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2012年10月30日(火曜日)
基準モデルにおける当然の自由(宇田経済学の話の続き)
宇田経済学についての前回の記事は、2012年10月21日の記事です。

個人の他者に対する義務というものは、取引によって生じる、と考えられる。
従って、全く取引をしない場合には、基準モデルにおいては、若干の例外を除いて、他者に攻め込まない限り個人は全く何をやっても良い事に成る。

特に以下の各項目の内容は、他者に攻め込む行為には当たらない。
・他者を自分より劣っていると考えて優越感を持つ事。
・他者に対して尊敬も感謝もしない事。
・好きな業務ばかり優先的に行ない、嫌いな業務をないがしろにする事。
・どうしても必要な事しかせず、後は怠けて過ごす事。
・他の人が勤勉に働いている時に怠けて過ごす事。
・学問を行ない、その能力を発達させ、成果を蓄積する事。
・スポーツを行なって自分の身体の機能を発達させる事。
・芸術を行ない、その能力を発達させ、作品を蓄積する事。
・他者の意向を全く入れず、自分の立てた計画のみに従って動く事。
・問題は全て工夫によって解決し、苦労は絶対にしない事。
・他の皆が我慢している事を、何一つとして我慢しない事。
・何もかも自分の思い通りに成る事。
・嬉しい事ばかりで辛い事や悲しい事が一つも無い事。

もちろん、以上で全てではない。
出来るかどうかは別だが、私が言いたいのは、しても非難の対象とは成らない、という事だ。

これらは、たとえ各人の先天的な資質に深く依存し過ぎていて、他の人が真似しようと思っても出来ない様な事であっても、他者に攻め込む行為には当たらない。
他の人には真似が出来ない、他の人を羨ましがらせる、他の人に劣等感を感じさせる、他の人の面目を潰す、といった事も、これらを攻め込む行為だとするための理由には成らない。

若干の例外とは、次の様な事だ。
・自分の領内のであっても、生き物を虐待する自由は無い。
・自分のものだからといって、資源を浪費してはいけない。

これらは、他者に攻め込む行為ではないが、自由ではない。
後者については、寿命が有限で出生と死亡がある場合に限られる、と考えるべきかもしれない。

また、寿命が無限であっても、公害を出す自由は無い。
公害を出す事は、他者に攻め込む行為だと考えられる。