れる「見かけの」力の事で、本物の力ではない。
慣性系とは、静止しているか回転や加速・減速をせずに一定の速度で一定の向きに運動し続ける観測者の立場を代表する座標系の事だ。
「座標系」という言葉が分からなければ「立場」で置き換えても良い。
さっき考えてもらったケースでは自動車に固定されて運動する観測者の立場で考えたわけだから慣性系で観測していなかったことになる。
地面に固定された観測者が自動車および自動車の中のあなたを見ると、あなたには後ろへ引っ張る力も前へ引っ張る力も側方へ引っ張る力も働いていない。
自動車が加速している間にはあなたの体を加速させるためにシートから前向きの力がギューッとかかる。
これをあなたは、シートに押し付けられた、と感じたのだ。
自動車が減速している間には、あなたの体が一定の速度で前に進もうとしているのに、自動車がその速度よりもいち早く減速して行くので、自動車に比較してあなたの体が前方へ取り残されることになる。
これをあなたは前方へ引っ張られたと感じたのだ。
自動車がカーブしているときだって、地面に固定された人から見れば、あなたの体がまっすぐに進もうとするのに自動車がいち早く進路を変更したために自動車に比較してあなたの体が側方に取り残された状態に成る様に見える。
これをあなたは側方に引っ張られたと感じたのだ。
地面に固定された観測者から見れば、あなたの感じた体全体を引っ張る3種類の力なんて存在しないのだ。
地球の自転や公転、太陽の運動を無視すれば、地面に固定された観測者の立場を慣性系と考えて大きな間違いではない、というのがアインシュタイン以前の常識だったし高校物理でもそう習う。
ところがだ、アインシュタイン大明神は、その常識のウソを見破った。
アインシュタインはとんでもないことを言い出した。
地面に固定された座標系は、たとえ地面が運動していなかったとしても、慣性系ではない。
じゃあ慣性系はどこにあるんだ?
アインシュタインの言うには「自由落下するエレベーター」に固定された観測者の立場が慣性系なのだそうだ。
自由落下しているエレベーターに固定されている観測者が観測すれば、自分の体を下方に引っ張る重力なるものは存在しない。
また自由落下しているエレベーターに固定された観測者の立場が慣性系だとすれば、地面に固定されている観測者は慣性系に対して上方に加速運動していることになる。
とすれば地面に固定された観測者は下方に引っ張る慣性力を受けることになる。
アインシュタインはこれが重力の正体だと言うのだ。
アインシュタインがこの着想に至ったことについては、「重力質量と慣性質量の一致という実験事実に対するアインシュタインの鋭い洞察による」という伝統の轍にはまり込んだ解説が普通は為される。
僕は大っ嫌いだ。
平たく言えばガリレイが示した「重い物体も軽い物体も同じ加速度で落下する」って事だ。
アインシュタインはこの事実を、重力が慣性力であるためだ、と説明すれば良い事にいち早く気付いたのだった。

光は重力によって曲げられる
地面に固定された観測者の立場が慣性系ではないとするとどうなるか自分で考えてごらん。
今まで説明した知識だけから大変重要な結論が導き出されるんだよ。
重力を、慣性系で見て質量を持つ物体同士が及ぼし合う万有引力だ、と考えている限りにおいては、地面に固定された観測者の立場は慣性系であって慣性系における電磁場(光など)に対する法則を表す方程式はマクスウェル方程式なのだった。
この方程式に従うと光は直進することが導き出される。
マックスウェル方程式は如何なる慣性系を基準にしても全く同じになる。
これをマクスウェル方程式の「ローレンツ共変性」と呼ぶ。
しかし慣性系から非慣性系への変換に対してはマクスウェル方程式は変形してしまい、非慣性系を基準にしたときの電磁場の法則を記述する方程式は、慣性系を基準としたときのマクスウェル方程式とは異なっている。
そのため地面に固定された座標系が非慣性系だという事に成ると、地面に固定された座標系で観測すれば光は曲がるはずだ、という結論に到達する。
このように、重力を慣性力だと考えるか否かの選択は、「重力を慣性力と見ることもできるし、慣性系を基準としたときに現れる本物の力と見ることもできる。どちらの見方をしても良い」というものではなくて、実際に光が曲がるならば「重力は慣性力だと見なくてはいけないのだ」という、実際の現象がどうであるかによって左右されるものなのだ。
そして光は重力によって曲げられた。
これは天文学的な観測によって確かめられた。
この事実によってほとんど全てのまともな学者は、重力は慣性力である、というアインシュタインの解釈の仕方を避けることは出来そうにない、と考えるようになったのだ。

時空が曲がっているとは
先に、地面に固定された観測者の立場は非慣性系であって重力はそのために現れる慣性力だ、と述べた。
であるならば慣性系から見れば重力は存在しないはずだ。
実際に、自由落下するエレベーターに固定された観測者の立場が慣性系であってその立場から見れば重力は存在しないのだった。
しかし「重力は慣性力だ」という考えを、もっと大きな時空領域にまたがって起こる現象についてまで、押し通そうとすると無理が生じる。
エレベーターという言葉で普通の人が思い浮かべる程度の大きさのエレベーターなら、自由落下中のそれをもって慣性系となせば、重力の存在しない慣性系が存在し、重力の消去は完璧であるかに見えるが、地球を覆い尽くすような大きなエレベーターを考えるなら、それを如何なる方向に如何なる加速度で運動させようとも、そのエレベーターに固定された観測者が観測してエレベーター内のごく狭い一部分では重力は消去できるかもしれないが、エレベーター内全体に渡って重力を消去することは出来ないからだ。
この様に時空の広い範囲に渡る慣性系が存在しないとき、時空のその領域は「曲がっている」と言われる。
時空の曲がっている領域については、観測者の立場さえ上手く選べばその中の如何なる部分を進む光線も直進するという観測結果が得られる、という法則が成り立たない。
それでも「重力は慣性力である」という理解は曲げない。
時空が曲がっている場合には、時空全体を覆い尽くす慣性系は存在せず、従って時空全体に渡って慣性力たる重力を消去することは出来ない、と考える。
最初の方で自由落下させて重力を消去したエレベーターに固定された観測者の立場は局所慣性系と呼ばれる。
「局所」なのだ。

エネルギーは時空を曲げる
一般相対性理論は2つの大きな柱から成り立っている。
1つは曲がった時空の上で力学の法則(粒子の運動の法則)と電磁気学の法則(電波や光や静電場・静磁場についての法則)がどうなるかを述べている部分で、これを僕は「曲がった時空の上での電気力学」と呼ぶ。
もう一本の柱は(大ざっぱに言って)エネルギーの存在が時空を如何に曲げるかを述べる部分だ。
これを重力場方程式と呼ぶ。
厳密には「エネルギーの存在が」ではなく「ストレス・エネルギー・テンソルの存在が」時空を如何に曲げるかを述べるのがアインシュタインの重力場方程式だ。
まあ、はじめは「エネルギーの存在が」レベルの理解でよい。
そこで注意すべき点が一つある。
それは、質量を持つ物体は、運動していなくても、それが「ある」というだけで、その場所にはその質量に見合ったエネルギーがあると考えねばならぬという事だ。
そのため質量を持つ物体が在る領域の時空は曲がっていなくてはいけない。
これはアインシュタインの、質量をエネルギーに換算する、かの有名な公式E=mc^2による。
以上で一般相対性理論のお話はおしまいだ。
これで人に尋ねられても、一般相対性理論とは、曲がった時空の上での電気力学とアインシュタインの重力場方程式より成る物理理論のことだ、と答えられるようになったね。

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最終更新2017年10月23日