since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2015年06月 >
< 05日 >
2015年06月05日(金曜日)
警察の犯罪

法核への違反に対する罰は、法核への違反であり、罰としての正当性が有る場合にのみ、法核の1階発展系に違反しない。
従って、罰を不当に課す事は、法核への違反であるという理由で、法核の1階発展系への違反である。

警察による犯人の逮捕・投獄という罰は、拉致・監禁という法核への違反が、罰の正当性によって、法核の1階発展系への違反ではない、とされる例である。
従って、正当性の無い逮捕・投獄は単純に拉致・監禁という犯罪であり、これは、法核への違反であるという理由で、法核の1階発展系への違反である。
念のために言っておくが、法核の1階発展系への違反は法核の2階発展系への違反であるとは限らない。

逮捕・投獄というのは従来型の罰であり、昨日の記事の末尾に書かれている私のアイデアは、違反の被害を受けない権利を所定の分量だけ剥奪するだけで、後は成り行きに任せ、能動的に加害する事はしない、というセルフサービスみたいな方法だった。
この方法で不正が有ると、それは、どういう犯罪と見なされる物だろうか?

(1) 剥奪される権利の種類と分量が犯した罪と釣り合わない様に故意の誤魔化しを行なう。
(2) 犯した罪を故意に誤認する。

これは、法核の中のいずれかの義務への違反ではなく、外付けのメタ犯罪らしい。

法核に罰と正当防衛と損害賠償に関する義務を付け足して法核の1階発展系を作る時に、捜査と裁判を行う義務および(1)(2)の禁止という義務も一緒に付け足す必要がある。

考えて見るに、法核に対する違反が全く無ければそれ以上の義務は無いが、違反が有れば捜査と裁判をする必要が生じてしまう。
これは犯人のせいだから、犯人は違反の直接の被害を与えた事に加えて、捜査・裁判の必要の分だけ他者の義務を増加させた、という形で加害した事に成る。
この構図で考えると、被害者が捜査員(警察官)や裁判官に感謝するのではなく、犯人が捜査員や裁判官に謝罪する、というのが本来あるべき姿だ、という事が分かる。
この部分は、犯人が違反の被害を受けない権利を減じられるという形で罰を受ける事、によってでは復元されない。

その前提で考えると、(1)(2)をあまり厳しく言えない感じがする。
捜査と裁判は、犯人の依頼に応諾して納得づくで行なう行為ではなく、犯行によって否応なくさせられる羽目に成った犯人の尻拭いだ。
したがって犯行が本当に、法核に違反したという理由で法核の∞階発展系に違反している場合には、(1)(2)という犯罪はあまり肝心ではなかろう。

警察の犯罪として肝心なのは、法核の∞階発展系に全く違反していない人の何らかの属性や行為に着目して、その人にたとえば法核に違反させる事を目的に故意に自分の予定や計画を変更し、その背景を隠し、違反した所をとらえて、本当は法核の1階発展系で判断して無罪とすべき物を、法核で判断して有罪だと裁判で誤認させる、という種類の行為だろう。
これは、原因と成った故意が警察に在るので、真に警察の犯罪と言えるだろう。
着目した属性や行為という処罰の対象としてはいけない事に実質上の処罰を加える、という犯罪だ。


---
昨日の記事への補足。

交通事故について。
交通事故では片方に100%責任が有ったなんて事は有り得ませんよね、という風に尋ねられ、はい、と答えた事が、私には過去に何度も有る。
そう答えた事は誤りだった、と今ではハッキリと思っている。
事故前に片方が交通事故を起こす事を目的に故意に少しでも予定や計画を変更したならば、そうした人に100%の責任がある、と考えるのが本当は正しい。
この点を認めないと、被害者が損害を完全には取り戻せず、その取り戻せない量が如何に少しでも、犯人が自損を覚悟でそれを繰り返せば、犯人は被害者に幾らでも大きな損害を与える事が出来てしまう。
私が受けた質問は、この犯罪を通用させるための下準備だった事はほぼ間違いない、と今では思っている。
公務員でない私が2人程度の対話で口頭でコメントした事が如何ほどの力に成るのか、という点でも不審である。
被害者に違反が全く無い場合には、ツボの例と全く同じだから、故意にやった人に100%の責任がある事は明らかだ。
問題は、被害者にも些細な違反が有る場合だ。
この場合にも故意にやった人に100%の責任があるだろう、と予想する。
片方に100%の責任という事は無い、という屁理屈が現実に非常に多数回使用されて、この犯罪に歯止めが掛からなく成っている様なので、過失があっても故意にやった人に100%の責任がある理由、を早く明確にする必要がある。

犯人像については、自分の幸福度を高める事によって被害者の幸福度との差を縮める見込み、が無いと考えている等、自分の幸福の追求に望みが持てないから他者の不幸を追求する、そういった犯人像が思い浮かびます。
これは、客観的に劣った人、主観的に自信の無い人、自分不相応に欲求レベルの高い人、といった人物像であり、
日本物理学会2014年秋季大会@学会発表@活動報告@学問の9aAC-7「ソレダケノモンの数理(1)」の「Aが無い人」が、それに近い。

---
2015年06月03日の記事への昨日の記事末の補足への補足。

犯人を教育して犯罪傾向を減らす、という観点からも、自分のした違反の被害を経験させる、という方法が不可避で最も効果的なのではないだろうか。

---

2015年06月01日の記事の水鉄砲の話への補足

イタズラについて。

故意に他害する事を目的になら些細な事でもダメ、という私の意見について、イタズラぐらい良いじゃないか、という反論が考えられる。
つまり、水鉄砲で撃ち殺そうとしたのではなく、水鉄砲で不快感を与えようとした場合である。
これについては、些細なイタズラなら、被害者が大きな被害を感じる心配はあまり無いので、実際問題としては、水鉄砲を撃った人に被害者が感じた被害の全責任を負わせる、という原則の欠点は感じられないが、万一被害者が感じた被害が大きかったとしても加害者はその大きな被害を与えた事に成る、という厳しい考え方を私はします。
被害者の感じた大きな被害の原因が被害者の異常性に有る等の因果関係を加害者が立証できれば別ですが。

登山中に仲間に不快感を与えるためのイタズラをしたら、した人かされた人がよろけて、足元の小石が斜面を転がり落ちた。
下の方でその小石が逐次大きな石に当たって、最終的には大きな重い石の落石で死人が出た、という場合。
このケースについても、イタズラをした人の罪は殺人罪であり、これは過失事故ではない、という見方を私はします。