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2013年11月16日(土曜日)
自由市場方式の正義(宇田経済学の話の続き)

自由市場方式は、普通は、全体としての豊かさを増すための便法として、語られます。
しかし、私は、それよりも、自由市場方式が正義の道具である、という観点の方が基礎的だ、と考えます。

それは、政治的に決定されてはいけない事がある、という道理の一つの現れです。
政治的に決定されてはいけない事の他の例としては、科学的真理の認定が挙げられるでしょう。

自由市場で決定されるべき事は、誰に何をどれだけやらせるか、という、嫌な仕事の押し付け合い、また、誰が何をどれだけやるか、という、人気のある仕事の取り合い、に関する事です。

これを政治的に決定する、という事は、例えば、5人のうちの4人が申し合わせて残りの一人に苦役を押し付ける約束をし、その後で、多数決をとります、といって、押し付けられる人の能力・性質・意向を全く無視して、一方的にその約束内容を、残りの一人にまで通用させる、という事です。
これは、誰が見ても、悪です。

自由市場方式を採用する事にはそういう姦計を否定する意味がある、というのが、自由市場方式の最も基礎的な意義だ、と私は前々から思っています。

自由市場方式では嫌な仕事は、それを避ける競争に負けた人が仕方なく行ないます。
弱肉強食という言葉で批判されるのは、この点だと思います。
しかし、嫌な仕事を誰がやるかを政治的に決定する方式は、それどころではない、もっと醜いものだ、と私は考えます。

その事は、自由市場方式のルールに従わず、それでいてその尻尾をつかませない形で、政治的に決定する方式をこそこそと実質的には通用させようとする行ないの実際が、悪である事からも分かります。
そのような方法の手口の基本は、結託しての不買です。
つまり、嫌な仕事を押し付けたい相手の仕事を干すわけです。
そうすれば、その人は「何でもします」状態に成ります。
そうしておいた上で「ほら、お恵みだ、ありがと思え」と言いながら、嫌な仕事をその人に発注するわけです。
そうやって嫌な仕事を押し付けた上に礼まで言わせる、これが政治的に決定する方式を自由市場方式の眼鏡で見た姿です。
こんなに汚い。