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2012年08月29日(水曜日)
嫌がらせ行為の違反度
昨日の記事には私は、嫌がらせ行為は強要罪の成立を免れるための工作だ、という風に書いたが、今日インターネットで調べてみると、強要罪以外に、脅迫罪と恐喝罪というのがあるらしく、私は、これらの区別を分かって書いているのではない。
罪名の区別が分からなくても、悪い事を悪いと言う事は出来るはずだ。

書きながら検索で出した強要罪という言葉を使ったのは、知ったかぶりだったかも。
「義務なき事を行なわしめ」という文句が頭にあったので、それで検索すると、強要罪が出て来た。
それまで強要罪なんて言葉は知らなかった。
強要も脅迫も恐喝も知っているが、語尾に罪を付けたものとしては、調べる前からあるだろうと想像できた言葉は、脅迫罪だけだった。

嫌がらせ行為の違反度の見積もりにおいては、それが
2012年08月23日の記事で論じられている序列の中の拘束の段階に属する、という認識が基本に成る。
したがって、大きな実効性を持って選択の自由を妨害する嫌がらせ行為は対人違反だから、その違反度は大きい。

これに加えて、嫌がらせを用いた強要は、強要しておきながら標的が自分の意思で選んだという風に知らばっくれる点が悪質であり、この分違反度は高く成ろう。
この様に標的に責任転嫁しておくと、後で標的がゴネ出した時に、自分でした選択の結果には甘んじろ、という風に、ごまかせる。
ごまかせる、と言っても、ごまかしても良い、という意味ではないし、将来もずっとごまかせる、という意味でもない。
今まではごまかせた、という意味であって、これからはごまかせない社会を作るべきだ。
2012年08月22日の記事に現れる、悪い事が出来る、という意味の表現についても、同様だ。

さらに、嫌がらせ行為の直接の被害である軽微な実害の累積の分だけ、違反度が増大する。
一つ一つの嫌がらせ行為の被害が金額に換算して1円であっても、それが1万回繰り返されれば、合計では1万円の被害に成る。
しかし、しつこさに対する違反度の応答は線形ではない。
この考え方に通じる考え方は、
2012年06月27日の記事の最後の方に書かれている。
そこでの話は、個々の攻撃に対して逐一報復した場合の話だから、嫌がらせに対して報復せずに我慢を続ける場合には、嫌がらせ行為の違反度は、さらに高く成る。
だから、1円を1万回繰り返せば1万円ではなく、(何か1より大きな数の1万乗)円だと考えるぐらいで丁度良い。

また、嫌がらせの間接的影響も、考えに入れられるべきだ。
どんなに軽微な妨害でも、それが故意である場合には、その結果生じた損害への責任は、妨害者が一身に負うべき事だ。
最悪の場合、嫌がらせで気が散って、それによって何かミスをして、嫌がらせをされた人が死ぬ、という事だって有り得る。
助手が、手術中の医者に道具を渡す時に、故意に受け取り難い渡し方をして、それに気を取られた医者がミスをして患者が死んだら、故意に受け取り難い渡し方をする行為、というものを単体で取り出して、これの違反度の低さを根拠に、助手の罪を軽いとする事、は詭弁である。

個人に対して集団で嫌がらせを行なった場合には、個人に対して集団で行なった点が悪質であり、その分違反度は高く成る。

この様に考えると、嫌がらせは、発覚しない事に掛けた重大犯罪であり、ひとたび発覚すれば、した人には恥以外には何も残らない。