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2015年06月27日(土曜日)
山口周南5人殺害事件第2回公判の感想

新聞やウェブで目にした情報は、次の様な物であった。

保見被告の証言 事件当時、周囲で悪口を言われている、と感じていた。
悪口を直接聞いた事は無い。
事件当時金峰に住んでいた被害者と被告を知る70代の女性の証言 過去に保見被告から「オレの悪口をいっていないだろうな」と聞かれ、「言ってないよ」と答えたところ、「今に金峰の人間みんなを訴えてやる」と切り返され、「皆に悪口を言われているように感じているのか」と思った。
被害者が殺されるような理由があった、とは断じて思わない。

上記の情報には、悪口の話と殺される理由の話がセットで登場しているが、証言が全て真実であったとしても、次の事実が明らかにされているわけではない、という事を念の為に言っておく。

「被害者が陰で自分の悪口を言っている、と被告は勘違いし、それが動機と成って被告は被害者を殺害したが、被害者が被告の悪口を言っていたという事実は無い、という意味で、被害者が殺される理由は無かった。」

被害者が殺される理由として被告が考えていた物が悪口だった、という事は上記の情報からでは全く言えない。
悪口にも色々有るので一概には言えないが、言葉で為された加害に対して行ないで報復する、という行為は、原則として甚だしく不当である。

従って、悪口を言われたという被告の認識が妄想でなかったとしても、悪口に殺害で報復したならば、被告のその行為は甚だしく不当だが、被告がそういう事をした、という風には被告も証人も言っていない。

被告と利害が対立する者からの証言のうちで、被告に不利な証言は、それがウソではない事の証明(ウソのバレ易さ、ウソがバレた結果の耐え難さ、の両方が非常に大きい事の証明でも良い)を伴わない限り、ほとんど無効である、という点を今日は私は強調したい。

被告は金峰の皆を「訴えてやる」と言って敵視していたのだから、金峰の皆と被告の間に利害の対立が存在していた可能性がある。
証人は金峰の皆の中に含まれている。
従って、金峰の皆と被告の間に利害の対立が存在していたならば、証人からの被告に不利な証言は、原則として、ほとんど無効である。
この論理を通して、金峰の皆と被告の間に利害の対立は存在しなかった、という証言も、金峰の皆の一員から出た物については、原則として、ほとんど無効である、という判断基準に導かれる。

証人の発言傾向は、私への加害者も徹底一貫して取る事を私が常日頃から大前提としている態度に、瓜二つである。

お互いに相手の意見を「間違っている」と言って批判し合っている者達に第3者の判定を受けさせて論争に決着を付ける、という営みにおいて、相手の方が間違っている、という結論を証拠として提出する事は、循環論法に該当する詭弁であり、無効である。

被告と利害が対立する証人の証言の是非は、それ自体が裁判で是非を争われる類の物であり、根拠としては使えない。
被告人からの証言については、疑わしきは被告人に有利に、という原則によって、そうではない。

この点を私が強く感じたのは、マツダ無差別殺傷事件の報道で、犯行前に被告への加害の事実は無かった、という証言を、加害者だと被告が主張する人から得て、それを根拠に、犯行前に被告への加害の事実は無かったのだ、とされていたのを見た時だ。
つまり、犯人に「しましたか?」と尋ねて「していません」と言われたので有りませんでした、という態度なのだ。
これで良いのなら、犯行を否認されたら警察はそれ以上捜査をしない、という理屈に成ってしまい、不合理である。
それに、疑わしきは被告人に有利に、という原則に従えば、無かった事が証明されなければ有ったものとして裁判を進める、という事に成るはずだ。

冒頭の情報中の証言では、「オレの悪口をいっていないだろうな」と聞かれた、という証言のみが客観的で有効だ。
これとてウソである可能性も無視は出来ない。(妄想だとまでは言わない)
私の場合、父との口論の際に、過去の事実についてウソも父の口から既に出始めている。

悪口を言うのを直接聞いてもいないのに、悪口を言われた、と認識する原因は、悪口が存在しない場合の被告の妄想や、悪口が存在した場合の被告の察知能力の高さ、だけではない。
妄想が有るという虚偽の事実をデッチ上げたり、実際に妄想を生じさせたりする攻撃も、そういう認識を生じさせる。

私の場合、視覚的には見えるが聴覚的には聞こえない位置の所に近所の人が立って、激しい身振り手振りで、立ち話をしているのを見た事が有る。
その身振り手振りの途中に、瞬間的に腕を伸ばし切って私の方を指さす動作が含まれていた。
これは、実際に悪口を言っているのではなく、悪口を言われたと私に錯覚させようとする物だ、と思った。

これは比較的珍しい例だが、もっと有り触れた手口としては、笑い声を出して怒らせた後で、お前の事を笑ったのではない、笑われたという認識は妄想だ、という風に交わし攻める方法だ。
これなら私は非常に多数回経験している。
一度も引っ掛た事は無いが。

少年時代に友人から「本当に自分が笑われている場合だって有るよね?」という質問の形で、この手口について意見を求められて、「もちろん、そうだ」と答えながら、その可能性を認めない不正行為が背景に有るのだな、と察した事があった。

悪口の例や笑い声の例は、それで妄想をデッチ上げる事が可能だ、という技術論を説明するには、分り易くて良いが、本当にそんな事をする人が居るのか、という疑問に答えるには、向いていない。
技術的に可能だ、という事だけでも、「された」という申告を「妄想だ」と決めつけてはいけない理由として十分だが、ダメ押しとして、手口が実用されている事がハッキリ分かる具体例を以下に挙げておく。

即達 > 2015年06月18日の記事(1)
即達 > 2015年06月18日の記事(2)

騒音@敵の手口を曝露@空手以外@理論@武道ページの証拠 > 動力削岩音欄に掲載されている2014年11月22日に録音された動力削岩音と電源用タイマーのクロック音の類似性

そういう奴は犯罪を犯す、と言って加害させる犯罪は、それがどんな物であったかをされた人が言葉で表現するのが困難な様に選ばれている。
その為に、殺害の最大の理由ではなく、悪口という言葉で説明し易い例を、被告は挙げたのではないか。


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初公判への感想への補足。

「たたく」という表現は、歪曲だと思う。
「殴る」という言葉が適当だ。
「殴る」を「たたく」に言い換えて行為の残酷さを矮軽化する傾向が最近、学校でのイジメ事件についても見られる。
これは、いけない事だ。

1987年頃、学生だった私は、西武新宿線上井草駅付近のレンタルビデオ店で、棚に陳列してあった「丑三つの村」というタイトルのビデオを指して友人に、作品中の犯人に共感を覚える、という意味のコメントをしたら、その後そこにそのビデオは無くなった、という事があり、その時既に、発禁の動機と同じ動機によるのではないか、と思った。
このビデオでは作品中の犯人が悪者にされているが、これもおそらく歪曲だろう。

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この記事の執筆中も、自宅周辺から身体に障る悪質な音がしつこく発せられた。