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2014年11月08日(土曜日)
私が陥れに引っ掛からなかった理由(6)

寂しかった。

寂しかったので、負のチョッカイであっても、寂しさを紛らす正の効果を持ち、その分だけ負の効果がキャンセルされた。
そのため、ストレスの蓄積が、犯人の期待する分量に達しなかった。

私は、1986年に東京理科大学に入学し、その年の途中から学校に行かなく成り、1987年に1年生をやり直したが取得単位不足で、1988年も1年生に留まり、1989年に2年生、1990年に3年生、1991年に4年生に進級し、1992年春に卒業した。

1986年の学校に行かなく成った頃辺りが、転機に成っている。
学校に行かなかった期間は半年ほどに過ぎないし、1987年と1989年には、単位取得のために結構忙しく学校に通っていた。
1988年と1990年は、学校に行かない日が多かった。
1988年に学校に行く日が少なかったのは、1年生の単位を全て取得し終えた後でないと2年生の科目を履修できない制度に成っていたからです。
1990年に学校に行かない日が多かったのは、1989年に2年生分の単位だけでなく、3年生分の単位の大部分も取得し終えたからです。

ついでの話、1987年に1年生分の単位を全部取得する事が出来なかった理由を、宇田君は専門分野は良く出来るが語学が苦手だったから、という風に説明している様ですが、真相は、私の投げやりな態度でした。
語学の単位が取れなかった事が留年の直接の原因であったのは事実ですが、それは、語学が苦手だったからではなく、語学を「何だ、こんなもん」といって蔑み全く勉強しなかったからでした。

学校に忙しく通っていた時期についても、寂しかった、という言い方が当てはまるだろう。
それは、人付き合いがどうであるか、という事ではなく、コースアウトしている、という感覚だ。

高校時代の私が大学進学について、浪人するなんて絶対に嫌だ、という風に感じていた事を、この問題について考える時には何時も思い出し、それは、孤独に対する自分の感じ方を測る基準に成っている。
この「嫌だ」という感情は、孤独に対する忌避感情であって、その時期を耐え抜く事が出来れば悪くないが、その時期を過ごすのが辛くて嫌だ、という感じ方だ。
他所に書いた様に、浪人して高校の勉強を繰り返すよりも直ぐに入れる所に入って早く大学の勉強を始めた方が賢明だ、という計算もあったが、同時に孤独に対する忌避感情もあった。

浪人生活というのは、予備校に通ったりすれば、必ずしも、人付き合いが大学に通っている場合に比べて希薄なわけ、ではない。
しかし、浪人生活が学生生活よりも寂しい事に異論の余地はないであろう。
このページで私が言っているのは、そういう意味での寂しさである。

たぶん1988年か1990年に下宿の近所の杉並工業高校付近の三谷公園から遊歩道を歩行東進散歩した時の心境、が極めて寂しさに満ちた物であったのを、後で色々な機会に何度も思い出した。
その時の心境には、異性との人間関係が構築できない事を気に病む、という成分の占める割合が高かったが、背景にコースアウトの寂しさが圧倒的な迫力で存在していた、のも確かだ。

また、1986年に初めて乗ってみて、その後学生時代に何度か乗った武蔵野線に、中央線・総武線の駅から乗って、北部を半円状に移動し、中央線・総武線の駅に戻って来る、という気晴らしの仕方も、出発時に孤独感が、そういう方法によってでなければ自分の力ではどうにも御す事が出来ないレベルに、達している場合が多かった。

そういう種類の感情で、最も顕著な物として記憶に残っているのは、千葉県千葉市の新検見川駅付近の下宿の自室で、たぶん1993年に感じた物だった。
寂しさのために、そのまま部屋に居続ける事が出来ない心理状態に成り、散歩に出かけた事がある。
これは、恐怖症や衝動に近い、心拍の瞬間的な乱れを伴う、強い反応だった。

一人暮らしのお年寄りの孤独の問題がテレビで言及されているのを何度も見たが、私の孤独は、20台前半にして、そのレベルに達していたと思う。

さて、高校時代に浪人生活をどう思ったかを思い出すと、大学卒業後の私の感じ方は当然の事であり、学生時代も途中までは、浪人生活よりももっと孤独な世捨て人の様な研究生活には、踏み切る勇気が持てなかった。
そのぐらい、今まで私がして来た様な孤独生活は、私にとって暗黒イメージだった。

しかし、1990年代前半頃には、本来負の感情である孤独感を、趣深いものとして味わう、という境地にまで達し、孤独の問題は一応克服出来た。

大学に行かなく成った時期以外にも、もっと長期的に見て、中学入試で不合格だった事や、大学入試で第1志望の大学を断念した事も、転機に成っている。
中学入試不合格で、中学校の3年間は、どこか晴れ晴れしない気持ちで過ごした。
高校入試で、それを挽回し、高校の3年間は、晴れ晴れした気持ちで過ごしたが、大学進学で、また第1志望ではない大学に進学したので、学校に行かなく成る前から、気分が晴れ晴れしていない、という事は、既に濃厚に始まっていた。

処理し切れないぐらい寂しい気持ち、というのが、年を追うごとに徐々に進行しているらしい。
同じ事をしても気分を紛らす事が出来なく成った、という事が漸進しているからだ。
小学生の頃は、たぶん日曜日という日が気晴らしに成っていた。
中学生の頃は、日曜日に自転車であても無くぶらつくと、気晴らしに成った。
学生時代に実家に帰省した時に、中学時代よりも遥かに大規模に自転車で徐行ぶらつきをしたが、その頃には、それはもう気休めでしか無かった。
武蔵野線周遊も、学生時代晩期には効かなく成っていた。
因みに、本来は、こういう問題に対して相談に乗るのが精神科であるはずだが、医者にこういう話をしても乗って来なかった。
それも不審点だ。
つまり、元からカッコ悪い人間を慰めるために私をカッコ悪くするのが目的だからだ、という事情が透けて見える。