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2014年11月09日(日曜日)
私が陥れに引っ掛からなかった理由(7)

目標が達成困難である事から来る憂鬱。

この憂鬱が有る限り、他にどんな嬉しい事があっても、心の底から喜べる事は無かった。
自分の目標が達成できそうにない感じ、という物が、根雪の様に心の奥底に常時存在し続けた事が、精神に鎮静効果をもたらし、嫌がらせに対する反応を鈍化させた。
誰かと喧嘩して勝ってもそんなのちっとも嬉しくないのでしたいと思わない、嫌がらせを除去しても根本的な解決には成らないので除去する気が起きない、という風だった。
目標達成の困難さから来る憂鬱が、自分に対して最大の嫌がらせであった。

その頃の司法試験浪人の毎日の気分を引き合いに出すと、分かり易かろう。
私が学生だった頃は、司法試験に合格する事は極めて困難だった。
学生時代に交通誘導のアルバイトで知り合った司法試験浪人のS氏と馬が良く合ったのも、そのせいだと思う。

私の目標は、司法試験合格よりももっと困難な、言っても笑われるだけだから、ある程度以上は力を入れて言わない、聞く側にも、相手の言う事を軽んじない義務が、そこまであるわけではない、という類の物だった。
S氏は、司法試験は国家試験の中で最も難しい、と言っていた。
当時はそうだった。
国家試験に限定しなければ、もっと難しい事もあり、私のはそれだった。

何に基づいてか2000年を過ぎてから私の事をエリートだという人が居たが、コースアウトした時点で私はエリートではなく成っている。
エリートというのは組織の中で活躍する人であり、私は、個人の為し得る仕事の中で最高の物、を目指して来た。
エリートは他人の基準で選ばれた人だが、私を孤独学者に選任したのは私自身だ、という違いも有る。
エリートであっても、学者の場合には、私と同じ事を目指す事も出来たと思うが、そうではないという噂を聞いた事もある。

エリートを目指したが挫折したので、もっと大きな事を目指す様に成った、という面が私にはある。
それは、ギャンブルで負けた分を取り返そうとしてもっと大きな賭けをする、というパターンであり、大抵は無謀である。
私は、その賭けに勝った。

他人からの頼みを断るために、遠回しに「いやあ、それは難しいですねえ」と返答する語法があるが、私の目指して来た目標の達成は、その「難しい」よりも、もっと難しかった。

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昨日の記事への補足。

1993年末期か1994年初頭、非常勤講師として勤めていた学習塾から帰って、下宿の自室に入る瞬間、6畳の自室の奥(南)の窓の直ぐ外に自分が吊り下げて干しておいたタオルが風に揺れているのを半透明の窓越しに見て、それが自分の孤独を象徴していると強く感じ、ゾッとした事がある。
寒い冬の日の日没後、雨は降っていなかったが、空全体灰色一色の曇天の日だった。
風は少し強めだった。
昨日書いた三谷公園からの散歩でもそうだが、元日や入学式や卒業式といった特別なレッテルの貼られた日ではない、何でもない日のふとした瞬間に、物質的にも特別変わった事が有ったわけでもないのに、一生記憶に残る様な私的心理的経験というものが訪れる事があるものだ。