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2014年08月10日(日曜日)台風11号
取引窓活用について思う事(宇田経済学の話の続き)

取引が成立する為には、各益種格の供給される価値の合計と需要の合計が一致している事、だけでなく、同一の益種格量に対して売り手と買い手で価格が一致している事、も必要だ。

同一の益種格量に対して異なる色々な価格を付ける人が居るが全体としては同じ価格を付ける人の供給量と需要量は一致している、という事が、どういう価格を付ける人々についても成り立つ、あるいは時間経過に従って段々と成り立って行く、という事が示せれば良いのだが、その辺がまだ良く分からない。

負担指数の益種格間の差が個人差を遥かに凌駕している場合でも、負担指数が隣接する様な益種格間でのみ取引をする事を意味するgは解だし、それに依れば負担の減少を当事者間で平等に揃える事も可能だが、そういう取引は非常に限られた物に成り、自給自足に比べて取引窓の御利益があまり感じられないのではないか。
そうとは限らないかも。
高級品の生産者は消費も高級品ばかりにせよ、という考えだと思うが、必需益を基底とする益種にも高グレード版があるので、あながち無理とは言えない。

生物の個体差による結果差を放置すると、時間経過とともに、指数関数的に格差が増大するのではないか、という問題。
現状がそう成っていない事は、補正の存在を意味する。
しかし、補正しています、という話は聞いた事が無いし、法律を意訳すると、補正してはいけない、と書かれている。
「出る杭は打たれる」とは言うが「私は出る杭を打つ」とは言わないし「私は出る杭を打った事がある」に至っては皆無だ。
‘出る杭’の内容も‘打つ’の内容も具体的には聞いた事が無い。
言えないから、である事は明白だ。
言えないのは、出る杭を打つ事がしてはいけない事だから、であるのも明白だ。
出る杭を打つ事の具体例は違法行為でしか有り得ないし、具体例を言うまでもなく、そういう目的で行なう行為はそういう目的で行なったという理由で何かの法律に違反するだろう。
問題は、補正する事が良い事か悪い事か、ではなく、補正する事が良い事か悪い事かという問題を表に出して公然と議論していない事だ。
そういう議論をさせず、どういう補正なら良い、という答えを出させない事によって、恣意的な補正が行なわれ続けているのではないか。
よくよく研究すると、補正は一切してはいけない、という結果が出て来る可能性もある。

市場競争を賭博と考えた場合に、的中すれば自給自足より負担が減る、というだけで良いのか?
予想が外れた場合の事まで考え合せて、負担の期待値が減る必要があるのではないか。

(益種格αの負担指数が他のどの個人よりも低い個人の負担指数) > (益種格βの負担指数が他のどの個人よりも高い個人の負担指数)
という場合には、誰にとっての負担指数かに言及する事なく、αの負担指数はβの負担指数よりも大きい、と言う事が出来る。
これだと単種のみ生産できる人同士の有利不利が比較できないので、負担指数の個人に依らない益種格間差の定義をもっと柔らかくしておく必要が有る。
例外的に違う人も居るが大体は、という定義にしておくのが理想だ。
もっと粗末な定義としては、
(益種格αの負担指数の平均値) > (益種格βの負担指数の平均値)
である事を、誰にとっての負担指数かに言及する事なく、αの負担指数はβの負担指数よりも大きい、と言う、という定義を置いても、話は出来る。
これで、負担指数の小さい単一の益種格のみ生産できる人と負担指数の大きい単一の益種格のみ生産できる人が取引する場合、両者とも負担が減って得をするが、負担の減り方に差が有って不公平ではないか、という問題を分析できるかもしれない。

異益種間の競争で、買い手が、益種αのグレードxと益種βのグレードy+εを同時に購入出来ない時には益種βのグレードy+εの購入を断念するが、益種αのグレードx+εと益種βのグレードyを同時に購入出来ない時には益種αのグレードx+εの購入を断念する、という事が任意に小さな正の数εに対して成り立つならば、益種αのグレードxと益種βのグレードyは市場競争力が等しい、と言う事にする。
ただし、益種αの購入にも益種βの購入にも量的な選択の余地は無い、とする。
これで、益種格空間に等競争力曲線が描ける。
等競争力曲線は、買い手の個人毎に異なる。
量的な選択の可能性まで含めた益種格量空間内の等競争力曲線の定義も、考えれば出来そうだ。

取引窓の利用によって負担が減った後で、自発的に追加の負担をして追加の消費をしたい、という欲望が複数の個人に生じれば、自給自足の場合よりも経済全体での総生産量と総消費量が大きく成る。
これが
青銭経済の正当裡の生成だ、と考えられる。
自給自足の場合よりも自己負担を増やして相応の消費をしたい、という欲望が複数の個人に生じれば、外的強制力によって取引対象を必需益に限定する事は侵略である、と言える。


宇田経済学@持論@学問