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2014年08月20日(水曜日)
偏食の自由(宇田経済学の話の続き)

2012年10月30日の記事で述べた様に、無取引自給自足の場合には、当然の事ながら、各個人には、どの益種の生産と消費に力を入れてどの益種の生産と消費は必要最小限で済ませるか、を選択する自由(偏食の自由)が有る。

取引が有る場合の経済が無取引自給自足の場合と等価に成る様に取引ルールを決めれば、その事情は変わらないはずだ。
しかし自由市場方式経済は、結果の不平等と売れ残りが生じる分だけ、どうしても自給自足の場合とは異なる。
取引が有る経済での偏食の自由は、無取引自給自足状態での偏食の自由から、そういうどうしても異なる分だけ減じられるべきであり、因縁を付けて減らす類の物であってはいけない。

偏食の自由は減るのか減らないのか、減るとすればどう減るのか、考えておく必要が有る。

馬券購入の場合は参加しない自由が有るが、
取引窓利用の場合は参加しない自由が無い。
第1斥力があるからだ。
その分だけ、取引窓利用の場合には結果の下限が保証されていなければいけない。
この事は、偏食の自由を減らす要因の一つだろう。
しかし、また、悪い結果に成るリスクを負う事を強いられたのだから、良い結果に成った場合には、それを不公平だとする批判には納得できないはずだ。
だから、結果の不平等は偏食の自由を減らす正当な理由には成らない。

私には、非常に幼かった頃に「頑張って競争に勝たないと非常にしんどい仕事をさせられるぞー」という意味の事を父から言われて、「もっとお手柔らかに出来ないのか」と訊き返し、「そーはいかねーんだよ」という意味の事を言われて、心の中で「おーそーか、そー言うんなら、もし私が勝った場合には容赦しないからな」と思った、という事が有った。

さて、自給自足の場合には、各益種への力の入れ方は全く任意なわけではなく、必需益の生産と消費には、最低限これだけは絶対にしなければいけない、という下限が存在する。
これに対して、取引窓利用の場合は、今までのところ、そういう制限が全く無い。
つまり当たれば、「したい事は全てした、したくない事は一つもしなかった」という結果に成り、これが自由市場競争における優勝の内容であるが、強制的に参加させた以上これは当然だ、と私は思っている。
負担の期待値としては、力の入れ所を変えても損も得もしないが、馬券の当たり外れに相当する様な一時的な損や得は有り、これが結果の不平等だ。

偏食の自由を制限する正しい方法は
2色銭方式だ、と私は思っているが、2色銭方式でも、青銭で赤銭を買う両替という関門を通過しさえすれば、どんな偏食も可能である。


宇田経済学@持論@学問