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2015年06月07日(日曜日)
法核の相違もウソ

公式の法核L0は間違っている、という意見を通し、自分達で用意した別の法核L1への賛同を取り付ける事が出来ると、L1への違反者に故意の作用を及ぼしてL0に違反させ、裁判では故意の作用を隠してL0の1階発展系で判断して無罪とするべき所をL0で判断して有罪だという誤った判決を引き出す、という形で、L1への違反者に実質上の罰を加える事、への協力を得る事が出来る。

しかし、故意の作用を及ぼして違反させる、という手口は、L1に違反させる為に用いる事だって出来る。
その発動への協力を得るにはL2への違反で十分だとすると、任意に低いハードル(LNへの違反)から出発して、逐次ハードルを上げて行き、最後は、L0への違反を引き出す、という関門を突破する、という計画が可能と成ってしまう。

そして、犯人が実際にやっている事は、これに近いのではないか、と思う。
L1への信仰が厚い為に犯罪を犯すのではなく、そういう人は手先として利用されているだけで、根は、この良く出来た犯罪装置を錆びつかせずに機能させ続けたい、という‘悪の為の悪’に在る気がする。
つまり、犯人にとっては、理由なんて何でも良い、のである。

そこで、この犯罪装置を誰かの役に立てたいのですが、といって客を募ると現れたのが、生物個体として劣った人だった、という漫画が描けるのではないか。

L1としては、例えば、次の様な義務が考えられる。
(1) 目上の人を尊敬しなければいけない。
(2) 誰がいつどこで何をするかは皆で決め、それには従わなければいけない。

(1)については具体的には、目上の人よりも賢い事を言うな、という不当な要求を突き付けられて来た、と私は実感している。
目上である事が、賢いという事よりも、もし尊敬の対象であるならば、目下の人に賢い事を言われても、目上の人の面目には何ら傷は付かないはずだ。
なぜなら、それは単なる賢さであって、目上である事ほどには価値が無いはずだからだ。
賢さを恐れる、という事は、目上である事よりも賢い事の方が尊い、という風に自ら認めている、という事だ。
つまり矛盾なのである。

(2)については、
2015年03月07日の記事に詳しく説明してあります。
具体的には、私が実感している物としては、次の様な意見が有るだろう。

各々の職位は社会の構成要素であり、社会は皆の物だから、職位も皆の物である。
従って、職位を競争によって自力で獲得する事は、競争相手からそれを力づくで奪い取る図々しい野蛮な行ないだ。
正しくは、この人がこの仕事で良いですか、という風に皆に打診して、嫌だと言われれば譲らなければいけない。

因みに私の意見は、
2014年08月23日の記事に書かれている取引の成否は当事者が元から外部に所有している自分であり、他者から奪った物ではない、それによる収入が生活費として十分なら、それが職業である、という意見だ。

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2015年06月04日の記事への2015年06月05日の記事での補足への補足。

自動車事故について。

過去に私が誤答を繰り返したのは、犯罪ではなく事故だと言われたからだろう。
事故なら過失が片方だけに在る事は考えにくい。
しかし、故意が有る場合には事故ではなく犯罪だ。
私に質問した人は、この点を計算して「事故」という言葉を使ったのだ。
従って、私の答えは誤りではなく、私の答えを何の理由に成ると考えたかの部分に、犯人の誤魔化しが有った、と推測できる。