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2012年12月30日(日曜日)
何様概論
2012年12月27日の記事の話の続きとして、「お前、自分を何様だと思ってるんだ」という非難表現の意味や機能や仕組みを考えてみたい。

直訳すると、お前の言っている事は、何様かなら言ってもよいが、お前は様が付く程には偉くないはずだから、お前には言う権利は無い、という意味に成る。
あるいは、お前の言ってる事を言う権利は誰にも無いのに、それをお前が言っている、という事は、お前が自分を何様かだから例外だ、とでも考えている、という事であり、それはお前の思い上がりだ、という意味だ。
言われた人は、瞬間的にこの事を感得するが、そういう意味である事を言葉で表現するには時間がかかる。
その分の時間経過をもって反論は無かったものと曲解しよう、というのが、「自分を何様だと思ってるんだ」と言う者の目論見だ。

ハッタリの機能がある。
自分の権利を主張した時に言われると、言われた人は、自分にはそんな権利は無いのかも、という風に思ってしまう可能性、がある。
それを狙っての発言だ。
類似のハッタリに「兄ちゃん、それは違うで」というのがある。
この様に言われると、自分はものすごくいけない事を言っているのではないか、という風に心配に成る。
無いもの(そういう事を言ってはいけないというルール)を有るかの様に見せる詐術である。

罠としての機能がある。
「自分を何様だと思ってるんだ」という言葉には、お前は様が付く程には偉くないだろう、という意味が含まれている。
従って、これを言われた人は、自分の地位や身分が侮辱されたと思い、自分の地位や身分が如何に立派なものであるかを説明しようとする可能性、がある。
これは間違った行ないではない。
しかし、そうすると、地位や身分を笠に着た恫喝だ、との難癖を付けられる危険性がある。

一般に、対等主義者を敵視する人は、対等主義者に下位者を威圧させてボロを出させ、対等主義を論破しようとする傾向がある。
私などは、年上の男に対等主義的な態度を取ると、その報復として、年下の男が嫌がらせを仕掛けて来る、のを経験する事が多い。
しかし、そういう場合の年下の男の私に対する態度は、年上の男に対して私が取った態度とはハッキリ異なる悪質なものであり、従って、相手の論法は詭弁である。
私は威圧もしてないし。

話を逸(そ)らす機能がある。
言われた人が、自分の地位や身分の立派さを説明すると、すればするほど、だから私には言う権利があるのだ、というニュアンスに成ってしまう。
そういう事にされてしまうと、相手にもっと立派な地位や身分の人を出されて、その人の言う事だから認めなさい、という風に持って行かれる危険性や、自分が本当に立派な人間なのか否かの議論に話が逸れる危険性がある。

これらによる被害を避けるには、純粋に論理的な見地からの反論の的確性を追求する事が有効だ。
これは、反論の対象と成っている相手の意見のどこが間違いであるかを冷静に見極め、その点についてのみ反論する、という態度であり、言ってる事の正しさでしか勝負しない、という態度だ。
こうすると、自分の発言が美醜や礼儀の観点から難癖を付けられても、それが相手の意見の間違った部分を論駁するために必要である、という理由で、その難癖を却下できる。

自分に対して相手の述べた意見が間違いである場合、「間違ってます」と言う権利は誰にでもある。
「間違ってます」と言って相手から理由を尋ねられれば、理由を答える権利は誰にでもある。
理由を答える権利がある、という事は、理由を答えるのに必要な言語表現を美醜や礼儀の観点から非難する事には正当性が無い、という事だ。

理由を答えるのに必要と言っても、論理的に言ってその表現を絶対に避ける事が出来ない場合にのみ必要性を認める、という基準を置くのは厳し過ぎるのであって、即時会話では、理由を述べる時に自然に出て来た言葉は、理由を述べるのに必要であった、と考えるべきだ。