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2015年06月01日(月曜日)
因果関係と故意(2)

昨日の私の見解を、若干の修正を交えて書き直すと、次の様に成る。

(1) 被告が他の誰か(原告とは限らない)に危害を加える事を目的に含めて故意に何か行為し、客観的にはそのせいかどうか分からないが、そのせいで原告に被害が生じた可能性があると原告が主観的に判断した場合、被告の行為と原告が感じた被害の間に因果関係が無い事を被告が立証しなければ、原告の主観的な判断を便宜上客観的な証拠として認めた上で裁判を進めるのが正義上無難である。

昨日と違う所は、次の2点だ。
(2) 目的は危害を加える事だけでなくても良い。
(3) 被告が危害を加えようとした相手は、原告でなくてもよい。
(4) 被害は原告の主観(ただし正直な主観)だけに基づき、客観的には存在していなくても良い。

(2)を正確に言うと、次の様に成る。
(5)危害を加える事を行為の目的から除外していたら異なる(程度だけでも良いし少しだけでも良い)行為をしたはずだ。

これは、一石二鳥的に危害を加える事も目指されているだけで、危害を加えようと思っていなかったとしても同じ事をしたはずだ、という場合には、被告が他の誰かに危害を加える事を目的に含めて故意に何か行為した、とは見なさない、という意味です。
分かり易く言うと、危害を加えるために行為を(危害を加えようとしない場合に比べて)少しでも変更したか、という問いに対して、変更した、と答える場合が、本稿で取り扱っているケースです。

昨日の記事の最後の方で気が付いた事が本質だ、と思う様に成ったので、以下にそれを整理する。

被告の行為は故意であった、という部分は前提として固定し、
A = 因果関係が有る
X = 因果関係が無い事を立証する義務を被告に課す
という問題について根本原理に尋ねる、という方針が適当だ。
X = 因果関係が有った場合の刑罰
として考えるのは的外れだった。

他人に危害を加える目的で故意に何か行為する、という事が正当な権利の行使において必要に成る事は全く無い。
つまり、他人に危害を加える目的で故意に何か行為する事への禁止は、正当な如何なる行為の妨げにも成らない。
したがって、(1)に従った制度に成っている、という事を周知した上であれば、Aが偽なのにXを実行する事の不当さは完全にゼロである。
故に、
P1 = (Aが偽なのにXを実行する事の不当さ) × (Aが偽である確率) = 0
です。
従って、
P2 = (Aが真なのにXを実行しない事の不当さ) × (Aが真である確率)
の値の如何にかかわらず常に、
P1 < P2
であり従って、Xを実行するのが無難だ、と結論できる。

ルールを守らせるために違反者に危害を加える罰は、表面的には他人に危害を加える目的での故意の行為だが、本質的には他人から危害を加えられない様にする為の行為だから、表面的には本稿の適用対象だが、本質的には違う。
これは、正当防衛と同様だ。
そういう意味での表面的でない考察は、保留とする。

具体例として、プールで被告が原告を水鉄砲で撃ち殺そうとした場合、を考える。
この場合、被告は、水鉄砲でも撃ち殺せる、とか、水鉄砲でも撃ち殺せるかもしれない、という風に考えて行動したのだから、当然の事ながら、水鉄砲では撃ち殺せない、という法則の証明を持っていない。
この前提で、もし原告が、水鉄砲で撃たれたせいで死にそうに成った、と訴えたら、被告は、水鉄砲でそう成るはずがない、という事を証明できないので、水鉄砲で撃たれたせいで死にそうに成った、という原告の主張が便宜上客観的な事実として証拠採用され、その結果、被告は殺人未遂罪で有罪と成る。
この様に、論理的な可能性としては、故意に悪い狙いを持った行為をする事に対して非常に厳しい評価が下され得るが、実際問題としては、因果関係が無ければ、原告が大きな被害を訴える事は無いので、評価も程々に成るだろう。
また、被告が原告を水で癒やす事を目的に同じ行為をした場合には、原告が、水鉄砲で撃たれたせいで死にそうに成った、と訴えても、被告は無罪である。