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2013年01月15日(火曜日)
労働条件と市場淘汰
2013年01月13日の記事に私は、会社が市場での競争に負けそうに成った時に倒産しない様にするために労働条件を法定下限より下げる事は許されない、という事を書いた。

さて、そのルールを守ると、いずれはその会社は倒産するだろう。
それでは、このルールを通用させたのでは、社会は成り立たないのだろうか?
成り立たない事は無い、と私は思う。

全ての会社が労働条件を法定下限よりも下げる事なく自由市場競争している限りにおいては、その競争で何れかの会社が負けて倒産すれば、それまでその会社の供給に掛かっていた需要が、残りの他社の供給に掛かる様に、需給経路のつなぎ替えが起こるはずだ。
すると、競争に勝った会社は、供給量を増やすために、雇用を増やすだろう。
競争に負けて倒産した会社からの失業者は、そこを再就職先に出来る。

こうして社会全体としては労働条件が等号付不等号の形で改善される、と私は考える。

勝った会社の雇用の増加と、負けた会社からの失業者数は、等しく成るだろうか?
労働条件が良くて市場での競争に強い、というのは、同じだけの生産をするのに少ない労働で済ませる事が出来るノウハウを持っている、という事ではないか?
そうだとすると、勝った会社の雇用の増加は、負けた会社からの失業者数よりも少なく、不都合ではないか?
イノベーション(技術革新)については、そういった形で失業問題が発生する、と聞く。

単に、同一の生産に対して少ない労働で済ませる、という事なら、その分被雇用者数を切り詰めれば、被雇用者1人当たりの労働条件は良くはならないので、労働条件が良い事と効率が良い事は別なのではないか?
なら、上記不都合は必然ではない。

おそらく、ある会社の労働条件が良い、というのは、その会社が、同一の生産に対して少ない労働で済ませるノウハウを持っている事に加えて、そのノウハウを駆使する事によって生じた余裕を労働条件向上に還元する性質を持っている、という事だろう。

自分で経験してみて、初めての職場への初期適応は本人にとって非常に負担が大きい、と分かったので、安易に、失業しても再就職すればよい、と言うつもりは無い。
基本的に人間にとって人生の途中で職業を変えるのは無理だ、ぐらいに思った。
しかし、社会全体ではたくさんあっても、1人当たりの平均では生涯に0.1回未満とか、そういう小さい数字なら良かろう。

労働条件の法定下限が国によって異なるので経済がグローバル化した現代においては上記の論法は通用しない、との反論に対しては、私は、そこが関税の出番だ、と主張したい。
つまり、労働条件の法定下限の差をキャンセルする様に関税を掛けるのだ。
完全な自由貿易は、関税の撤廃によってではなく、この様な競争をフェアにする関税によって、実現されるのではないか、と私は思う。

本件が宇田経済学の話とつながるのか否か、まだ分からないので、タイトルには宇田経済学とは書かなかった。
本件は、これ自体としては、普通の経済学の話だと思う。