since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2014年11月 >
< 22日 >
2014年11月22日(土曜日)
相対正義論への糸口(2)

2014年11月15日の記事で提起され昨日の記事で詮索された例題について、昨日の記事には肝心ではないかもしれないと書いたが、その後、肝心な事を論じる為の材料に成るかもしれない、と気付いたので、今日は、それについて書く。

この種の例題を使って私が最も指摘・究明したい事は、些細な点の違いでどちらが悪いかの判定結果が180度違う、という事だ。
それを裏付ける例は、
2014年11月15日の記事で既に1つ挙げられている。

今日は、
昨日の記事で提示した条件の無限列を用いての例示、を試みる。

それに先立って、この問題の最大の意義は、前段(nが小さい)に対する判定結果が後段(nが大きい)の如何によって覆され得る、という事が、ほとんど一般的と言える程まで広範囲に渡って成立するのではないか、という疑いを検証する事だ、という事を、ここで指摘しておく。
これを、昨日は言い忘れた。

さて、(α0, β1, α1, β2) = (2, 2, 2, 1)の場合、昨日はまだハッキリとは分からなかったが、次の2点を指摘できる。

(1) 実際にはβ1=2だったけれど、Aがそう思った事(α1=2)はマグレアタリであった可能性がある。
 β2=1であった事は、α1=2がマグレアタリであった事、の1つの情況証拠だ。
 例えば、Aという人間について自分が知っている事から判断するとβ1=2である事がAに分かるはずがない、という風にBが考えたからβ2=1なのかもしれない。
 そして、その事は、β1=2の原因が普通では有り得ないぐらいに高いBの能力だったから、かもしれない。
 そういう場合、Bの能力は普通では考えられないぐらいに高いのでβ1=2だ、とAが思ったならばα1=2はマグレアタリではないが、AがBの能力を実際より小さいと錯覚する事は、有りがちな事だ。
 そうだとすると、殴り返されて当然な事をAがして、それに対してBが、もし殴り返さなかったら、殴り返さなかった分だけBが自腹で負担した事に成るので、その分を殴り返す事によってAに報復する、という脈絡が付く。
 この場合、(α0, β1, α1) = (2, 2, 2)であるにもかかわらず、先に仕掛けたAが悪くBは悪くない、という事に成る。

(2) β2=1であると、β1=2な事をされたという点では被害ゼロだが、α1=1な事をされたとBが感じたという点で被害がゼロではない。
 それはBの誤解だったわけだが、そもそも第1手を仕掛けたのがAであり、Aが仕掛なければその誤解も生じなかったので、その被害はAの加害による、と考えられる。
 α1=1な事をされたと感じる、という被害は、この件についてはたまたま自分に不安が生じなかったが、別の件についても自分に不安が生じないとは限らず、不安が生じる場合もあるだろう、そういう事をAは今後して来る可能性がある人なので心配だ、という不安が生じた、という被害だ。
 この被害を生む加害がAによって何度か繰り返された場合、それに対してBが殴り返す事が不当なのかどうかは、未解明の問題であり、よく考えもせずに不当だと断じる事は軽率だし、未解明である事に付け込んでのA型犯行は卑劣である。

(1)についての部分は、β2を持ち出さなくても出来る話だったかもしれない。
まだ、頭が混乱している様だ。

私が、こういう感じの問題に対して尋ねられた際に年少の頃ほどハキハキと答え、年を追うごとに歯切れが悪く成って来たのは、こういう迷路に入ってしまっているからです。
物事をウヤムヤにしよう、という傾向が出て来たから、ではありません。
ハッキリさせようとする意思が年少の頃より高まって来た事による混迷です。


---
2014年11月15日の記事への補足。
A-1×B-2のケースは、BがAの手口を逆手に取った、という言葉で表現されるべき状況に成っている。
この様に、逆手に取る事は、普通は、逆手に取った人が正しく、逆手に取られた人が間違っている、ものです。

2014年11月08日の記事への補足として、2014年11月09日の記事2014年11月13日の記事に書かれているエピソードについての補足。
タオルを見た私は愕然として「これが俺なのか」と言ったのだったかもしれない。
つまり、自意識という物が瞬間的に変容し、普段自分に対して持っているイメージ(大きな自分)よりもずっと小さい自分という物が見えてしまった、という事です。
これに似た現象としては、1997年に飼い犬が死んだ際に、鏡に写った自分が、火葬された無価値な骨が立って機能している様に、見えた、というのがある。