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2014年08月07日(木曜日)
取引窓の設計(宇田経済学の話の続き)

無取引自給自足で生じる格差は生物個体の優秀性の差に起因する物であり個体間の不公平な取引に起因する物ではないから原則としては是正する必要が無く、また強制力によって是正されてはいけない物である、というのは正しいが、取引窓は天然資源ではないから、取引を自給自足に換算した昨日の取引窓描像は、この道理の直接の適用を受ける物ではない。

天然資源しか前提としない場合ですら、無取引自給自足経済でどの個体が栄えてどの個体が栄えないかは、天然資源の内容に依存する。
天然資源の場合には、それが全ての個体に等しく有利なわけではなく、ある個体には非常に有利だが別のある個体には不利だ、という事があっても、天然資源なのだからそれが公平な条件付けなのだ、と一応は納得が行く。

ある意味、天然資源がそれだけを見れば物理的に平等に配分されている事には、個体ごとに自分に向いてる天然資源を与えられたか向いてない天然資源を与えられたかの違いがある、という意味で不平等であり不公平である、という批判の余地がある。
そう考える場合は、無取引自給自足経済での個体間の繁栄差は、持って生まれた物の差ではなく与えられた条件の差だ、という風に理解されるだろう。
全ての人に同じサイズの靴を与えれば、靴だけ見る限りそれは物理的には全く平等であるが、靴に合う足のサイズの人は得をし、靴に足のサイズが合わない人は損をする、ので、そういう靴の与え方が不公平である事は明らかである。

しかしまあ、そういう問題は、また後で機会が有れば論じる事とし、今日は、天然資源を物理的に平等に配分する事にはケチを付けない事にする。
最大筋力の大きい人が小さい人よりも有利である事が持って生まれた物の差ではなく与えられた条件の差だ、と言う事は、如何に言っても詭弁であろう。

天然資源ですらその様な問題を抱えているのだから、天然資源ではない取引窓が不公平な条件付けではないか、という点についての詮索は、相当念入りに行なう必要が有る。

貸借描像の取引ルールを取引窓で表現すると、入れた価値だけ出て来る、という事に成るが、そもそも、その取引ルールが不公平ではないのか、という問題を今議論しているわけだから、それは、取引窓が公平な条件付けである事の理由、には成らない。

取引窓という資源は、社会を代表しているだろう。
個人にとっての社会だ。
自給自足セル内に取引窓が出現する事は、自給自足セル内に社会という植物が生えて来た事に、例えられるだろう。

取引窓は両者にとって有用であれば利用されるわけだが、有用性に差がある事は不公平ではなく生物差だと何故言えるのか?
両者が利用する事を選択したからと言って、それが即取引窓が公平である事を意味するとは限らないではないか。
両者にとって有用な範囲内で特性を変化させてみれば、何か分かるかもしれない。

先天的な素質・才能のうちで、種目への依存性が低い、つまり汎用性の大きい素質や才能によって生じる差は、持って生まれた物による差だ、と考え、種目への依存性が強い素質や才能によって生じる差は、持って生まれた物による差だけでなく、適合する環境が与えられたか否かの差にもよる、として考える必要が有るらしい。
取引窓の、価値の等しい物に変換する、という特性が、この点を正しく表現している可能性がある。

図らずも、特殊な能力を持つ人はそれに合った職位で受ける、という事が公平性にとって必要である、という道理が、ついでに、なんとなく出て来た様だ。

汎用性の大きい素質や才能の例としては、全ての種目に渡っての適性の合計を、挙げる事が出来よう。
取引窓の有用性が個人のこの属性の増加関数である事を示せれば、取引窓の利用によって生じる個人間の格差が生物差であるとする主張を、大雑把に根拠付ける事が出来た事に成るだろう。
さて、取引窓の利用に際して、得意分野で売って苦手分野は購入する、という使い方をすれば、適性の合計が大きい人ほど、取引窓を使うメリットは大きい。
これで示せた。
どう?


宇田経済学@持論@学問