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2013年11月19日(火曜日)
個人の基礎的な分限(宇田経済学の話の続き)

先述した様に、宇田経済学では、取引開始前の状態で、各個人は地球上の全資源を全人口で等分したうちの1人分を所有しているのが正義だ、と考えます。

それ以前の問題として、各個人は自分の体表面およびその内側の一切全てを所有しているのが正義であるはずです。
他人から盗んだ物を呑み込めば自分の物に成る、という意味ではありません。
他人から盗んだ物を皮膚に埋め込めば自分の物に成る、という意味でもありません。

自分の体表面およびその内側の一切全てに対する所有権というものは、極めて基礎的なものであり、これは、体表面の外にある金品や土地に対する所有権よりも強いのが正義であるはずです。

反例の存在を良く吟味しなければいけない事ですが、前者を第1所有権、後者を第2所有権と呼ぶ事にすると、まずは、第2所有権の理屈で第1所有権を脅かす行為は全て詭弁だろう、という見当が付きます。

これは、現行の法律で言うと、労働の売買は合法だが人身売買は違法だ、という部分や、基本的人権の尊重の部分に当たるでしょう。

本件のタイトルでは、第1所有権の事を個人の基礎的な分限と呼びました。
簡単に一言で言うと、これは自分自身の事です。
他の何が誰の物であるかは分からないとしても、少なくとも自分自身ぐらいは自分の物である、という考えです。

個人の基礎的な分限については、日本物理学会2014年春季大会に物理教育の分野で「ソレダケノモン方式コーチング」というタイトルで発表する予定です。

日本物理学会2013年秋季大会@学会発表@活動報告@学問にも、ソレダケノモン方式コーチングの資料があります。
これは、日本物理学会2013年秋季大会では時間不足のために発表できなかった部分です。

ソレダケノモン方式コーチングは教育についてなので、需要という観点が入っていませんが、経済学について考えるときには、需要の観点も入れる必要があります。
この事によって、その分野がそれだけのもん、という項目については、経済学においては、競技者にとって魅力の無いスポーツ種目が廃れるほどには、生産者にとって魅力の無い業種は廃れないだろう、と考えられます。

私は、かなり幼い頃に母から、競争に負けると人が嫌がる仕事をしなければいけなくなる、と言われ、でも人が嫌がる仕事はその分だらだら出来るんでしょ?と訊き返した事がある。
これは、需要の観点から言った事である。
これに対して母は私に「そんな事は無い、人が嫌がる仕事は大変キツイものだ」という風に打ち消した。
母は何が正しいかではなく私に誰かをバカにする根拠を与えてはいけないという基準で物を言っている、と感じ私は内心腹を立てたが、なにぶん子供だったものだから、どこがどう納得行かないのか言葉で上手く言い表す事は出来ず、言い返さなかった。
この件は、単に覚えている問題意識が持続している、というだけでなく、立腹のツボに圧迫感を伴って居続け、宇田経済学を生む原動力の一つに成った物だ。
どうしても必要な仕事なら需要は固定である。
それに対して、それは嫌だからという事で人がそこから逃げて居なくなれば、雇う側は雇われる側に厳しい注文を付ける事が出来なくなるはずだ。
ダラダラでもいいから、やっててくれさえすればいい、という、そういうレベルに落ち着くはずなんだ。
実際の社会では人が嫌がる仕事もキツイが、この点は不正の存在の証拠の一つだ、と私は思っている。