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2012年08月06日(月曜日)
鞆架橋問題に対する私見
福山市議会議員大田ゆうすけのブログのコメント欄に、だいたい以下の内容を投稿したのですが、架橋問題の結論が出るまでは意志決定のプロセスに影響が出るといけないので掲載できない、という理由でなのか、あるいは、ブラウザの不調等の技術的な理由によってか、まだ、私のコメントは掲載されていません。
宇田は危険人物なので宇田のコメントは掲載しない、という理由で掲載されていない可能性も、あるけどね。
そこで、以下に掲載しておきます。

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私は、この問題を、前から気にしています。
私がどう思ってるのかを大田さんも気にしているのではないか、と勝手に思っています。
だから、出来るだけハッキリした意見を言いたいのですが、架橋賛成と反対のどちらが正しいのか、確信を持てません。
これは、私がハッキリした判断基準を持たないから、というよりは、離れた場所に住んでいて実情をハッキリ知らないからです。
判断基準も完成しているわけではありませんが、この問題については実情を知れば私はかなりハッキリと賛成か反対のどちらか一方を強く支持するだろうと感じています。
以前この問題について私が大田さんに何か言った事がある様な気がしますが、その時の内容も、どっち付かずで、大田さんはジレッタイと感じただろうなあ、と思っています。
私の態度がハッキリしないのは、いつ頃からか、私の思想傾向を知った上で、何とかしてその反対の事を云わせようとする行為に、しばしば出合うから、でもあります。
鞆の問題についても、私に入って来る情報が、私にさかさまの事を言わせる様にアレンジされたものなのではないか、という疑念を捨て切れません。
最近自サイトの日記(
2012年07月29日の記事)に、架橋に肯定的な内容を含む記事を書いたので、その偏りを補うコメントを、ここに書きます。
今即席では、次の様な観点を思い付きます。
(1) 自分には無い他人の長所を殺そうとする勢力の存在
(2) 過去の事実を抹殺しようとする勢力の存在
(3) 私の周りに出没する不審者はどちら派に繋がっているか
(4) 日記に書いた様に鞆住民の目先の実利を優先して架橋

(1) 自分には無い他人の長所を殺そうとする勢力の存在
については、大田さんの論文に出てくる、海苔養殖が潰された、という話や、加茂のいもばらの廃棄物捨て場が、そういう文脈で理解されるべきものなのではないか、と疑っています。

(2) 過去の事実を抹殺しようとする勢力の存在
については、鞆に史跡がある、という事ですが、そういう、歴史の証拠に成る様なものを、なし崩し的に無くしてしまおう、という意図が働いているのではないか、という疑いも少しは持ちます。

(3) 私の周りに出没する不審者はどちら派に繋がっているか
については、良く思い出せば随分昔からあった事ですが、ここ数年特に私の周りに不審者(不審車両)が現れます。
この不審者は局所的なものではなく、かなり広域的な何かの手先だろう、と私は思っています。
鞆の問題についても、それがもめている事の本質は、この不審者の不審活動の動機と同根だろう、と私は思っています。
その動機が架橋賛成派の意見と同根ならば、架橋賛成派の意見は邪なものだろう、と私は思います。
逆に、その動機が架橋反対派の意見と同根ならば、架橋反対派の意見は邪なものだろう、と私は思います。

(4) 日記に書いた様に鞆住民の目先の実利を優先すると架橋
については、鞆の文化財としての価値のレベルが、どの程度であるか、によって、目先の実利を優先させるべきか否かが、変わると思います。
世界遺産レベルならば、目先の実利よりも保存優先でしょう。
鞆の場合は、それほどではない、と思う。
自分の住居が国宝に指定される事を拒否できるか否か、が参考に成る、と思います。
法律でどちらに成ってるか確認すれば分かるが、どちらに成ってるか知りません。
拒否できるならば、住民の80%が架橋賛成(=保存反対)である事をもって架橋とする、という考え方の合理性が、国宝の場合には認められている、という事に成ります。
知事に決定権がある、という事は、国宝で言うと、この問題については、拒否できない、とする考え方の合理性が、認められている、という事だと思います。

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コメント欄に投稿したのは以上です。
上記以外に、歴史を作る権利、という観点も思い付きました。
これは、史跡を保存する、という事は、史跡の史実の時代の人の歴史を作る権利を、それ以前の時代の人や、それ以後の時代の人の歴史を作る権利よりも優先させる考え方であり、それでは歴史発展が、そこで止まってしまい不合理だ、という観点です。
公平性や自由尊重の面から言っても不合理です。
ずっと後の時代の人にとっては、鞆に新設された橋だって十分に史跡たり得ます。