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2014年08月01日(金曜日)
イノベーション失業の解消(宇田経済学の話の続き)

2014年07月29日の記事の話の続きを書きます。

益流を分析する事によって、益ベース完全一致市場原理では、作業員が機械を買って転職する、という組み替えが失業なく行える事を示す。

 

A=作業員が機械提供者以外から購入する益
B=機械提供者が購入する益
C=作業員の作業に伴う負担を肩代わりする、という負担減免益
C'=機械提供者が販売する、機械提供以外の益
D=作業員が作業を通して工場に販売する益
D'=作業員が工場以外に販売する益
E=工場が作業員以外から購入する益
F=工場が販売する製品の益

イノベーション前 イノベーション後
A 変化しない
B 変化しない
C 0 +
C' + 0
D 変化しない
D' 0 +
E 変化しない
F 変化しない

作業員は、Cの購入によって所持金が減少し、その分だけ
残存義務が増加する。
その残存義務の増分を、D'の販売という形で消化する事が出来る。
Aを減少させる、という対処の仕方も出来る。
D'の販売が成立するか否かは不確実だが、D'を販売できそうならばCを購入するがD'を販売できそうにないならばCを購入しない、という選択が出来る。
工場が一方的に機械を導入する場合には、それが出来ない。
D'の販売が成立した後でCを購入する、という方式ならば、失業は確実に回避されるが、そう出来るためには、Dの販売がパートタイムである事が必要だ。
Aを変化させない場合、C < D, D' = C だから、D' < D と成り、作業員の
負担はイノベーションによって減る。
あるいは、D' = D を選択をすれば、負担は変わらず収入が増える。
どちらを選ぶかは作業員が決める事であり、他者から強制される事ではない。
いずれにせよ、イノベーションは作業員にとって好都合である。

もともと負担がD-Aより小さい人は、Dの報酬からAの支払いを差し引いた残りで、Cの購入費用を支払える。
負担減免益の分量は減免した負担の量としてカウントされるので、Cは負担量に等しいからだ。
もともと賃金の全てを支出するライフスタイルだった人は、Cの購入費用全額を転職して稼ぐ必要がある。

機械提供者がCの販売を職業に出来るか否かは、作業員がCを購入するか否かに、掛かっている。
作業員がCを購入しなければ、C'を売って生計を立てる必要が有る。
しかし、C'の販売を辞職する、Cの販売を試みる、売れたり売れなかったりする、という時間順序だから、売れなかった場合にC'の販売を再開しようとしても就職できない可能性が有り、機械提供者は失業リスクを負う事に成る。
事前に作業員に、コレコレの機械がコレコレの値段で出来たら買いますか、と打診してOKをもらっておけば、リスクは、そういう機械の発明・設計・製作に失敗するリスクだけに成る。
OKをもらってから機械が完成するまでの間に、D'の需要が変化して、作業者が約束を守れなくなるリスクも有る。
また、あまり先の事を約束すると、自由主義ではなく成るのではないか、という原理的な問題も有ろう。

工場にとってイノベーションは、直ぐには、何らの環境変化も、もたらさない。

機械を作業員が買うのではなく工場が買う場合であっても、価格が人件費と同じならば、マクロなイノベーション失業は生じないのではないか?
そうすると作業員は機械を売った産業に転職できるのではないか?
機械を売った産業の雇用人数は不定だから、そうは言えなかろう。
また、機械を売った時点で既に、機械を売った産業の人手不足は無い、と考えられる。
長い間私は、イノベーションで失業した人は、イノベーションで創出された新産業に雇用される、という構図でマクロには失業は生じないのではないか、と漠然と思って来たが、どうも違うらしい。

機械を作業員が買う場合には、転職の見込を作業員が自分で判断する分だけ転職の不確実性が減るし、自分で決めた事だから、失業しても納得破壊が起きない、という事が本質かも。

機械を人件費より安く工場に売る事が失業を発生させる事の理由としては、益流が変わらないのに金流が減少する事ではなく、
オークション割り込みは潜在的納得能を無駄に散逸させる、という事が本質的らしい。

長期的には、作業員の余力が増加する、という形でのアテ価値の増加が、イノベーションのもたらす社会全体の富の増加だ、という事らしい。
長期的には、A, B, D, E, Fにも、その影響が出得る。

しかし、D'の需要に依存しているのでは、イノベーションによる失業なき組み換えが保証されたとは言えない。
これでは、作業員の再就職を斡旋してから工場が機械を導入すれば失業が生じない、と言っているのと量的な差しか無い。
イノベーションが受け入れられるか否かは、Cの生産に要する負担がC自体よりも小さいか否か、という点にのみ掛かっているのが本当ではないか、と私は直感する。
機械の発明と導入を際限なく続けて行けば人間は全く働かずして機械なしの場合と同じ消費をする事が出来る状態に到達する、はずだからだ。
そう成らないのは、そうしたくないからしない、という選択を人間がした場合と、工学上の限界に阻まれた場合だけであるはずで、経済学の理論だけから‘そう成らない’と言える、という意見には、どこかに必ず間違いが潜んでいるはずだ。

C'が無く成った分だけD'の需要が生じる。
C' = D' って事ではないかなあ。
う〜ん、本当っぽい。


宇田経済学@持論@学問