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2012年07月29日(日曜日)
実利と名誉
誰にとっても、実利は名誉よりも重要である。
そうでない人も居る、と言われれば、確かに、そういう人も居る。
私は、居る、ではなく、居たと聞く、とか、居得る、ぐらいまでしか思わないが。
名誉を第一とする、というのは、実利よりも名誉を優先させる、という事だ。
そういう批判を免れる言い方に直せば、誰に対してであれ、名誉を実利より重んじろ、と強制する事は不当である、とか、何人にも、実利を名誉より重んじる権利がある、という言い方に成ろう。
あるいは、実利は名誉よりも重要だ、というのが相場だ、という言い方でも良い。

私が子供の頃には、衣食足りて礼節を知る、という言葉をよく聞いたが、最近では、めっきり聞かなくなった。
その代わりに、衣食を奪っておいて失礼を責める、といった類の態度が目に付く。

もっと突き詰めて考えると、名誉を重んじるのは、究極的には実利のためかもしれない。
2012年07月22日の記事で述べた様に、相手を怖がらせる侮辱というものがあり、侮辱に対して人が怖がる、という事は、あまりに侮られ過ぎると、しまいには殺されてしまうのではないか、という不安が生じる、という心理法則が存在する、という事だろう。
この事が、自尊心の起源なのかもしれない。
つまり、自尊心は殺されない様にするために有るのかもしれない。
殺されない様にする、というのは実利の追求だ。

実利にもピンからキリまであり、名誉にもピンからキリまであるので、いかなる実利もいかなる名誉よりも重要だ、とは言えない。
いくら実利が名誉よりも重要だ、と言っても、百円でオリンピックへの出場資格を放棄する人は、居ないだろう。
実利への欲求がある程度満たされると、それ以上の実利よりも名誉の方が欲しく成る、という事が言え、その程度に個人差があるだけだ。
また、目先の名誉よりも目先の実利を取る方が一生トータルでの名誉を最大化できる、という場合もあろう。
決闘して死ぬよりも、決闘を断ってノーベル賞を取る方が、良いに決まっている。

名誉追求の段階に入っている人が、自分の名誉追求の手段として、まだ実利優先の段階にある人に、名誉を優先させるように強いる、という間違った態度傾向が、一つの懸念される典型として存在する。

たとえば、立派な家に住んで自分の身の回りの事は全て美しくして生活できる人が、自分の身の回りだけでは飽き足らなく成って、街の景観を美しくするために、外から見える様に布団を干すな、という風に、外から見える様に布団を干すのが普通である様な生活レベルの人に、要求する様な態度が、それだ。
疫病の流行を予防するため等の理由は正当性を持つが、単に見た目がどうか、という事を理由にして要求できる事は、極めて限定的であるはずだ。
単に見た目がどうか、という観点から人に要求できるのは、極端な話、人前でパンツを脱ぐな、という事ぐらいのものだ。

怪我をして着崩している人の身だしなみを咎めたりは、しないだろう。

これについては、現在、私の住んでいる広島県福山市に鞆架橋問題というものが持ち上がっており、これに対して当てこすりを言っているわけではないが、鞆架橋問題を考える際にも、この観点を忘れてはいけない、とは常に思っている。

安倍晋三元首相の「美しい国」という標語に私が懸念を抱いたのも、この観点からである。
模範的である事を義務にしてはいけない。

国等の自分が所属する集団の名誉、というのも、それを高めるために自分がいくら努力しても、それはその人の自由だ。
外から見える様に布団を干すのが普通である様な生活レベルの人が、街の景観を美しくするために、やせ我慢して、外から見える様に布団を干さない様にする事や、それどころか、自分の経済力の範囲内で、立派な家に住んで自分の身の回りの事は全て美しくして生活できる人が追求している名誉よりも、もっとレベルの高い名誉を優先的に追求する事も、全くその人の自由だ。
しかし、自分以外の人に、その人の実利よりもその集団の名誉を優先させろ、と要求する事は不当なのだ。

そういう間違った態度には、集団の長が陥り易い。
集団の長は、自尊心を、その集団の名誉に、依存させがちだからだ。
つまり、自分は他の集団よりも優れた集団のしかも長である、という風に自分を認識する事によって、自尊心を満足させる傾向がある。
この場合、自分の集団の構成員の自発的な選択の集積としての、その集団の優秀さが、他の集団や個人の優秀さに負けそうに成ると、自尊心の危機が生じ、構成員に、その人の実利よりもその集団の名誉を優先させる様に、強制してしまいがちだ。
その様な行為は、構成員に対する不正であるばかりでなく、それによって達成されたその集団の優秀性は、不正な手段によって達成された競争力であり、市場を通して、他の集団に不正の傾向が伝染する。

もう10年以上前の事だが、私には、ある工場で被派遣労働をしていた経験がある。
その際に、作業の都合上、私が床に並べて置いていた材料を見た上司が、それでは見た目が悪いので、と言って、もっと手間の掛る別の置き方に変更する様に、私に指示した、という事があった。
こちらは体力の限界ギリギリの所で仕事をしているのに、それを、見た目を理由にして、もっと大きな体力疲労を要する方法に変更しろ、と言われた事に、私は非常に腹が立ったが、説明にはこの記事を書くのと同じぐらい時間が掛かるし、説明してもあの馬鹿に理解できるか疑問だし、理解できても受け入れる率直さは無かろう、という風に判断して、一言ぐらいは何か反論したかもしれないが、指示に従った。
商業店舗で見た目を言うのなら、まだ分かる。
そこは工場だ。
ただし、相手のどこが間違っていたかは、被派遣労働初日から上記の件までの一部始終を克明に知らなければ分からないものであり、ここを読んだだけでは分からないはずです。