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2012年10月15日(月曜日)
宇田経済学の基準モデル
宇田経済学についての前回の記事は、2012年06月11日の記事です。

宇田経済学では、地球上の資源を人口で割った分を各個人が私有して自給自足している状態を、基準状態と考えます。
つまり、各個人が人口1人の国の国王であるかの様な状態です。

これは、何でも皆の物だとする共産主義の対極に位置する考え方であると同時に、また、自由主義の実際において実質上の義務が不当に拡大されている事を暴き出すためのものでもあります。

宇田経済学の態度は、世界を基準状態にしろ、というものではなく、そういう状態を基準にして、現代社会におけるどういう取引が正しくてどういう取引が間違っているか、を明らかにしようとする態度です。

基準状態では、おそらく各個人は十分に自給自足できますから、次の2点を除いては、他者と仕方なく取引する必要はありません。
(1)天候不順や怪我などの事故によって自給自足できなくなった場合に他者から供給してもらう必要がある。
(2)他者が攻め込んで来るのを防ぐ必要がある。
これら以外については取引は自由主義の原則に従ってよい、と考えられます。

宇田経済学の基準状態は、各個人を完全に独立させた状態なので、たとえば、生まれたばかりの赤ん坊や高齢で動けなくなった老人については妥当性を欠き、この部分については追って補正する必要があります。
近年高齢者福祉の問題が深刻化している事を見ると、この補正は軽微なものとは限らない。

また、宇田経済学の基準状態では、便宜上、出生と死亡が無く、各個人の寿命が無限大だと仮定しますが、この点を補正して相続について考える事も必要です。

(1)に由来する義務は、おそらく量的には非常に小さいでしょう。
したがって、現代社会における取引をする義務の中の正当なもののほとんどは、(2)に由来する義務、つまり抑悪コストの負担義務と考えられます。

(1)については、事故の際に援助を受けない代わりに他者に援助は一切しない、という選択をする事が可能です。
ただし、自分が援助しなければ自分以外の人が援助しただけでは足りない、という場合には、人道上の問題が選択の自由に制約を与えるでしょう。

(2)については、攻め込む性質が全く無い人まで負担を求められる、というのは理不尽です。
したがって、厳密には、攻め込まれる危険性に応じて負担するのではなく、攻め込んでしまう危険性に応じて負担するのが、理にかなっています。
各個人が自分の攻め込む性質による他者への迷惑を抑制するのに必要な分だけ負担すれば、合計としてもツジツマが合います。

(1)も(2)も保険制度の必要性だと考えられます。

宇田経済学の基準モデルで考えれば、取引が全く行われない場合でも、大きな貧富の格差が生じる事が予想されます。
それは、マラソン等のスポーツの個人種目で成績に顕著な個人差が見られる事、を考えれば、分かります。
この様な格差は、不当行為によって生じた格差ではありません。
この様な正当裡に生じた格差への難癖を論駁する事も、宇田経済学の主たる目的の一つです。