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2013年01月17日(木曜日)
水難救助訓練水死事件について
2012年6月に、埼玉県警機動隊のプールで、隊員の佐々木俊一巡査(26才)が、ウエットスーツとボンベやマスクなどの装備を着けての水難救助訓練中に、訓練をやめて陸に上がろうとしても、複数の指導員から水中に何度も押し戻されて水死した、という事件の続報をNEWS読売・報知の携帯電話向けサイトで今朝読んで、この事件の存在を知った。
参考:
水難救助訓練の機動隊員水死…何度も水中に戻す : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この事件について私が思う事、を以下に書きます。

救助される人の人命は救助する人の人命よりも優先される、という道理は無い。
どちらかと言うと、救助する人の人命の方が救助される人の人命よりも優先されるべきだろう。
ただし、これは、救助の途中で、刺すなどして被救助者を能動的に殺さなければ救助者が生きて帰れない、という状況が偶然に生じた場合には、被救助者を殺す事には正当性がある、という意味ではない。
救助者には、自分が災害に巻き込まれないために被救助者を見捨てる、という選択肢が認められる、という意味だ。
救助は、出来る範囲内で行えばよい事であり、救助者には、自分の命と引き換えにしてでも被救助者の命を助ける義務がある、なんて事は無い。
色々な災害についての報道で、2次災害の危険があるので今救助活動は中断されている、というのを目にする事があるが、当然そうあるべきだと思う。
だから、救助に必要な能力を身に着けるため、という大義名分を振りかざせば、どんな過酷をも押し付ける事が出来る、と考えるのは間違いだ。

何年か前に、この種の水難救助訓練の様子をテレビで見た。
プールの中で浮き上がろうとしている人の上に別の人が乗って押さえ付けていた。
その時には、大丈夫なんだろうか、死んだり健康被害が出たりしなくても、苦し過ぎはしないだろうか、という風に思ったが、プロのやってる事だから口出しするのは僭越かな、と思った。
でも結局、やっぱり問題ありだったんだ。
米海軍特殊部隊SEALsの防溺訓練に由来するのだろうけど。

高度な能力は、ゆっくりと時間を掛けて身に着けるべきだ。
私にも、中学時代と大学時代に、短い期間ではあったが、運動(体育系の)部に所属していた事があった。
そこでは基礎体力のトレーニングが非常にキツかったのだが、あれは、短期間で急に基礎体力を高めようとするからキツイのであって、基礎体力を高めるのに、そんなに短期間で急にやる必要は無い、と今では感じている。
長期的にじっくりやれば、無理なく着実に基礎体力は身に着くからだ。

したがって、そういうシゴキには絶対に、どこか精神的なものへのこだわり、というのがあるはずだ、と私は思う。
苦しく成っても意志を変えない能力、苦しく成っても冷静さを失わない能力、いわゆる精神力を鍛えよう、という考えは、建設的だ。
しかし、建設的ではあるが、肉体的な能力(苦しく成らない様にする能力)に比べて精神的な能力(苦しさに耐える能力)は、それを鍛える事をどの程度義務に出来るかには、疑問の余地が大きかろう。
精神的な能力を鍛えるにしても、ゆっくりやればいい事だ。

シゴキには、ここまでに書いた様な表向きの理由以外に、精神的なものの中でも特に、マインドコントロールしてゴマカス作用がある。
シゴキの実行中には、しごいている人は、何もキツイ事はせず、楽な姿勢から言葉で指示を出しているだけである。
しかし、これを続けて行くと、しごかれている人にとって、しごいている人がどんどん偉く見えて行く。
その中には、しごいている人は過去にこれに耐えたんだな、という合理的なものもあるが、しごかれている人が自分の目でそれを見たわけではないし、それはマインドコントロールの本質ではない、と私は思う。
シゴキによるマインドコントロールの本質は、しごく人としごかれる人が勝負してしごかれる人が負けた場合と同等の精神的効果を、勝負する事なく、主にしごかれる人の心に生ぜしめる事だ。
一言で言うと、しごく人は、しごかれる人に自分を尊敬させるために、しごく、という観点だ。

どういうメカニズムでそういう効果が生じるのか、私にはまだ解明できていない。
自分の経験から言うと、脅迫下で荒行を強要されているのではなく、耐えられなく成ったら脱会してもよい、という状況下でも、その効果が出る。
私の場合、中学時代も大学時代も、所属していた運動部の先輩よりも私の方がその部の種目の実力が上だった、なんて事は全然なかったけれど、大学時代には、しごかれなから私は、上記のマインドコントロールの法則性を実感・発見した。

上記のマインドコントロール効果は、脅迫ではなく、しごかれる人を錯納得させるものだが、シゴキにはいじめ、嫌がらせ、脅迫などの作用もあろう。
しごく人が、俺の手元がちょっとでも狂えばお前は死ぬんだよ、という事情を背景に、しごかれる人に、生殺与奪を握られている感じ、を与え、自分の権利を実際よりも小さく錯覚させ、その脅迫作用の下に、別の場所で気に入らない事があったら、またここに来た時に手元が狂うかもしれないなあ、という脅迫である。

もっと悪質な可能性については、事故に見せかけて殺す、という犯罪の可能性もある。

私の意見としては、シゴキをしごく人の恣意的なサジ加減に委ねるのは危険であり、キツさや苦しさの科学を成立させ、キツさや苦しさを数値化して、その数値に基づいてシゴキを厳格に管理するべきだ、と言いたい。
これは、労働条件一般についても、言える事だ。
労働条件の場合には、疲労の数値化がポイントだろう。

そう言えば、相撲部屋内での暴行事件も、本件と共通するなあ。