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2012年08月30日(木曜日)
嫌がらせ、あれこれ
嫌がらせ行為を用いての実質上の強要は、非常に緩いが無限に粘り強いゴム膜によって人を拘束する事、に喩えられよう。
これによって拘束された人は、拘束する人の気に入る様に動いている間は、自分は自由だ、と錯覚する。
拘束する人にとっては、この錯覚者人口を如何に多く保つかが、そうでない人を病人扱いするための鍵と成る。
拘束する人の意に反する方へ少しだけ進むと、軽く押し返される。
この段階では、拘束する人は、別に押し返してなんかいないよ、という風にしらばっくれる。
拘束された人は、察しの良い人ならば、この段階で既に不穏なものを感じて、こっちへは行っちゃあいけないんだな、という風に感得し元の位置に戻る、とか、行っても良いルールなのに押し返すとはけしからん、と反発して、何が何でも行ってやる、と考えるとか、する。
元の位置に戻らず、押し返されるのに抗してさらに少し進むと、少しではあるが押し返す力が強く成る。
拘束された人は、察しの良い人ならば、この段階で、もっと進んでも進めば進むほど押し返す力は強まり進み続ける事は無理らしい、という事を見抜き、そっちへ進む事を絶対に阻止する、という拘束者の犯意を感得する。
この段階で拘束者を人身拘束の罪で告訴すると、まだそんなに強くは押し返されていないから、拘束者から、そんなに大して妨害と言えるほどの事はしてない、という反論を受ける。
しかし、この拘束者の反論は詭弁であり、各時点における押し返しの力ではなく、ゴム膜で人を閉じ込めた、というのが拘束者の行ないの真相であるので、これは大した妨害である。

嫌がらせの単技の性能としては、された人が何をされたか第三者に言葉で説明するのが難しい事を意味する表現困難性以外に、伝聞において信憑性が保存されない、という事が挙げられよう。
これは、嫌がらせを受けた人には、それが嫌がらせである事がハッキリと分かったが、それを言葉で説明された第三者には、本当にそうなのか分からない、という事だ。
何をされたかが伝わっても嫌がらせである事までは伝わらない、とか、本当にそういう事をされたのかと疑われる、という事だ。
先日の記事の、手術中の医者に対して故意に受け取り難い様に道具を渡す行為、を例に考えると、うなずけよう。
嫌がらせの単技としては、意識して選択的にこの様なものばかりが考案、収集、使用される。
嫌がらせの単技のこの様な作用によって惑わされないためには、嫌がらせを受けたと言っている人がどういう人でその境遇がどう変わったのかを見るなど、事態を大局的に把握する事が有効だ。
自分の身の処し方に関するその人自身の意志と他の人の意志の衝突が有った後で、後者に沿う形での合意が成立したならば、その過程には嫌がらせ行為が介在していた可能性が疑われる。

最も軽微な嫌がらせとして、機嫌悪く接する、というのがある、と思う。
これの応用として、私などは、過去に次の様な嫌がらせをされたと思っている。
まず、前から歩いて来る人に機嫌よく挨拶すると、その人に無視されるか、偉そうな態度で挨拶を返される。
次に、再び前から歩いて来る人に機嫌よく挨拶すると、また、同じ様な態度で応じられる。
そこで、その直ぐ後を歩いて来る人には、挨拶せずに無視したり偉そうな態度で挨拶すると、その人は非常に柔和に挨拶を返して来て、気まずい思いをする。
こういうのには、前の2人のみがグルで故意にやってる場合や、3人ともグルで故意にやってる場合が、含まれていただろう。
しかし、前の2人のみがグルで故意にやってる場合については、嫌がらせ、と言うよりは、陥れに属するのかも。
つまり、私の人格を3人目の人に誤認させて私の信用を低下させる、というものだったかもしれない。

陥れの話に成ってしまうかもしれないが、ついでに言っておくと、私が子供の頃、大人の人Aが、別の大人の人Bを指して、行って確かめてみろ、前を通っただけでBは怒り出すから、みたいな事を言っていた、のを聞いた事がある。
あらかじめ標的を怒らせておき、そこへ第三者を行かせて、その第三者に、なあ悪い奴だったろう、という風に吹き込む、そういう陥れ技が、ありそうだ。
最近の私は、危険運転を仕掛けて来る自動車が多いので、これに注意を払っているが、中には、悪者から言われて私の近辺を通過しただけの無垢なドライバーも居たのではないか、と思っている。

業務中に嫌がらせをされると、能率が下がる。
この場合、原理的には、能率が下がった事による逸失利益を、損害として賠償請求すれば良い。
しかし、実際には、嫌がらせをされても、能率が下がらない様にテンションを上げて持ちこたえるのが普通である。
この場合どうも、利益は逸失していないから損害賠償の請求は出来ない、という盲点が、法律には、あるらしい。
嫌がらせの話ではないが、東北地震で被災した商店が自助努力で復旧したらそう言われた、という話をテレビで見た。
嫌がらせ行為者は、法律のこの盲点を意識的に利用しているのではないか。
私が、我慢するとヨブ記に成る、と言うのは、このためだ。
また、私には体調不良を訴えると否定され納得できなかった事が何度も有るが、それも、損害の発生を認めるわけには行かない、という動機での事だったのかもしれない。
これに対しての私の考えは、テンションを上げなければ逸失したであろう利益を損害賠償請求できるべき、というものだ。
これは、テンションを上げて持ちこたえている状態というものを、テンションを上げずに利益の逸失が起こった後で被害者が自腹を切って損失を埋めた結果、という風に解釈する事によって、正当化される。
あるいは、テンションを上げた事による労働量の増加を時給に換算して、それを損害賠償請求する、という考え方も出来よう。
いずれにせよ、詭弁には必ず論駁の道がある。

嫌がらせにしても、陥れにしても、これらによる被害を防ぐには、個別具体的な実例についての知識が、必要だ。
手口を全部バラしてしまう、というのが、有効な対策だと思う。
手品のネタをバラされたら、手品なんて出来なくなるのと同じ様に、嫌がらせや陥れの手口を片っ端から手当たり次第に全部バラせば、そんなものは、もう使い物にならなく成るだろう。
テレビのニュースで、○×さんは長年に渡って悪質な嫌がらせを受け続けていたという事です、という風なコメントを聞く事はあるが、悪質な嫌がらせって具体的にはどういうものなのかは、あまり聞かない。
聞いた人が実行するといけないから、という理由で言わないのかもしれないが、それはむしろ嫌がらせをする側の人を利している。
サイバー犯罪の手口やオレオレ詐欺の様に公開すれば良い、と思う。
技を私に対して使ったのが運の尽きだった様だ。

ビジネスマンに出世するためのノウハウを教える、と謳う経営コンサルタントの人が居るが、どうも、その内容は、如何にして成果を向上させるか、というものらしいのを見て、それとは別に、個人の出世を集団がコントロールしてしまう問題を如何にして克服するか、という問題があって、これを未解決のまま放置して成果を追求してもヨブ記に成る、と思った。
会社なんて、どんなに成果を出しても、知らぬ存ぜぬ、まだまだ、を決め込む事が出来る体質を持っている。
これを放置したまま、いくら頑張っても、頑張った分をタダで持って行かれた上、君だけ出来てない、みたいな逆の事を言われる危険性すらある。