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2014年08月22日(金曜日)
稼いだカネが最も正しいカネである(宇田経済学の話の続き)

稼いだのではないカネ、というのは、相続したカネや相続した資産を売って得たカネ、それから通貨発行者が発行後行使前に持っているカネ、です。

今、インターネットで調べてみて、通貨発行益という専門用語と、その内容について意見が割れている事を、知った。
ザッと読んでみたが、私の考え方ではいけない、という事はハッキリとは感じられなかった。
日銀が国債を買った場合には発行額全額が通貨発行益には成らない、という意見が紹介されており、私はまだ日銀と政府を区別してないなあ、という事に気付かされました。
後で、こういう問題についても考えるかもしれません。
大雑把な予測としては、政府+日銀を政府と考えれば、日銀に国債を売って得たカネで政府が公共事業を発注・購入した段階で受益カウントすると、国債を買う場合も発行額の全額が通貨発行益だろう、と考えられる。

さて、今日の本論ですが、私の主張は、相続したカネや相続した資産を売って得たカネ、それから通貨発行者が発行後行使前に持っているカネ、そういうカネよりも、与益の報酬として受け取ったカネの方が由緒正しい、という主張です。

世の中には、森永卓郎氏の様に相続税率100%を唱える人が居るぐらい、この私の考えは当たり前だと思う。

私の場合は、相続税率は100%が正しい、とまでは言わない。
しかし、それは何となくであって、キチンと理由が説明できるわけではない。

そういう意味で、私の意見は過激な物ではなく、極めて穏当な意見だと思う。

その意見というのは、稼いだカネが最も正しいカネなのだから、資本家に成る最も正しい方法は稼いだカネで成るという方法であるはずであり、稼いだカネで資本家に成れる様にルールが出来ていなくてはいけない、資本家が資本家で有り続けようと財力で防御しても稼いだカネで資本家に成ろうとする動きには太刀打ち出来ない様にルールが出来ていなければいけない、という考えだ。

既得権への配慮は、相続というハンディキャップを認める所までであって、相続によって生じる格差が競争で逆転されるなんて絶対に嫌だ、という甘えた考えは、幾ら何でも虫が良過ぎる。
逆転を禁止する事は、
2014年06月30日の記事に書かれている人間関係を経済活動で偽装する、という事に他ならない。

ルールが正しく出来ていれば、
生即正の原理によって、生物個体として優秀な人が資本家を目指せば、資本家はみんなそういう人達ばかりに成るはずなのである。
目指すとは限らないが、資本家に成らない限りどうも不自由だ、という事なら目指すだろう。

実際には、大金を稼ぐ様な仕事をしようとすれば、必ずカネを借りてからやって下さい、という暗黙のルールが存在する気がする。
そういう強要が自由主義ルールへの根本的な違反である事は、明白だ。
これでは、その人が幾ら成功しても、その人にカネを貸した人との資本力の順位は絶対に逆転しない。
それではいけない、というのが私の主張である。

こう考えると、カネというものが生物的な力への防壁として使われている、という社会の構図が見えて来る。

所得が過大だと人が働かなくなるからいけない、という意見が有るが、誰が言ってるのか?
資本家が言ってるのなら、働かない張本人が自分の事を棚に上げて何を言うか、という話に成る。

上で述べた様に、私の意見は、相続税率は100%が正しい、という意見よりは穏当な、つまり、主張量が少ない意見だ。
従って、私の意見を論駁するよりは、相続税率は100%が正しい、という意見を論駁する方が易しい。
私の意見が間違いなら、相続税率は100%が正しい、という意見は大間違いだ、という事に成る。
だから、文句が有るならまず相続税率100%派を倒してから来い、という言い方が出来よう。


宇田経済学@持論@学問