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2014年11月13日(木曜日)
私が陥れに引っ掛からなかった理由(10)

陥れだとは思わなかった。

つまり、犯人は私をどうこうしようとは思っていない、と私が思っていた。
他人様の体に手を触れて力づくでどうこうするなんてそんな大それた事は許されない、という事ぐらいは最低限の社会常識として当然犯人もわきまえている、と私は思っていた。
嫌がらせ行為は、どうにも出来ないので犯人が悔し紛れにやっている事だ、と私が思っていた。

そういう事なら、他の人は許さなくても私は許す。
それが私の性質だ。
だから、陥れに引っ掛からなかった。

大袈裟な敗北アクションに見えた事もある。
これはどういう解釈かと言うと、例えば、アクション映画で敵役がヒーローに打たれた際に、単に倒れるだけでなく倒れた後で痙攣する事によって、やっつけられ感を演出する、といったニュアンスを感じた、という事だ。
私が自分のホームページに他者による同ジャンル記事とは比べ物に成らないぐらいに優れた事を書いた直ぐ後に、近所での工務の様子が急にゾンザイに成ってそれが音を聞いても分かる、といった場合に、それを私は、自分の美徳を飾り立てている、という風に感じ、そこまでしてくれなくても、と思った事が有る。
プロ野球の試合でA球団がB球団に負けた時に、それまで自分の仕事をしながら観戦していたA球団ファンの仕事のやり方が急にゾンザイに成る、というのと同様の現象だ、と思ったわけだ。

大抵は、悔し紛れの衝動的自慰行為に見えた。
大袈裟な敗北アクションについても、犯人は別に飾り立てようと思ってやってるわけではなく、これに見えた。
口腔不快音については、誰かから「あの人はお前なんかとは違うんだ」と叱られて不機嫌に成っている場合の自発的柔和性の破れに見えた。

仕事で張り合おうとしている風に見えるパターンも有った。
朝私が動き始めると同時に周囲がザワつき始める、という法則性が存在している局面が良く有ったが、これに対して私は、私の働きの存在感の大きさに犯人が自分の仕事の存在感の大きさで匹敵しようと張り合っている、という風に何度も感じ、よしそれじゃあ勝負だ、と思った。

自分のした何かが核心を突いていた事の印に感じられた事もある。
テレビゲームで得点すると、それを知らせる音がゲーム機から出る。
こういったニュアンスだ。
物理学についての記事を自分のホームページに書いても、物理学を専門とする人以外の人が不機嫌に成る事は、普通は有り得ないだろう。
そういう事が有るとすれば、それは内容がちょっとやそっとではない余程すごかったから、に違いない。
そして、そういう事は、他の人には有り得なくても私には有る、と自負している。
その文脈で、今日書いた分はまだそれ程の物ではないんだけどなあ、と思った事がある。
また、地球が鳴っているかの様な振動に近い低音を自宅敷地内の屋外便所で初めて聞いた時には、それを、自分の業務の到達度が人間社会の何かを超えた事の現れの様に感じた。
本当にそうだったら、超常現象なんだけど。

つまり、私の思考パターンは、正しいとすると何が考えられるだろうか、という事をまず考える様に成っている、という事だ。
これも私の性質だ。
なんて良い人なんだ。
今日書いた分については、
2014年11月01日の記事に書かれている感じ方と違って、私に対するものだ、と私は感じた。

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2014年11月08日の記事に対する補足(2014年11月09日の記事に書かれている)への補足。
窓ガラスの半透明は、透明な材質のガラス板の片面がデコボコにしてある事による半透明だった。
これは当時の下宿では良くあるパターンだった。
タオルは白色だった。

2014年11月12日の記事への補足。
犯人は私を試している(私の能力と性質を測定してそれが劣悪である事を証明しようとしている)と私が思う事が多かった。
つまり、犯人は私の能力と性質が実際よりも低いと本気で信じている、という風に私は思った。
誰から何を言われればこの俺がその程度の事で間違うだろうと思えるんだ的な腹立ちを覚えた。
試験を受けない権利の説明の広宣流布の必要も感じた。
試すのはいいんだけど、結果が分かったらやめろよ、観測が被測定系に与える影響だってゼロじゃないんだから、という事も思った。

2014年11月10日の記事への補足。
正しくない事を証明できなければやめさせる事も処罰する事も出来ない、というのは、ストーカーや陥れ目的の嫌がらせ行為については正しくない、というのが私の意見だが、根拠付けはまだ。