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2012年10月31日(水曜日)
職業の起源(宇田経済学の話の続き)
宇田経済学についての前回の記事は、2012年10月30日の記事です。

職業とは、宇田経済学的には、基準モデルから、個人が、自分の私有財産(=自給自足の手段)を全部公に預けて、基準モデルと等価な別のモデルに移行する事に応諾する際に、預けた私有財産と引き換えに与えられる生活の手段である。

この移行は、論理的には、抑悪の必要性によって、生じる。
そして、個人にとっては、自給自足の手段を職業に置き換える事が、抑悪コストの負担の大半だろう、と思われる。
論理的には、というのは、歴史的にではない、という意味だ。

職業制度は、自給自足の手段を質に取る事によって、個人を、他者に攻め込めない様にする、という統治の仕組みだ。

職業というものは、そういうものであるから、次の様な事が言える。
(1)自給自足の手段を質に取っての脅迫としては、他者に攻め込むな、というものだけが正当であり、それ以上の脅迫や妨害は、不当である。
(2)職業の内容を、私有財産を預ける前の自給自足で自分がしていた労働、と同程度に留める選択をする自由、が保障されていなければいけない。
(3)自給自足の場合と同じだけ働けば、職業でも同じだけの収量が得られなければいけない。

(1)については、だから、職業上の立場を利用して、尊敬しろとか感謝しろと要求するのは、不当であるし、基準モデルにおいて取引をしない場合に生じる他者との差に該当する差を生じさせる事を遠慮しろ、と要求したり、生じた分だけ収奪したり、生じさせない様に妨害する事も、不当である。
平等を事とする社会主義は、これに抵触しているだろう。

(2)は、基準モデルにおける他者との自由な取引に相当する部分を上乗せして自分の職業に含める選択、を否定しているわけではない。

(3)は最低賃金の起源と考えられよう。
(2)の上乗せされた部分については、(3)の様な制約は無い。

自給自足の手段を預ける事に応諾する、というのは、預けても必要な時に必要なものはチャンと稼ぎ出せる(等価なシステムへの移行です)、と言われての事だから、質の乱用は許せない裏切りである。

現代社会でも、職業で得た賃金によって自給自足の手段を買い戻して自給自足をしても良い事に成っているが、それが出来る人は例外的にしか居ない。
基準モデルにおいて個人が私有している財産が莫大なものである事を考えれば、それは当然の事だ。
そして為政者は、それが出来ない事を、頼みにしている。
従って、その困難の壁(=防犯の壁)を自力で打ち破った者に対しては、官憲は並々ならぬ警戒心を抱くだろう。
巨額の脱税で捕まった人のニュースを時々見聞きするが、そういう事件は、この文脈において解釈すべきものかもしれない、と私は疑っている。
この事は、公開鍵暗号の安全性は素因数分解の困難性に依拠しているけれど、素因数分解の能力を任意に高めてはいけないという道理は無いので、計算機を使っての素因数分解のコンテストで優勝した人は秘かに付け狙われているのではないか、という勘繰りに喩えられる。

抑悪コストの負担の分量は、預けた私財の分量だから、莫大である。
まだ働いてなければ何も持っていないのが当然であり、タダで貰う権利は無い、必要なものは働いて買いなさい、という道徳の常識は大きなペテンだ、というのが私の考えである。

自給自足の手段を公に預けて職業に置き換える事は、自作から小作に鞍替えする事に喩えられよう。
自営業者も、他者と取引をしなければ生活できない以上は、小作である。