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2012年08月18日(土曜日)
無罰と片罰
最近のイジメ問題を見ていると、人間は無罰だと必ず付け上がって悪い事をする、という事を再認識する。
私自身にも、そういう所がある。
悪の抑制には罰が必要だ。

しかし、抽象的にその事を認めても、具体的な罰の一々を、あれこれ理由を付けて、否定するならば、悪が抑制されず増長する。
学校の先生が罰を行なうと「体罰はダメ」と言い、イジメられた生徒が報復すると「暴力はいけません」と言う、そう言うばかりで代わりの有効罰を設けないならば、イジメは無くならない。

悪に対して公罰が期待できないなら自分で報復する、悪に公罰が下らないなら私の報復行為にも公罰は下らないはずだよな、と考える事は至極当然なのに、イジメた者は罰せられず、イジメた者を私的に罰した者は形式的な違法性を根拠に罰せられる、というのも不条理だ。
罰のこの様な運用傾向を、私は、片罰と言いたい。
片罰は、えこひいき、不公平の最たるものであり、到底容認され得ない。
この事は、
2012年07月11日の記事の「私罰の禁止は公罰の保証とセットでなければ受忍され得ない」という論理の言い換えだ。

2012年08月15日に大津市の教育長が男子大学生にハンマーで頭を殴られ重傷を負った事件にも、2011年10月27日に石川県河北郡の小学校に乗り込んで娘をイジメた男子生徒を殴った父親が罰金刑を課された事件にも、この片罰の風潮が如実に出ている。
男子生徒を殴った父親の件については、終わった事に対しての報復ではなく、これからの事を案じての予防措置だし、他に方法が無かった、という事も見極められており、なお父親の側に理がある。

私にも、自転車で走っている時に危険行為を仕掛けて来る自動車に向かって「危ない」と怒鳴った、という話を、精神科の主治医にしたところ、その主治医が、自動車の危険行為は全く問題にせず、怒鳴る、という私の行為のみを問題にするコメントをした、事に対して同様の倒錯した風潮を感じた、という経験や、それに似たような経験が、非常にたくさんある。
ある、と言うよりも、むしろ、そういう経験に包まれて過ごしている、といった感じの極めて腹立たしい状況が続いており、それは丁度、失われた二十年と言われている期間、と重なっている気がする。

無罰も片罰も、正されるべき間違った社会風潮だ。

そこで私は、ある悪に対して私的な報復が行なわれた場合、その私的な報復行為についての裁判は、報復の対象と成った悪についての裁判が終わった後でなければ、行なわれない、とか、それに類する形に、司法制度の形式的側面を改良すべきだ、と思う様に成った。
上記の、娘をいじめた男子生徒を殴った父親の、長女がイジメを受けていた事を公の場で訴えたいから正式裁判を請求した、という態度には、この方式の萌芽が感じられる。

子供の頃の私は、無罰と片罰に関する、この様な問題について尋ねられた際には、先手者のみ罰し報復者は全く罰しないのが正しい、という風に答えていた。
正確には、どちらを罰すべき、という言い方ではなく、どちらが悪い、という言い方だった、と思う。
しかし、二十歳ぐらいに成ると、私的な報復に対する無罰の弊害、というものをも見過ごさない形に認識を精密化したい、と考える様に成った。
これは、先手者よりも報復者の方が悪い、という意見へと正義観を反転させた、という事ではなく、根幹としては、先手者の方が悪い、という意見を保ったまま、枝葉末節も考えよう、とする態度だ。
裁判の時間順序に関する上記のアイデアは、最近まで思い付かなかった。

1年か2年ほど前に、知り合いに、次の様な話をした事がある。
正義の1の位は、かなり若年の頃に悟ってしまって、いつ頃からか、僕は正義の小数点以下を考える様に成った。
そう成ってから、意見を求められて以前は躊躇無く3と答えていたものを、3.00000・・・ではないので、口ごもる様に成った。
それを見て周りの人は、僕の意見が3から2や4に変わったかの様に誤解している、と僕は感じている。
あるいは、悪者が自分の都合の良い様に、そう勝手なソンタクをしている、感じを受ける。
しかし、僕の意見が3から2や4に変わったのではなく、たとえば3.141592の様なものを思い描いているのだ。

質問者が私に対して、報復の対象と成った行為の是非には触れず、個別の報復行為の是非のみを質問する、という様な態度を取る場合も有った様に思う。
そういう場合、非常に若かった頃の私なら、聞かれていなくても、報復の対象と成った行為の是非にも言及する、といった発言傾向があったが、いつ頃からか、質問された事を口実に自分が兼ねてから言いたかった事を返答に混ぜる癖が自分にはあり、それは欠点だ、という風に思う様に成り、余計な事は言わなく成った。
しかし今では、やはり言った方が良いのだな、と思っている。
1年ぐらい前だったか、自宅近辺で見知らぬ男性2人と出会い、その内の片方(Aとする)が、もう片方(Bとする)の「そいつに訊くな」という制止を振り切って私に何か質問し、それに対して私が答えたところ、それを聞いたBがAに向かって「だから、そいつに訊くな、と言ったじゃないか」と言っていたのを思い出す。
つまり、Bは、私の思想傾向を知っており、実会話でそれを言う機会を私に与えるべきではない、と考えていたらしい、と私は見ている。