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2014年07月26日(土曜日)
益ベース価格決定律(宇田経済学の話の続き)

[与益ベース]
買い手にとって、買おうとしている益が丁度1円相当であるか否かは、自分が過去に売り手として1円の支払いを受けた時に与えた益と同等の価値であるか否か、という基準で判断される。
売り手にとって、売ろうとしている益が丁度1円相当であるか否かは、自分が過去に買い手として1円支払って受けた益と同等の価値であるか否か、という基準で判断される。

[負担ベース]
買い手にとって、買おうとしている益が丁度1円相当であるか否かは、その与益のために売り手がした負担が、過去に自分が売り手として1円の支払いを受けた時の与益のためにした負担に等しいか否か、という基準で判断される。
売り手にとって、売ろうとしている益が丁度1円相当であるか否かは、その与益のために売り手がした負担が、過去に自分が買い手として1円支払って買った益を与えるために売り手がした負担に等しいか否か、という基準で判断される。
負担とは、苦労や消耗や備蓄の減少や仕入れによる所持金の減少などの損害の事であり、与益量の事ではない。

[必要充足方式]
被雇用者の賃金を被雇用者が必要とする額に合わせる方式。

[完全一致方式市場原理]
市場原理という物を、売り手の価値観に基づく価格と買い手の価値観に基づく価格が一致した場合に取引が成立する、という風に定義する。

[オークション方式市場原理]
売り手は、最も高値を提示した買い手に、提示された価格で売る。
買い手は、最も安値を提示した売り手から、提示された価格で買う。

私の意見は、与益ベースと完全一致方式市場原理を組み合わせて用いる方式が正義だ、という物です。
現実社会での自由市場の運営の実態には、オークション方式の成分がたくさん含まれており、自由にすると弱肉強食に成る、と言われるのは、このためではないか。
自由にしても、完全一致方式の市場原理に従えば、弱肉強食には成らないのではないか。
宇田経済学の記事を書き始めた頃には、まだ私は、完全一致方式の市場原理とオークション方式を混同していた。

負担ベースの価格決定律には、次の様な欠点がある。
同じ益を出来るだけ小さい負担で生産しようとする工夫への動機付けが行なわれない。
与益をする過程に不必要な負担を挿入しその分を買い手に請求する当たり屋行為に動機付けを与える。
益流が非常に細く苦労や負担ばかりが大きい不幸な経済状態が、経済指標に好景気と表示され、欠乏が認識されず、必要の充足が保証されない。
誰かが勝手に自分の意志で苦労すれば、それにけん引されて、他の人も苦労しなければいけなく成る、という事につながるのではないか。
つまり、個人の自由を、その人から了解を得る事なく、他の人が自分(達)の意志だけで一方的に奪う事、が出来てしまうシステムなのではないか。

与益ベースでは負担の大きい事が憐みの対象と成るが、負担ベースでは負担の軽い事が非難や呵責の対象だと誤認され易い。

与益ベースも負担ベースも、個々人の価値観に依拠しているので、それについて嘘を吐く、という不正の影響を受け得る。
これについては、与益ベースよりも負担ベースの方が、嘘を吐くのが難しいだろう。
つまり、法外な値段をふっかける、という不正が、与益ベースでは懸念される。

受給者の必要量で給料を決める方式は、大域的には、俺の製品を買ってくれたらお前の製品を買ってやるが、そうでなかったら買わない、という条件付けだ、と言え、(益流)=-(金流)が成り立たないので、宇田経済学の原理に反する。
この方式だと、家計のやりくりを工夫して出費を抑えると給料を減らされる、という不条理が懸念され、国の行政への予算の付け方にそういう不条理が含まれている、という事は、何十年も前から言われている。
これも、動機付けの観点から、自力で経済的に成長しようとすると抑え付けられるのでやる気がしない、という意欲減退をもたらす。

益ベースの価格決定では、過去の売り経験では、同じ1円の支払いを受けた場合でも、相手によって与えた益の量が異なり得る。
過去の買い経験では、同じ1円を支払った場合でも、相手によって受けた益の量が異なり得る。
しかし、市場原理と組み合わせれば、その点が揃えられるのではないか。


宇田経済学@持論@学問