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2014年08月09日(土曜日)
取引窓の活用(宇田経済学の話の続き)

2014年08月07日の記事の続きを書きます。

取引窓を利用したくない人に利用を強制すれば侵略であるが、それでは、取引窓を自分から進んで利用する人同士の関係は公平だろうか?
AとBでαとβの
負担指数の大小関係が逆である場合、負担が減るメリットが双方に有るので取引は行われるが、負担の減り方がAとBで異なる。

各個人が単種の益しか生産できない場合について、不公平の存在をチェックしてみる。
単種しか生産できない、というのは、ある一つの益種の負担指数のみ有限で、その他の益種の負担指数は無限大だ、という置き方で表現できる。
適性(負担率の逆数)の合計が同じ個人に対しては同程度に有用だ、という取引窓の特性は、この場合には、自分に生産できる種類の益の負担指数の益種差による繁栄差は持って生まれた物の差だ、という判定基準を具現している。
負担指数には個人差だけでなく、誰が生産する場合でも大体この益種の負担指数はこの益種の負担指数よりも大きいとか小さい、という益種差も有る。
その分だけ取引窓の特性は不公平なのではないか、という問題は、考えておく必要が有る。

まず、負担指数の小さい益を生産できる事は、負担指数の大きい益しか生産できない人よりも生物個体としてその分だけ優秀である事を意味する、という可能性がある。
負担指数の小さい益を生産できる事は、持って生まれた物が多いという事であり、負担指数の大きい益しか生産できない事は、持って生まれた物が少ないという事だ、と解釈できる可能性である。
この可能性が正しければ、一発解決であり、取引窓の件の特性は不公平ではない、というのが答と成る。
ついでに、何が出来る事が素晴らしく、何が出来る事がそうでもないか、という職種間の誉度差の存在が、そう思う人の思慮の浅さや心の醜さから出ているとは限らない事が、導き出された事に成ろう。

そうは考えず取引窓の特性は不公平だと考える事は、取引窓が、負担指数の小さい益を生産できる個体には良く合う靴だが、負担指数の大きい益しか生産できない個体には合わない靴だ、と考える事に当たる。

負担指数の益種差が個人差を凌駕している場合を考えているのに、各個人が単種の益しか生産できない場合は、そう成っていない。
この事によって肝心な何かが考え落とされている可能性、がある。
市場競争という複雑性を回避するためにそういう問題設定をしたが、それではダメという事は、市場競争という物の中に本質が潜んでいるのかもしれない。

一般論の問題設定をしてみる。

今まで、益種、益のグレード、益量のうちの、益種と益グレードの両方を指定した物を益種と書く事が多かったですが、このページを書きながら、言葉を区別する必要を感じました。
そこで、益種と益グレードの両方を指定した物を益種格と呼ぶ事にし、グレードを指定しない場合は益種と呼ぶ事にします。

益種格αjに対する個人Pi
負担率をLijとする。
取引窓を使わない自給自足ではPiは総負担xに対してαjを価値にしてfij(x)だけ生産していた、とする。
Piが取引窓にαjを価値にしてgijだけ投入する場合、Piの総負担は ΣjgijLij だ。
取引窓から自給自足で生産していたのと同じ産物を受け取るには、投入価値の合計がΣjfij(x)でなければいけない。
つまり、Σjgij = Σjfij(x) でなければいけない。
手元に残る産物が同じなら取引窓を利用した方が自給自足の場合よりも総負担が小さい、という条件は、この式で定まる x よりも ΣjgijLij の方が小さい、という形で表される。
fijを単調増加関数と仮定すると、この条件は、
Σjgij > ΣjfijjgijLij)
と書ける。
この条件が成り立つ事が、Piが取引窓を利用するための必要条件だが、この他に取引が成立するか否か、という問題が有る。

完全一致市場方式で取引が成立するためには、益種格ごとに、投入された価値の合計と取り出された価値の合計が一致しなければいけない。
これを式で書くと、Σigij = fij(x) と成る。

2つの条件:
全てのiに対して Σjgij < ΣjfijjgijLij)
全てのjに対して Σigij = fij(x)
を同時に満たすgが存在すれば、取引窓は拒絶されず用いられる。

主たる関心は、次の2つの問題だ
[問題1] Lijj依存性がi依存性を遥かに凌駕する場合にも、gは存在するだろうか?
[問題2] gが存在する場合に、自給自足の場合からの総負担の減少(率)がiに依存する事は不可避か?

この他に、以下の点も問題だ。
[問題3] 自給自足からの総負担の減少(率)がiに依存する事は不公平の存在を意味するか?

市場原理がgに対して何を要求するかを、一言で言うと、それは、負担指数の小さい益種格ばかり生産して負担指数の大きい益種格は全て購入で済ませる、という選択はある程度以上は押し進める事が出来ない、という事である。
各個人にとっては、生産する益種格としては負担指数が最低の物を選択し、それで消費に必要な合計金額を稼げば、つじつまが合っているわけだが、全員がそれをすると明らかに、負担指数が最低の益種格しか市場に供給されず、それ以外の益種格はカネを出しても買えない状態に成ってしまう。
また、その状態では負担指数が最低の益種格は供給過剰に成っており売ろうとしても買い手が付かないので、そういう状態には成らない、とも言える。

個人の目から見ると、負担指数が低い益種格から順に売る事を試み、その益種格の供給が飽和していれば負担指数が次に低い益種格を売ろうと試みる、という事をやって行く事に成ろう。
しかし、作って売れない事が分かった後で次を作るのでは、損失が大きいので、何が売れるか予想して賭ける、というのが、実際の行動に成るだろう。

今気付いたんだけど、ここで、負担指数が低い個人の方が優先的に買ってもらえる、という事情は存在しないなあ。
でへへ、これは競馬みたいなもんだなあ。
負担指数の低さがオッズの高さみたいな物だ。
負担指数の低い益種格が売れる確率が低い事は、オッズの高い馬券が的中する確率が低い事に例えられ、オッズの高い馬券が的中すれば配当利得が大きい事は、負担指数の低い益種格が売れれば自己負担の減少が大きい事に、例えられる。
ああ、非常にもっともらしい。

という事は、結果は不平等だけど、その選択に確率過程が入るので、不公平ではない、という事かなあ。
いやいや、向いてる人が向いてない人に比べて全然有利ではない、という点が逆に不公平だ、という事かもしれない。
負担指数の益種格間の差が個人差を遥かに凌駕している場合については、大体そんな所かなあ。

式を書く必要は無かったかも。

Lij = ai + bj で a が b に比べて非常に小さい、という場合を考えれば分かる様に、負担指数の益種格間の差が個人差を遥かに凌駕している場合でも、非常に近いjと離れたiという組み合わせを考えれば、負担指数が逆転する益種格対と個人対で取引をする、というマッチングが可能らしいと分かる。
これをやれば、ドギツイ所の無い非常に温和な経済に成りそうな気がする。
現代の実際の経済が既に実行している事かもしれない。
逆にまた、仲の悪い人を接近させる、という斥力維持の手口もある。


即達 > 2013年10月15日の記事

宇田経済学@持論@学問