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2015年06月29日(月曜日)
百田尚樹発言について

2015年06月25日に自民党勉強会に招かれた作家の百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言した事に対して、批判が相次ぎ、関連議員が処分されるに至っている。

この問題について、私見を述べる。

新聞社と言論は別である。
新聞社の行なった言論を理由に「つぶせ」と言っているなら言論弾圧だが、新聞社の言論以外の行ないを理由に「つぶせ」と言っているのなら、それは言論弾圧ではない。
何をしても新聞社だから許される、というのが間違いである事は、言うまでも無い。
百田氏の発言が新聞社のどういう行ないを批判する物であったのか、確認する必要がある。
そうであるのに、その点について全く詮索されていない事は、むしろ百田氏に有利な状況証拠だ、と言える。

安部首相も、前回の選挙直前だったか「日本は放送法があってフェアネス・ドクトリンというのがありますから」と言って、偏向報道をするな、という様な事を記者会見で言っていたので、百田発言は自民党全体の見解に反した物だ、というのは嘘だと思う。

間違った事をされて、それを非難すると、その非難に難癖を付けられて結局は逆に被害者が、間違っておりました、と謝罪させられ実損まで負わされる、というのは、それこそが言論弾圧であり、これは現在私に向けられている圧力と同質だ。

この問題に潜む詭弁性を暴く事も、私が
相対正義論を書き始めた動機だ。
違反行為は違反発言よりも重罪である。
したがって、違反行為を非難する発言に含まれる違反よりも、違反行為それ自体の方が優先的に呵責されねばならない。
犯人は、違反行為は無かったので発言に含まれる違反のみが問題だ、と言ってしらばくれる。
本当に違反行為が無かったならば、そうだ。
確かに、犯人の言う通り、被害者が嘘を吐いていたり勘違いしているだけで、違反行為は無かったのかもしれない。
しかし、犯人の言い分を鵜呑みにして、違反行為は無かった、と決めて掛かるのも間違いだ。
犯人が嘘を吐いている可能性も有る。
つまり、この問題は、違反行為が有ったか無かったかが不確実である、という点に着目して、不確実性と正義についての
2015年05月29日の記事の判断基準を適用して処理されるべき問題なのだ。
現実には、加害されてもそれを非難すると逆に失言だと言って責められる(精神病院に入れられる)ので怖くて何も言えない、その結果、先手を打っての加害はやり放題だ、という状況が生じているが、正しく処理すれば、そうは成らないはずだ。
また、正しく処理する事によって事態を改善するだけでは不十分であり、正しく処理させない様にして来た犯罪を暴き裁く必要がある。

真偽の程が不確実である要素を含む問題の処理で肝心なのは、
念のためという発想である。
どちらが本当なのか良くわからないので念の為に精神病院に強制入院させておく、という事は有り得ない。
良く分からなければ念の為に強制入院はやめておく、という判断が当然である。
それなのに良く分からないケースについて強制入院の制度を適用して来た者が、どれだけ凶悪であるかは、火を見るより明らかだ。

現在私は、言論によらず身体に物理的作用を及ぼす事によって態度を改変させようとする迫害を、しつこく浴びせられ続けている。
この様な犯罪に対向するために私は、証拠写真を撮影して直ぐにブログにメール投稿する、という事をしているが、最近のドローンに絡んだ犯罪についての報道を見ていると、報道機関が私の防御手段を取り上げる工作に協力している、という風に感じられた。

また、2015年06月06日午後10時35分頃の北海道砂川市西1条北22丁目の国道12号での乗用車と軽ワゴン車の衝突事故で死亡した軽ワゴン車の乗員の生業が新聞販売業であったのを見て、これは事故ではなく新聞への攻撃を目的とする犯罪だろう、新聞を大切にしなくてはいけない、と私が父に言った翌日頃に百田発言のニュースが入って来た事も、安倍政権を悪者に見せようとする意図を何者かが持っている事の現れだ、と思う。

だから、百田氏サイドが正義で新聞社サイドが悪者である可能性は十分に有る、と思っている。
私は、反百田側が怪しい、と思う。

以前から失言辞任というパターンが出来てしまって、この事が政界の浄化に逆効果と成っている、と感じる。
また、百田発言のニュースもそうだが、新ニュースが旧ニュースを忘れさせる目的で割り込み挿入されて来る事が多い、といった印象を受ける。
これも、おそらく、当たっているだろう。