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2014年11月05日(水曜日)
私が陥れに引っ掛からなかった理由(4)

目標が大きかった。
大成功への執念があった。
神話的には使命感があった。

目標が大きいと、他の事が相対的に小さく感じられる。
私は、自分のやってる事の大きさから考えると、何が何でもそれを阻止しようとする動きがあるのではないか、という事を心配したが、そういう動きがハッキリと顕在化する様に成ったのはごく最近に成ってからの事であり、それまでは無風状態にしか見えなかった。
実際にはその頃にも既に色々な事が仕掛けられていたわけだから、私がそれらを実際よりも小さく感じた、と解釈できる。
少年時代に、夢中に成れる物がある人は強い、という言葉を聞いて、陥れの様な物の存在を前提にしないとこの言葉の意味は理解できないので、陥れの可能性に気付いていなかった当時の私は、何の事を言ってるんだ、と訝しく思った。
その頃、陥れ犯タイプの人が、何かに熱中すると馬鹿に成るから始末に負えない、という風に不満そうにつぶやくのを見て、訝しく思った。
千葉に住んでいた時に、隣室に引っ越して来た不審人物Yから、暗に私の経歴を指して波瀾万丈の人生と言われた際にも、波瀾万丈というのはもっと激烈なものであるはずで自分のはまだ違う、と思った。

使命感や大成功への執念があると、途中でコケないように慎重に成る。
陥れという事は考えなかったが、何かの間違いで先に進めなくなる可能性、というものに配慮して来た、という事はある。
高価なワレモノを頭の上に乗せて徒歩で運んでいる途中で何をされても反撃は出来ない。
反撃するとワレモノが地面に落下して壊れてしまうからだ。

学生時代、卒業後の進路について思いめぐらしていた際に、自分が不発に終わったら世の中大変な事に成る、という認識に基づいて考えていた。
そう考えた理由は神話的な物だが、そう考えたのは神話ではなく現実の出来事だ。

私は少年時代に、友人からも先生からも能力の点で一目置かれていたが、それでも、私をこれほどまでの者だと思っていた人は居なかったであろうのに対して、私はその頃から自分がこれほどまでの者だと知っていて、十分に理解されていないという欲求不満を抱えていた。

学生時代、下宿で文化系の友人と談笑していた際に私は、ノーベル賞を引き合いに出した後で、軽々しくノーベル賞に言及した自分の態度を自分で笑いものにした、という事があったので、自分をどの程度高く買っているかが年々エスカレートして来た、という事もあるかもしれない。