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2015年05月29日(金曜日)
不確実性と正義

現実についての命題Aが真ならばXを実行するのが正義だが、Aが偽ならばXを実行しないのが正義だ、という前提が成立している場合について説明する。

罪刑法定主義で問題とされる状況の様に、現実の問題では、Aが真なのか偽なのか、100%確実には分からないのが普通だ。
そこで実際問題としては、Xを実行するのかしないのかを、その前提の下で決定せざるを得ない。
「Xを実行する」も「Xを実行しない」も両方とも選択しない、という事は不可能だからだ。
決定しない、という選択をしても、それは「Xを実行しない」を選択した、という事だ。

その決定の原理は、以前にも書いたかもしれないが、以下の条件だ。

P1 = (Aが偽なのにXを実行すれば如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ) × (Aが偽である確率)
P2 = (Aが真なのにXを実行しなければ如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ) × (Aが真である確率)
とする時、
P1 > P2 ならばXを実行するな。
P1 < P2 ならばXを実行せよ。

この原理は、罪刑法定主義の「疑わしきは罰せず」という原理よりも根本的であり、罪刑法定主義の「疑わしきは罰せず」という原理の根拠である。

A = 被告は有実である
X = 刑罰

という特別な場合について、

(Aが偽なのにXを実行すれば如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ)
= (無実の人に刑罰を課した事によって生じる不条理の大きさ)

は非常に大きく、

(Aが真なのにXを実行しなければ如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ)
= (有実の犯人を釈放して野放しにする事によって生じる不条理の大きさ)

はそれほどでもない、という大雑把な見積もりを採用すれば、罪刑法定主義の「疑わしきは罰せず」という原理が、根本原理から導き出される。
従って、罪刑法定主義の「疑わしきは罰せず」という原理の妥当性は、実はその程度の大雑把な物でしかない。
犯行の立証に少しでも不明な点が有れば有罪にはしないから厳密だ、とは言えないのである。

「疑わしきは罰せず」という原理は、もっと一般的な、

危害を加えられた報復をしたい、とか、これから危害を加えられたくない、という他者の都合で本人の権利をある程度以上制限するためには、危害を加えられたという事実や、放っておくとこれから危害を加えられるという危険の存在を、証明する必要がある、

という原理に部分として含まれる、と考えられるべきだ。
この原理を、法的自由主義の原則と呼ぶ事にする。
法的自由主義の原則は、ある人の権利が他のある人の権利よりも優先される事があってはならない、という見地からも必要であり、不確実性の処理の見地から言うと、

A = 本人は危害を加えた, これから危害を加える危険性を有している
X = 本人の権利をある程度以上制限する事

という特別な場合について、

(Aが偽なのにXを実行すれば如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ)

は非常に大きく、

(Aが真なのにXを実行しなければ如何に悪い方へ大変な結果を招くか、その大変さ)

はそれほどでもない、という大雑把な見積もりを採用する事によって、根本原理から導き出される。

この判断基準は、まず直接的に、拷問(嫌がらせ)を掛けて反撃させ、その反撃に、加害だ危険だ、との難癖を付けて精神病院に送り込む犯罪の不当性を、拷問が無かった事が証明されないので被害者の加害性が証明されない、という形で暴くが、拷問が有った事も証明されないので、加害者に拷問をやめさせるという形の権利制限をする可能性も断つ。

本来は、拷問の存在が懸念されるが証明されない場合、被害者に逃げ場(シェルター)を与える、という措置が、被害者の権利制限よりも、先に立つはずである。
これは加害者への権利制限を全く含まないからだ。
それなのに、そこをすっ飛ばして被害者の権利を制限する(=精神病院に送り込む)、という事が行われて来たのは、加害者の犯意の証拠と見なせるだろう。

根本原理に立ち返ると、法的自由主義の原則が絶対ではない、という事も明瞭に理解されるはずだ。
大雑把な見積もりの部分が、かなりいい加減だからだ。

根本原理に忠実であれば全てハッピーなのか、と言うと、そうではない。
見れば分かる様に、これはジレンマである。
どちらに転んでも、絶対に間違っていないという保証はなく、間違っていたら「あってはいけない」に成ってしまう。
したがって、根本原理を適用しての判断が必要に成ってしまった時点で既に、それが必要無かった時よりも不幸に成っているのである。
この法則性を利用して、このジレンマへ引きずり込む、という形で被害者に加害する犯行については、その犯人を野放しにする事によって生じる不条理の大きさは、それほどでもないとは言えなかろう。

狭くは紛らわしい状況を故意に作る犯罪であり、広くは必要な事が実行できない様に舞台を設定するという意味でセットアップ犯という概念が当てはまるのではないか、と思っている。