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2014年07月28日(月曜日)
正々堂々とした市場競争(宇田経済学の話の続き)

昨日の記事の「それじゃあ、どこで競争するんだ?」という問題について、後で色々と思った事、を書きます。

やはり、同種異価格の商品同士の競争、が基本ではないか。
ハサミで言うと、価格が同じで品質が異なったり、品質が同じで価格が異なったりする事は、益ベース価格の定義に反する。
益ベースの考え方では、買い手の価値観で、品質が良い、という事は、買い手がその商品に付ける値段が高い、という事であるから、品質が良く価格が低い、という事は語義矛盾である。
従って、益ベースの考え方では、価格競争という物は存在し得ない。

そこで考えてみたのだけれど、宇田経済学の記事を書き始めた頃のやり方に倣って、お金という物を捨象して考えると、ハサミを作る競争、というのは、本来は、どちらが上等なハサミを作れるか、の競争であるはずであり、これを、お金の言葉で言い表すと、どちらが高価なハサミを作れるかの競争であるはずだ、と言える。
だから、やっぱり、高価で上等なハサミと廉価で粗末なハサミの間の競争、という事に成る。

買い手は、お金の心配が無ければ、粗末なハサミよりも上等なハサミを欲しがるはずであり、それに対して、お金の心配がブレーキを掛ける。
お金の心配の内訳は、直接には、残存義務の増加であり、これを買い手がどのぐらい嫌がるかは、増加分の残存義務を果たすのに必要な負担で決まるだろう。
残存義務は生産や与益で規定され、そこに負担の概念は一切含まれていてはいけないが、それを果たすのに一般には負担が必要と成り、同量の義務を果たすのに必要な負担量は個人毎に異なる。
買い手は、高価なハサミを買う事を選んでも、残存義務を増加させる代わりに、ハサミ以外の商品の購入において、高級品の購入予定をキャンセルして廉価品の購入に切り替える事で済ませる、という手を使う事が出来る。

買い手主観の評価価格は買い手の過去の与益を取り戻そうとする心理から下向きの力を受け、買い手によって選択される購買価格帯は買い手の将来の負担を嫌がる心理から下向きの力を受ける。

以上をまとめると、買い手の心に生じる葛藤は、出来るだけ上等なハサミが欲しい、残存義務増加に伴う必要負担の増加は出来るだけ避けたい、ハサミ以外の商品も出来るだけ上等な物が欲しい、という3欲望の折り合いを付けようとする悩み、として現れるだろう。

ついでの話だが、だとすると、売り手への豆アドヴァイスとして、同じだけ稼ぐのに苦労の大きい人を相手にするよりは楽に稼いでる人を相手にする方が売れ易い、と言えるのではないか。

仮想的に、負担を取り除くサービス、という与益を考え、これを負担減免益と呼ぶ事にすると、市場競争の本質は、ハサミ提供者とハサミ以外の商品の提供者と負担減免益の提供者の間の、限られた客(買い手)資源の奪い合い、という競争らしい。

つまり、益ベース完全一致方式市場原理に従った最も正々堂々とした市場競争は、種類の異なる益の提供者間の競争らしい。
こっちの方が、同種異価格の商品同士の競争よりも、本流らしい。
同種の益の廉価品の提供者と高級品の提供者の間の競争は、自分達の益種が他種の益との競争にどの程度勝ちどの程度負けるかに賭ける競争だ、と言えるのではないか。

市場競争での真に英雄的な正々堂々とした勝利は、今まで供給されていなかった種類の益を新規に販売開始し、消費者に、既存の他の種類の益の買い物を自分の商品の買い物よりも安く上げさせる事だと言える。

本稿の知見に照らすと、ブルジョア的というレッテルを貼って特定の益種の消費を抑圧する社会主義の方針は露骨な不公正だ、という事が明瞭に理解される。


宇田経済学@持論@学問