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2014年08月02日(土曜日)
異種益間市場競争もし戦わば(宇田経済学の話の続き)

正々堂々とした市場競争をすると結果はどう成るか、を予想する。
先述した様に、正々堂々とした市場競争は、異種益間の競争に成る。

自由競争に反対する人々からは、自由競争なんてすれば、たちまち肉は裂け骨は砕け、そりゃー、むげーもんよう、と言われて来たが、
益ベース完全一致方式ならば、そうは成らない。
最悪でも、
退屈で馬鹿にされる状態に成るだけで、肉が裂けたり骨が砕けたりはしない。

異種益間競争では、負け種が負け過ぎるのではないか、という問題については、どうか。
負け種は大体必需益を基底とする益だろう。
必需益を基底とする益というのは、必需益および必需益に付加価値を付けた益(最低グレード版が必需益である様な種類の益)の事です。
そういう種類の益の需要は下限が保証されているので、負けても負け過ぎはしない。
益ベース完全一致方式では価格競争は無いのだから、安く買い叩かれる心配も無い。
必需益を基底とする益以外の負け種については、需要ゼロに成っても、それは厳粛に受け止めるべき評価であり、そう成る事を絶対に避ける必要がある、という考えは、犯罪の動機にしか成らない。

異種益間市場競争を自由に行なうと、市場は最終結果に向かってマッシグラに動くだろう。
そして、まるでGoogle検索の様に、あっという間に順位が算出されるだろう。
それは、ヒトゲノムをスペクトル分析に掛けた結果のごとき物であるだろう。
政府が貨幣の流通量を増加させると消費者はマッシグラに百貨店の高額商品に向かって行きバブル再燃の恐れがある、という風に国会の野党質問で与党に向かって警告していた人が居るが、この事がそれを良く物語っている様に思える。

異種益間競争の自由を制限しようとする行為が不当である事は、
無取引自給自足経済でどの益にウェイトを置くかの選択が介入を受けてはいけない事、に由来する。
つまり、取引が無い自給自足経済では、各々の個人が、自分の生活の中で、どの種類の益に重きを置いてどの種類の益を軽んずるかの選択をする自由が有る。
その自由が取引によって否応なく奪われて良いはずがない、という事だ。

宇田経済学@持論@学問

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「もし戦わば」という表現は、大山倍達の著書のタイトルに使われていた表現です。
「たちまち肉は裂け骨は砕け」という表現は、漫画「空手バカ一代」で使われていた表現です。
「そりゃー、むげーもんよう」というのは、横溝正史の小説で使われていた表現です。

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過去の記事への補足。
私は「汗水たらして働く」という表現が嫌いだ、と書きましたが、「汗水たらしてでも働く」なら好きです。
私は、その様にして来た、つもりだ。
「汗水たらして働く」という表現が嫌いだ、と言っただけでは誤解を受ける、と思った。
益ベースでは、「働く」という行為は、あくまで「与益する」「生産する」という意味を持つ物であり、それに「負担する」という意味は無い。
従って、「働くぞ」という意志は、「与益するぞ」「生産するぞ」という意志であり、そのためには大きな負担をも辞さない、という事は、その意志の強さを表すが、目的はあくまで与益・生産であるから、それが同程度に達成されるならば、負担は軽ければ軽いほど良いのであって、負担が軽い(汗水たらさなかった)事をもって、その働きを低く評価する事は、忌むべき負担ベースの考え方である。
やってみたら運よく汗水たらさずに出来るかもしれないのに、やってみる前から汗水たらす事を前提とするなんて、滑稽千万である。