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2013年01月10日(木曜日)
「必要」は曖昧語濫用の本丸
まず、昨日の記事の訂正をします。
大相撲の八百長について、昨日の記事では、
「許容範囲内だと考える人は居ても、八百長しないのはいけない事だ、と言う人は居なかろう」
と書きました。
これでも間違いではないのですが、昨日の記事の大意に沿った形に書き直すと、
「八百長してもいいじゃないか、と言う人は居ても、八百長しなければいけない、と言う人は居なかろう」
の方が良いでしょう。

さて、ここからは本日の話です。

「強い」という語の意味は、種目を指定しないと決まらないのだった。
「勝つ」という語の意味は、具体的な競争を指定しないと決まらない。
それと同様に「必要」という語の意味は、何のためにか、を指定しないと、決まらない。

数学では、条件「AならばB」が成り立つ事を、BはAの必要条件である、と言う。
Aが成り立つためにはBが成り立つ事が必要だ、という認識の仕方だ。
Aならば必ずB、と考えてもよい。
何の必要条件なのか、を指定せずに、単に「Bは必要条件である」とだけ言う語法は、数学には無い。

政治の分野では、必要の無い公共事業、などという言い方が用いられる。
ここでは、何のためにか、が省略されており、意味が曖昧である。
何のためにか、を省略して、必要か、と尋ねられると、真面目な人ほど、ギリギリの我慢をしても生きるためには絶対に避けて通れないのか、を考え、ズルい人ほど、欲しい物は何でもかんでも、必要だ、と言って吹っ掛けるだろう。
童話「金の斧、銀の斧」みたいな事だ。

だから、「必要か?」と訊くのではなくて、欲しいか欲しくないかを訊けば良いんだよ。
「欲しい」なら、前提無しでも意味がハッキリする。
それでも、避けたい条件と抱き合わせで「・・・でも欲しいか」と言われると、意見が変わったりするので、「欲しい」「したい」も、全く問題が無いわけではない。

つまり、何のためにか、を省略して「必要」という言葉を用い、必要ない事をするな、という意見が通ると、正直者が馬鹿を見る面がある。
そして、必要の無い公共事業、という言い方をする政治家は、その事を利用している。
みんな自分をズルい人だとは思われたくないから、欲しい物を必要だとは言い難いのだ。
公共事業の必要性は、言うまでもなく、ギリギリの我慢をしても生きるためには絶対に避けて通れない、という意味での必要性でもないし、その弊害を全く無視しての単なる欲しさでもないので、「・・・のために必要か」「・・・でも欲しいか」という風に、問題を明確化する必要がある。

「する必要ない」=「しなくてよい」。
「しない必要がある」=「してはいけない」。
これら「しなくてよい」と「してはいけない」のすり替えも、多く見られる。

雇用者が被雇用者を解雇する時に「もう来なくてよい」という言い方をする。
なんてイヤラシイ言い方なんだ。
来てはいけないのではなくて、来なくてよいだけなら、明日からも来るぞ。
素直に「来ないで欲しい」と言えないのか?こいつらは。

私などは母から「何故お前が学者に成らねばならないのか」という言い方をされる。
「成ってはいけない」と言いたいくせに「成らなくてよい」という語法を用いる。
私には学者に成らなければいけない理由もあったが、学者を目指す行為の正当性の根拠としては、成ってもよいから、という理由だけで十分なはずだ。

「成ってはいけない」という意見に対する反論は「成ってもよい」だ。
「成らなくてもよい」という意見に対する反論は「成る必要がある」だ。
「成る必要がある」は「成ってもよい」よりも成立し難い条件である。
従って、「成ってはいけない」という意見よりも、「成らなくてもよい」という意見の方が、反論を受け難い。
「・・・しなくてもよい」と言って反論を封じておいて「・・・してはいけない」という自分の意見を通すのは、詐術である。
この詐術も、よく見かける。