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2015年07月02日(木曜日)
昨日の記事の推敲

昨日の記事の執筆では、録音の文字起こしの部分は大体できたのだが、途中で時間切れに成ってしまって、文字起こしに対する注釈でもっと書きたい事が有るし、表の外下の文章には、まだ繋がり方がおかしい所がある。

今日は、繰り返しに成ってもよいから、このページで昨日の記事を完成させる。

---

2015年07月01日正午頃、私が起床して自分の寝室から母屋へ移動する途中で、父の仕事場を通過して屋外へ出る直前に、それにタイミングを合わせて父が屋外から仕事場へ入って来た。
それを私が言い咎めた事がキッカケと成って、父との間に以下の言い争いが生じた。
これは、ほんの一例に過ぎず、時々こういう言い争いに持ち込まれる。
1回だけでも大変な消耗を強いられる事、が分かると思う。

言い争いは全部で3回であり、1回目の内容は録音されていない。
1回目と2回目の間に私は母屋まで往復し、2回目と3回目の間に私は自室まで往復した。
これらによって、言い争いが3つに分離した。

2回目の言い争いの内容(途中から録音らしい)→
音声ファイル
発言者 発言内容 注釈

言葉の中にも暴力は有るかもしれんけれど、さっきの「おみゃー、合わせて入って来たろうが、そういうことをするな」という発言はなあ、これは暴力じゃない。
暴力じゃないし、それから僕はなあ、言葉の中に暴力が有る、いう立場は取らんのよ、僕の考えは。
こういう言葉は暴力ですよね、いうのは、まあさっきのお父さんの脅迫の言葉なんかそうじゃけど、これは言葉じゃない、っていう分類の仕方の方が正しいんじゃろうと思う、おそらく。
そういう風に分類した上で、言葉なら自由だ、と。
言葉じゃないものは自由じゃないけど言葉なら自由だ、という風に、する方がたぶんなあ正しいんだろう
それが昨日言ようた、これは言論だから自由だけど、これは言論ではないから自由ではない、言う風な考え方に、それに通じる。
後はなあ、「おみゃー、わざっと、入って来たろうが、そういうことをするな」いうていう言い方よなあ。
これも、ワザっと使うならば、ワザっと使って、要するに、自分がそういう風に思っているということを、意味として相手に伝える、という、そういう目的で言うんではなくて、音を聞かせる、とかな、毎回毎回そういう声を聞かされると、うるさくてしょうがない、と。
音を聞かせることを目的に、ワザっと、思ってもいないのに言う、とかな、そういう、要するに、相手のワザと自分が入ってくると自分が思う頻度があまりに高いために、それに応じてそのように指摘する頻度が高まっている、というんではなくて、ただヤミクモに頻度を高めて、相手を煩わせたり、相手を困らせたりする為に言う、
それは暴力じゃ、言葉じゃないわ。
逆に今度は、お父さんが、オレに対して「おみゃー、わざと、そうに言よーろーが」いう事に成るわけよ。
そしたら、そっちも、また、証拠がないわけよ。
それからまたなあ、言葉じゃったら負担に思ったり何とかかんとか言うけれども、それだったら言論の自由だって同じじゃろう?
言論でも、聞いた人が不快に成ったり負担に思ったりする事が有るわけよ。
それでも言論の自由は大切な、いう事は、その様な言論の自由によって及ぼされる不快感や負担よりも、言論の自由によって防がれる悪の方が大きいからなんじゃ。
こうなのも、もし合わせて入って来とったら、やっぱし防がにゃあいけんのんじゃけど、もし間違うとったら、そこでいきなり暴力で相手を排除したら、正しければ、それはある程度正しいじゃろう、物によったらなあ。
もし間違うとったらいけん。
ので、言葉で言うんじゃったら、間違うとっても大したことはないじゃろう、ので、言葉で言う、いうのはオッケーじゃ、という風な所が妥当じゃと思うんで、オレは。
そうせんと、今度はやる方に、証拠を掴まれずに合わせて入ってくる、いう・・・証拠を掴まれてないわけでもないんじゃけどなあ、もう、何べんも言っとる、統計的に出とんじゃけど・・・合わせて入ってくる、いう方の弊害が出て来る。
私は「おみゃー・・・」よりも丁寧な言い方をしている。

「今のも、ワザとじゃ、思うとるけーな」程度だったと思う。

引用において、自分の発言を実際よりも口汚風にアレンジしている点は、私のフェアさを良く表しているだろう。

「おみゃー、わざと、そうに言よーろーが」というのは、直前に私が言葉ではないと言って批判した発語や発声を私がしている、という意味です。

可能性は小さいけど、もし本当だったら大変な事だから動かざるをえない、という法則性に依拠しての嘘は、非常に罪が重い。

従って、そういう嘘ではない発言に対して、それをそういう嘘だ、と主張する嘘も、そういう嘘である。

わしゃ、いっつも、ひやひや、雄一が居るかのう、どうかのう、思い思い、移動せにゃあいけんのんじゃの? この様な言い方は嘘を付いていない人の言い方です。
そういう語調で父は嘘を吐いている、というのが私の認識です。
言ってる事が本当っぽく聞こえる言い方です。
まことしやか、とか、人聞きが悪い、という形容が適当でしょう。
いや、それは嘘じゃ。
いや、そういう風には言ってない。
「それは嘘じゃ」は、父が「いつもひやひやしている」と言ったと思って、それに対して発した言葉です。
実際には父はそうは言っていないので、修正として「いや、そういう風には言ってない」と言い直しました。
これは、「・・・せにゃあいけん」とは私は言っていない、という意味です。
そうなるじゃにゃー。
普通に入って来たら、そう言われるんじゃけー。
直前の私の発言が間違っていないのに、それを証明しなければ間違っている事にされてしまう危険が、ここで生じています。
そのため、こういう発言には私は、聞いた途端に大きなストレスを感じます。
これは傍聴している人には分かりにくいでしょう。
第3者に理解され難い害を及ぼす、という特徴が、ここでも出ているのかもしれない。
少なくとも語調の人聞きの悪さは配慮の結果だろう。
私があまりに無理を言っているから、それを咎める言葉の語気がついつい強く成ってしまった、という風である。
父は、私が自分の主張の正しさを証明しなければ、それを私の主張が誤りである事の証拠だと主張し、父の主張については、自分では証明せず、私が反証できなければ、それを父の主張が正しい事の証拠だ、と父は主張する。
これは証明の責務を私ばかりに押し付けるインチキであり、今回に限らず父の私に対する論難の全体を貫いている特徴である。
いや、ならん。
普通に入って来た、いうんが嘘じゃ。
成らない理由としては、「普通に入って来た」というのが嘘である事、ではなく、普通に入って来たとは限らない事、を述べるのが正しい(3回目の言い争いのハサミチャキチャキの件と同様)けれど、即時会話であるために、私でもそこまでは無理だった様です。
したがって、そういうミスは減点されてはいけない、と考えます。
これは、そういうミスをノーカウントにする、という方式によってではなく、そういうミスを生む急かしを討論環境から取り除く事によって実現されるべきです。
そうに受け取るじゃろ? 「そうに受け取る所が病気じゃ」と言い出しそうな気配を感じました。
何気なく行動しょうれば、偶然かち合う頻度いうのは、そんなに高くないんじゃ。
わしゃあ、こことあそこを行って来るだけで、頻度は高いよ。
そりゃあ、どうか知らんけど、
知らん事ぁ無かろうが。 私の発言を遮っている。
自分に不利な論点を途中で別の論点に逸らす、というテクニックを父が常習的に用いているためか、自分に有利だと思う論点から別の論点に逸らされる事への警戒が不審に強い、というのが、ここで出ているのかもしれない。
いや、知らん。
「そりゃあ、どうかしらんけど」の意味が違うが。
その事実が、僕が今述べた理屈にどの様に影響するかは知らないけど、という意味じゃ。
行ったり来たりしょーる頻度がどうのこうの、それは、お父さんが今言った事をよく聞いて、確かにそうだな、とか、それは違うな、という判断すれば分かることじゃけど、その判断すらもうしたくないわけよ。

この釈明は私でなければ出来なかっただろう事が良く分かる例だ、と思う。
聞きとうにゃー、そんな話は。
妨害発語開始。
お前は病気だからそう言うのだ、という主張もそうだが、これでは反論に成っていない。
そういう、
そういう、
そのよう、
そのようなことが
あんたが、しゃべりゃあ、しゃべるほど、オレは精神病です、いうて自白しょーる様なもんじゃ。 精神病患者には、自分が病気だ、という自覚が無い、と父は決まり文句の様に私に言って来た。
この点が、自白という言葉と食い違う。
「オレは精神病です、といって自白する」という表現は、自覚がある事を前提にしているからだ。
そういう所がどっちであろうと、僕がさっき言った、自然に行動しょーればそんなに頻度は高くない
わしゃー自然に行動しょーる。
そりゃあ嘘じゃ、ということじゃ。
他人の行動を、言う事を全部嘘じゃいうて、はねつけてしもうたら、何にもならんじゃん。
何も出来んじゃない?
私の主張を、全部妄想だ、と決め付ける事も同様であり、父はそうしている。
いや、そんな事はない。
何も出来んじゃない?
そりゃ、全部じゃったら、そうかもしれんけれど、その人が全部嘘をつきょーる場合だってあるじゃろう、可能性としたらな。
話し相手の言う事が全部嘘な場合だって有り、その場合には、全部嘘だと言ってはねつけても、何も出来ない事には成らない、という意見です。
いっつも、こうやして、戸を開けるときでも、どうしょーるかな、居るかな、思うて、そろーっと入ってくるのに。 この様な言い方は嘘を付いていない人の言い方です。
そういう語調で父は嘘を吐いている、というのが私の認識です。
言ってる事が本当っぽく聞こえる言い方です。
まことしやか、とか、人聞きが悪い、という形容が適当でしょう。
うん、まあ、それは、あの、ちょっと、 「一度に何もかんも議論は出来んわあ」を言おうとしています。
ちょっとでも音を立てたら「うるしゃー」 これは心外です。
「うるさい」と言うのを非常に我慢させられた上、少しでも「うるさい」と言えば、それが私の恒常的な傾向ででもあるかの様に言われる、というのが真相です。
左記の発言なんかも、人聞きが悪い。
証明の責務の押し付けにも共通する事ですが、
∀(任意の)と∃(存在する)のすり替えも、今回に限らず父の私に対する敵対的な発言の全体を通して見られる詭弁の一つです。
一度に何もかんも議論は出来んわあ。
ある時期まで、そのようにぶつかる頻度があまり高くなかったんよう。
ある時期を境に突然増えたんじゃ。
したがって、お父さんが自然に行動しょーる場合には、ぶつかる頻度いうのは、ぶつかるいうても、衝突したことはないけどなあ、その頻度は大体このぐらいなんじゃなあ、いうのが把握出来とるわけよう、自然な生活の中で。
「一度に何もかんも議論は出来んわあ」という発言は、論点を拡散してどの一つでも話が終点まで行って負ける事の無いようにしよう、という方針を父が取っていることへの、歯止めをかけようとする物です。
ある時期からあんたの病状が悪う成ったんじゃ。
いや、病状が悪うなった 次の発言に遮られて途中切れに成っています。
悪う成ったけえ、そう感じるように成ったんじゃ。
いや、それは、お父さん、「お前がワザと入って来ょーる」言うんと同じじゃん。 「お前がワザと入って来ょーる」というのは私の発言です。
「お前がワザと入って来ょーる」事の根拠が間違っている根拠として父は、私が病気である事を挙げたが、私は、私が病気でない事の根拠として「お前がワザと入って来ょーる」事の根拠を挙げているのである。
従って、「お前がワザと入って来ょーる」事の根拠が間違っている事の根拠としては、病気以外の事を本当は挙げないと、病気だから病気なんだ、という主張に成ってしまって、循環論法という詭弁である。
この様な、私が病気だと言われて、そうではない事を説明すると、その説明が間違いである根拠として病気を挙げられる、という循環論法の詭弁パターンも、今回に限らず父の私に対する敵対的発言の全体を通して見られるインチキです。
そう。
いや、じゃけ、
じゃけえ僕が、
病状が悪う成った。
一時期過ぎたら、また変わってくる、お母さんがそうじゃったんじゃけえ。
自分から当たりに来る頻度を変えておいて、こちらの頻度が減ったという感想を病状の変化だと言う手口がある。
あの、僕がなあ、お父
音もそうじゃし、他人が何々自分に掛かってきょーる
一時期そういう時期が有った。
今言わん様に成ったけど、また、あんたも、そのうち言わんように成るじゃろう。
言わなく成る理由としては、嫌がらせの頻度が客観的に低下する事の他に、今回の言い争いの様な事が原因と成って怖くて言えなく成る、という物もある。
色々な人が「丸く成った」という話を聞いて不審に思った事があるが、それは、これだろう。
脅迫して萎縮させた事を、丸くなった、という風に歪めて表現していたのだろう。
甚だしい人権侵害である。
僕がお父さんに対して、
そしたら、あの頃はひどかったけど、今はそれが収まっとる、いうて言うんよ。
僕がお父さんに対して、「おみゃー、ワザっと入ってきょーろーが」言うのよりも、「おみゃーは病気じゃ」言う方がもっと不確かなんじゃ。
もっと不確かで、有りそうにないことなんよ。
そんなに自分に都合よく人が病気でなあ、言よーることが妄想じゃけー全部間違うとるんじゃ、いうことは、ワザっと人が入って来ょーる、いうことに比べれば、遥かにありそうにないことじゃ。
(遠くから何か言ってる) 将棋での第3者の介入に相当する不正であり、少なくない。
母のについては、聞かずコメントせず、です。


3回目の言い争いの内容→
音声ファイル
発言者 発言内容 注釈
可能性だけなら何にでもある、いうて言うけれどもが、もし本当だったら大変なことについては、それも取り上げにゃあいけんのじゃと思うんよ。
可能性はあるけれど、もし本当だとしても、そんな事どうでもいいじゃん、いう事については、可能性が小さいから論じない、のがいいと思うけどもが、可能性が小さいけれど、もし本当だったら大変だなあ、いうようなことについてはなあ、可能性が小さくても、それは論じなければいけない。
僕が指摘しょーるような事いうのはそうじゃが。
むしろ、可能性は小さいけれどじゃなくて、本当だったら大変な分だけ可能性が小さいような事よな。
父親がそんなコトするわけがないが、とかな。
これは毎日しょーる事で、毎日暮らしょーれば自然に出てくる動作で、それに付随する自然な音である、というのがな、もし、そういう事を隠れ蓑に何かしとったら、そりゃあ大変なことじゃがあ。
発覚しにくいわけだから、上手く隠し仰せ易いわけだから。
そういうことがあるしな。
それから後、子供の頃になあ、訊かれたことがあるんよう。
こうなのは、どう思うか、いうて。
要するに往来妨害よな、結局、法律用語で言う業務上往来妨害とか言うもんじゃにゃーかなあ。
人の居る所へ居るところへ来るのは、こうなのはどう思う?いうて訊かれたことがあるんよ。
僕はなあ、邪魔にならんように来る分は別にええよ、いうて、答えた事がある。
で、そういう風に訊かれた、いう事は、やっぱし、背景にそういう犯罪が有るからなわけじゃ。
そういう事が、ありがちなパターンとしてよくあって困ってるんだけど、あなたどう思いますかと。
これをいいという人も居るんだけど、来るぐらい勝手じゃんという人も居るんだけど、それってホントですか、いう真意が隠されとったんじゃと思うわけよ。
で、来るぐらい勝手じゃん、だけじゃなくて、お父さんが言よ〜るようなことじゃわ、結局な。
色々言い訳をして、結局は被害が防げない、という問題が前から有るんじゃけど、これはあなたどう思いますか、いうて。
そんなもんこうに決まっとるじゃん、いうのが僕の答えじゃったわけよ、結局なあ。
それでもちょっと控えめじゃろう?
「あ、そんなもんダメに決まっとるじゃん」と答えてないんよ。
「邪魔にならんように来るんじゃったらええよ」いうて、答えとるわけよ。
優しいわなあ。
寛容なわなあ。
それから僕はなあ、可能性だけで言よ〜るわけじゃないんよう。
可能性だけで言よーるわけではなくて、丁度かち合った時に言よーるわけよ。
じゃけえ、タイミングが合って通行上支障が出た時に言よーるわけよ。
それも1回じゃないわな。
何も無い時に「今日は良い天気です。ところでワザと人の行く所へ行く所へお父さんがやって来る可能性が有るんですけど」いうて、何も経験も何もしてない可能性について論じよーるわけじゃないんよ。
僕がそう感じた、いう部分についてはなあ、お父さんは何じゃかんじゃ言うけえ、少なくとも表面に出とる事としてタイミングが合った時を捉えて言よーるわけよ。
そういうのもあるしな。
 
 即達 > 2015年03月28日の記事 
あんたが、しゃべりゃーしゃべるほど、おりゃ〜精神病じゃ、いうて言よーるのと同じことじゃ。
いいえ。
いいえ。
父も十分な理由を添えず精神病だと言ってるだけなので、それ相応に、私も理由は省略して単に「いいえ」とのみ答えた。
この様な私の発言を単体で取り出して、ぶっきらぼうで人を小馬鹿にしている、と批判するのは、相手の態度を棚に上げた歪曲である事が、本項で良く分かろう。
自分で感じんだけで、人が聞いたら、この人何ゅ〜言よーるんにゃー、いう事に成るん。 ここまでの私の発言を、読者は、そういう風に思わないはずだ。
いいえ、成らん。
へへ、成らん、いうて気が付かん所が精神病じゃ。
いいえ、それも違い
普通じゃったら、わしゃー、こんな事を言よーるわー、こりゃあちょっと、おかしい事を言よーるのー、思うて気が付くんよう。 まるで知力が一段上の人が本当にそう思いながら言っているかのような口ぶりである点も非常に悪質である。
いいえ、それも違います。
それはともかくも、あんた絨毯へ、ありゃー何を書いたんにゃー?
絨毯?
マジック。
何で、あがん事するんにゃー?
あれ、あの、位置を
まるで子供の落書きじゃにゃー、ありゃー。
うん。
何で、あんな事が、しても平気なん?
いや、しても平気いう事ぁー無いけど、あの、構わんかなあ、思うたんじゃ。
まあ、そりゃあ、ちょっと、ほんじゃあ、後でなあ、別口で話をしよう、絨毯のマジックはなあ。
厳しく言われりゃあオレの落ち度じゃ、そりゃあな。
病気じゃ言うのはな、おみゃーそういう事を言うのが病気じゃ、いう事について僕が毎回思よーる様な事はなあ、
それまでに喋った事いうのがそうではない事を長々と説明したものである、いう事です。
で、お父さんが良う言う、可能性だけじゃったら何でも言えるじゃん、とか、いうことで言うと、病気じゃ言うのはなあ、議論で自分の方が負けていようが勝っていようが、誰にでも言えるんよう。
じゃけ、その議論において、あなたそんなこと言うのは病気だからです、いうのは、議論の勝敗とか、議論を通して何が明らかに成ったか、いうことに対しては、全く効力を持たないから。
負けた瞬間をとらえて、だからお前は病気なんだ、いうてお父さん言い出した。
いつまでも負けっぱなしにしない為にな。
十分に理由付けずに希薄な可能性について言うと病気だと言われるので、そうではない事を説明する為に、その希薄な可能性を考慮する必要が有る事を説明したら、そういう事を言うのは病気の証拠だ、と切り返される。

2回目の言い争いの注釈欄の循環論法についての部分が、この項目に対する補足説明として有効です。

私が病気だから私の言ってる事は間違いだ、という主張こそが、可能性だけなら何でも言える、という批判の対象にされるべき主張です。
病気、誰が考えても病気じゃ。
いいえ。
この音がいけんのん(じゃもん。)
この音がいけん、言う。
うん、そういう場合もあるでしょう。
これ置くんがいけん、言う。
うん、そういう場合もあるでしょう。
俺ぁ何すりゃあええん? この様な言い方は嘘を付いていない人の言い方です。
そういう語調で父は嘘を吐いている、というのが私の認識です。
言ってる事が本当っぽく聞こえる言い方です。
まことしやか、とか、人聞きが悪い、という形容が適当でしょう。
うん?
何すりゃあえんなあ、俺ゃあ?
そんな事ぁ、知らんけれど
知らん事ぁ無かろうが。
いけん言うんじゃったら、こうにせえ、いうて言やあええじゃん。
質問で追い回し、返答できない事をもって、論争に勝利した、とする論法に突入していますが、この論法に正当性は有りません。
なぜなら、質問に答える事が出来ない事は、その質問への返答者側に不利でない答えが存在しない事を、意味しないからです。
論争に勝利したとするには、返答者側に不利でない答えが存在しない事まで自分で説明する必要があります。
質問は、決定的な反論には成りません。
2回目の言い争いの注釈欄の証明の責務の話が、本項への補足説明として有効です。
父は、畳み掛ける様に次の質問を返して、追加の反論としています。
これに対して私の発言には質問文が含まれていない事、に着目して下さい。
格の違い、というのは、例えば、こういう事です。
知らん事ぁ有ります。
で、ハサミをチャキチャキする音がいけない、それから、ハサミを置く音がいけない、いう事については、ハサミをチャキチャキする音の全てがいけない、と言ってるわけでもなくて、ハサミを置く音の全てがいけない、と言ってるわけではないわけよう。
狙ってチャキチャキ音を出したり、狙って
畳み掛ける様に追加の質問を複数浴びせられているので、左記の私の様に、数件前の父の発言に反論する事は非常に困難です。
へーじゃけえ、それ狙っていうのを、どうして証明するんにゃあ? また発言を遮っての質問だ。
いや、証明する、の話じゃないんよう。
お父さんの今の理屈は、その前に言った理屈は、ハサミのチャキチャキする音だからいけないはずがない、これはハサミを置く音だからいけないはずがない、という風な主張
いけんはずがないよ。 私の発言を遮っている。
私が復唱している発言を繰り返す必要は全く無い。
主張だったから、そうは言えない、という事を今説明したのが、それです。
そうとは限らない、という事を説明したのが、そうです。
証明の話は僕は出してないんよう。
お父さんのその前に出した話についての直接の反論を述べただけです。
これ今何時かなあ?(独り言)
煙に巻く工作に抗して、こういう風に抗弁する事は、私以外の人には、ほとんど不可能である。
それが出来なければ精神病院に入れられる、とすれば、それは、腕を掴んで引っ張って行かれるに等しい。
それが暴力なのだ。
さて、
討論で明らかに成った様に、ハサミをチャキチャキする音であっても、ハサミを置く音であっても、狙って発音するならば、いけない事もある。
それなのに、父は最初、ハサミをチャキチャキする音だからいけなくはない、ハサミを置く音だからいけなくはない、と主張している。
これは、十分に不審である。
自動車での自分の追い越し方に腹を立てた相手に、「どうしましたか?追い越す事はいけない事だ、という意見ですか?」という風に、しらばくれるのと同様だからだ。
相手は、追い越した事に腹を立てたのではなくて、追い越し方に腹を立てたのだ。
本当は、ここまで言いたかったが、撹乱工作のせいも有って、途中で脈絡を見失ってしまった。
テレビニュースで、「追い抜かれた事に腹を立て」という表現を聞いて、本当は追い抜き方に腹を立てたのではないか、と疑った事がある。
これは、マスコミと犯人の協力関係について私が疑う根拠の一つ、である。
俺いま咳したんも、ワザっとじゃ思われたんじゃろうな。 これだけ説明しても、まだ全然何も認めていない事が、この発言から分かる。
あ、今は思わんかった。
2015年07月01日昼の12時50分。(独り言)
直前のヤツも、まあ大体その10分前ぐらいのヤツです。(独り言)


これだけされても、暴力に訴えず言葉で対向し切っている私の態度は、私に他害の恐れがある、という難癖を論駁するに足るはずだ。
これが一度や二度ではない。
それを、伝聞情報で引っくり返そうと狙われているのだ。
犯人の凶悪さ、悪質さが、よく分かるだろう。

並の能力の人間では、上記での私の様に対応する事は、ほとんど不可能だろう。
自分がこういう態度で責められたら、非常に恐いと思うはずです。
つまり、そういう受け身を取れない極めて凶悪な犯罪が、例外的にではなくほぼ社会全体に潜伏存在しているのだ。
これは、むやみに露出して効力を消耗する事の無い様に伝家の宝刀として普段は大切に隠し持たれており、それが、これ以上の屈辱には耐える事が出来ない、と感じた時には、フェアプレイの結果を踏み倒す形であっても、卑怯にも善意の第3者が居ないのを見計らった上で、こっそり使用されるのだ。
そして犯人は「そうしてもいいんだよ」という風に言い渡されているのだ。
悪の政治学の一例である。
こうして見ると、ボクシングの試合の途中で、亀田3兄弟の一人にセコンドの父が肘打ちの許可を与えていたのは、これに非常に似ているなあ、と思う。

第3者は、必ずしも善意とは限らない。
第3者として意見を求められて、とても被害申告の通りの事が有ったとは思えません、と答える者の中には、事情に疎い為に本当にそう思ってしまう人だけでなく、予め犯人の連帯への参加に同意していて、その際に特定の種類の被害申告については分からないふりをする、という約束をしている場合もある、と推測する。
推測と言っても、間違いない、と思うけど。

何年も前に、有名人の家庭内事情の暴露本というものが物議をかもしだしていたが、そういうところに前例が出ていたのかもしれない。
読んであげなかった事が悔やまれる。

私は、精神病院のデイケアで知り合った男Nから、ある女性が交通事故に遭って電気も水道も止められてレイプされた、という話を聞いた。
Nは、それを、レイプの動作を模したジェスチャーを交えながら、嬉しそうに私に話した。
なあ、いい話だろう、といった風だった。
仲間に入れてくれ、と私に言わせようとしたのではないか。
レイプは犯罪だとしても、そこに至るまでの、交通事故や電気と水道の話は、交通事故でオカネが足りなくなって電気と水道を止められたのかな、という風に思ったので聞き流したが、女性に公道で故意にぶつかる事を糸口に、防御の手段を全て剥奪した上でレイプする、という犯罪の話だった事はほぼ間違いない、と今では思っている。
これを、「・・・した」とは言わず「・・・成った」と言った物と思われる。
そういう奴は犯罪を犯す、と言って人を脅す種類の犯人と言紋が一致している。

それ以前から、私はNには嫌悪感を持っていた。
Nが現れたのは、私がデイケアに参加してから何年か経ってからだった。
Nは発語が不明瞭で、それを利用して、私の意に反した同意を私から取り付けようとしている様に、私には見えた。
元々そのデイケアでは私は、悪気なく色々な同室者とハッキリした言葉で話をしていた。
そこで何時まで待っても私が言葉で困らないのを見て、これならお前でも手に負えないだろう、という風にNが投入された、という風に感じた。
デイケアの女性スタッフから「宇田さんは理屈が強く、その点を話し相手が怖がっているので、言葉を控えめにしてほしい」という風に要請された事がある。
これは、言葉で負わされた問題を私が全て払い除けた事を不満に思った人が、私の防御手段を剥奪しに掛かった物だ、と思う。
デイケアのこの女性スタッフは、私に唐突に「年上の人の方が年下の人よりも優れている」といって話しかけて来た事がある。
これらは、私がデイケアに行かなく成った理由のうちの2つだ。
上掲の父との言い争いを見ても分かる様に、私の発言傾向は、それによって例え相手が立場を無くす程までに打ち負かされたとしても、少しも弱める事が出来ない物である。
少しでも「弱めろ」と言う事は私に、あなたという人間を全部明け渡せ、と要求する様な物である事が分かろう。
また、自分の方が優れている事は口で言わず行ないで示す、というのが私の流儀だ。
「年上の人の方が年下の人よりも優れている」と言われたのは、相手が年上であろうが私には敵わない、という事を私の行ないが証明したからだろう。
これは、上掲の父との討論で、私が言い勝つと同時に父が「お前の発言は病気の証拠だ」と宣言したのと、同じ手口だろう。
この女性スタッフは、一方ではセクハラを忌む道徳を訓示していたが、議論で勝つな、という要求も、誰が誰より優れているか、という考えの押し付けも、セクハラと同じぐらいに不当だ。
この女性スタッフは、Nとの対話で困っている私を前に、それを「宇田さんとNさんのバトル」という言葉で笑い事の様に言って、問題として解決しようとは全くしなかった。
そのデイケアのスタッフの中では最も信頼の置ける人の一人だったが、そういう人ですらこのレベルたらく、という事と、Nの背景にデイケアスタッフを恐れさせる者が存在していたのだろう、という事を思う。


会話の一部始終が伝聞の印象と正反対に成り得る例:
日本物理学会2011年秋季大会@学会発表@活動報告@学問における私と五十嵐靖則さんの対話。
06日@2013年12月@日記
07日@2013年12月@日記
01日@2015年03月@日記


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しようと思えば出来る、されてもされた事を証明できない、証明が必要だと主張される
これらが揃えば、不審だと判断できる。