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2013年08月03日(土曜日)
そもそも出発点から間違っている考え

私は、かなり幼い頃から、以下の考えが、人間社会の中の色々な問題行動の出発点と成っていて、これを根絶する必要がある、と感じている。

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(1)危害を加えられたくなかったら「危害を加えないで下さい」と私にお願いしろ、という考え。

(2)自分を加害者候補として恐れない者に対して、私を尊敬していない、私を馬鹿にした、と言って断罪する考え。

(3)害を受けない事が無料なのではなくて、加害を我慢しない事が無料であり、従って、被害に対して弁償が付随するのではなく、加害の我慢に対して慰謝料が付随するのだ、という考え。

(4)危害を加えようとする者の意志とは無関係に危害を加えられる側の者の意志だけで危害を加えられるのを防ぐ事が出来てしまう事は問題だ、という考え。

(5)ここはみんなの土地なんだから、ここで暮らす以上は、みんなと同じ様に(みんなの言う通りに)しろ、という考え。
  参考:
2012年10月15日の記事

(6)自分でしたい事が無いなら誰かに使われる義務がある、という考え。

(7)誰からも必要とされていない人には生存権が無い、という考え。

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これらの考えに対して、とんでもない、と感じるのが当たり前だと思うけど、この、とんでもない考えを執拗に持ち続けている人々が居る、と私は思っている。
それは、色々な人に接しての経験の積み重ねによって、私が汲み取った事で、非常に確かな事だ。

(4)については、国際政治において、相手国の軍事的な攻撃能力ではなく防御能力の拡充を批判する、という態度を時々耳にするが、これは、自国の攻撃を相手国が確実に防げる様に成ると相手国が報復を恐れず自国に加害する事が出来る状態に成るから、という事だと思う。
従って、加害(しようと)すれば防御できなくなる、という風に成っていさえすれば、自力で自分を守れる事は、批判の対象に成らないはずだ。
法律に基づく犯罪の取り締まりは、そういう風に成っている。
なのに、何も悪い事をしなければ誰をも恐れる必要はない、という考えを憎む者が居る。
その者達が、何も悪い事をしていない人に対してであっても、法律に基づく犯罪の取り締まりの形式の枠内で任意に加害する事が出来なくてはいけない、という風に考えているらしい。
その動機が、どうも(1)や(2)ではないか、と思われる。
これは、非常にけしからん事で、それ自体が取り締まりの対象である。

(7)については例えば、不当に殺された人に対して、その人の受けた損害という観点が希薄で、それが遺族の受けた損害としてばかり語られる、という事が、私は前々から気に成っていた。
しかし、殺される、という事は、まず第一に、殺された本人にとっての損害であるはずだ。

(1)〜(7)は、起源ではなく、人間に普遍的に備わっている邪な欲望や弱さを起源とする、難点を見破られにくく論駁されにくい形に加工された言葉による泥棒道具である。