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2013年01月20日(日曜日)
今日は塩酸のニュースが入って来た
中学校教諭が生徒に塩酸を飲ませた、と言うんだけど、これは、先生が十分に安全性に配慮した上で行ったかどうか、が重要だと思う。
塩酸に毒性があるか否か、どれだけの濃度なら酸性の強さの観点から安全か、といった事だ。
それがキチンと出来ていれば、そんなに問題ない、と思う。
リンク先には「濃度35%の塩酸1ccを100ccの水の入ったビーカーに入れ、自分でなめた後で15ccずつ渡した」と書かれていて、大丈夫そうなんだけど、どうですか?

2013年01月13日の記事の「自由主義の観点」の所に書いた様に、もちろん、罰だからいけないという論理は、ここでも効いています。
いけない、の程度が小さいだけで。

どの程度いけないかは、細かな事実によって大きく変わり得ます。
弾の入っていない拳銃を人に向けて引き金を引く事がいけないのと同じ理由で、先生と生徒の間に十分な信頼関係が出来ていない状態や、出来ていても生徒が非常に怖がっている場合には、十分に安全な水溶液であっても、飲ませるいけなさ、は小さくないでしょう。

安全性の確認が出来ていなかったならば、とんでもない話(とてもいけない事)だと思います。

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2013年01月17日の記事への補足。
今しごいている人が今しごかれている人と同じ年次だった時の、今しごいている人がしごかれている様子を撮ったビデオ映像や数字での記録を見る権利、というものを今しごかれている人に与えれば、シゴキの程度の吹っ掛けが防げる。
私の学生時代の話については、私は、シゴキのサジ加減を背景とした脅迫というものは、全く経験しなかった。
イジメや嫌がらせ、といったものは、されている本人(私)にハッキリとは認識出来ない様な形で、行なわれていたのではないか、と思っている。
私は、大学1年生の時に半年ほど空手部に所属していたのだが、4年生で主将だった高尾さんと3年生の石坂さんの人柄には、特に好印象を持った。
この2人が発信源と成ったイジメや嫌がらせ、は皆無であったはずだ、と信じている。
会社でもそうだが、どの団体も、そこに入るとまず最初に必ず一度はへこましにかかって来る。
そういう所が、この空手部にもあった気がする。
腕立て伏せ等の反復運動で、所定の回数に達しても、私がキツそうな顔をしていなければ、回数を上乗せして来る、そうやって、根を上げる所を取ろうとする、屈服させようとする。
これを私は、部活での事に対してでも良く思っていないし、会社での事に対しては烈火の如く怒っている。
組織には、新入者に対して古参者は、一度へこましてからでないと口も利けない、という風潮があり、任意加入の空手部の様な団体ならともかく、好むと好まざるとにかかわらず所属せざるを得ない職場については、これはハッキリと間違った性質だ。
空手部に入部した時の私は、厳しい上下関係みたいなものに憧れて、それを自分から求めていたし、空手という種目で自分よりも強い先輩は尊敬の対象と成り得た。
会社に就職した頃は、もう、そういうものには冷めていたし、会社での職能に成り得る様な種目は、どれも、私にとって、その種目で勝ちたいとは思わない類のもので、それ故に、その種目で強い先輩は尊敬の対象には成らない人々だったからだ。
テレビドラマでも大体、団体への新入者は、初期の段階で一度へこまされる。
ただしテレビドラマでは、新入者が未熟さ故に自ずとへこむのであって、自ずとへこまなければへこむまで古参者が押す、という事は無い、イビリものでなければ。
へこまない事を敵にしてそれを討つ行為は不当である、という当たり前の認識が背景にあるからだろう。
本論とは関係ないが、忘れない様にメモしておくと、空手部には、上記の2人以外にも、4年生に荻野さん、2年生に佐々木さん、それからもう一人、名前を思い出せない2年生の先輩、が居た。
この中で、最後の、名前を思い出せない2年生の先輩は、嫌がらせの発信源ではない、とは断定できない人だったが、それは本質ではない、と私は思っている。
私に対する嫌がらせは、もっと根の深いもので、私に直接接する人は、その手先に過ぎない、と考えるからだ。
大学は東京にあったけれども、嫌がらせの発信源は現住所の広島県福山市だった可能性すらある、と思っている。
数年前に、神辺駅プラットフォームで電車を待っていると、地域にある施設の知的障害者達と思われる数人が、空手部で移動稽古(突き)の時に佐々木さんが出していた声、にソックリの声を出しながら、通り過ぎて行った。
私は、これを聞いて、非常に不審かつ不快に思った。
私には、その数人が佐々木さんの声の録音を聴いた上で私に聞こえる様に故意にその声を真似ながら私の傍を通過したのだ、と確信を持って言える。
空手部の話は、今ここでは書き切れないので、正式には、また別の機会に書くつもりです。
日記以外の場所に書くかもしれません。
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2013年01月13日の記事への補足。
「はい先生あなたの負け」における「負け」は、人材獲得競争で他先生(バスケットの先生に限定されない)に負けた、という意味です。
「バスケットボールという種目の負けです」における「負け」は、人材獲得競争でスポーツや文化の他種目に負けた、という意味です。
「はい先生あなたの負け」における「負け」については、生徒対先生の自尊心や優越感・劣等感や充実感や満足感の競争における負け、という観点も存在し、私の職場での経験を論じる場合には、この観点の方が重要です。
これは、先生はバスケットボールで優秀な成績を収めた事にアイデンティティーの拠り所を求めている人で、そういう人を自分よりも優れた人だと思うか思わないか、そういう人の人生を自分も欲するか否かは、生徒がバスケットボールをどの程度高く評価するかにかかっており、バスケットボールをくだらないと思うなら、生徒は先生もくだらないと思う事が出来る、という意味です。
ただし、この勝負は片側の感じ方だけで決まるものではなく、その意味では、半分しか負けていません。
歯磨きの強要の論理をこの問題に適用すると、バスケットボールでなんて負けても一向に構わないや、と思っていた生徒が、実際に試合で負けてみて、余りに悔しいので、それで勝てるものなら体罰でも何でもしてもらって構わなかったのに、という風に後悔したならば、その生徒に対する体罰は正当化される、という事に成ります。
そういう理由で生徒が体罰を事前に許容している場合は、生徒が体罰機能付きのトレーニングマシーンを自分で導入して使用している場合に相当し、問題は、どの程度の自傷行為までなら許されるか、という問題とみなされるでしょう。
これに対して、生徒の意に反して先生が一方的に体罰する場合の問題は、他害行為の問題です。
「その上効果が無い」という表現は、「その上効果も無い」の方が良かった。