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2012年07月24日(火曜日)
ここまでで言い忘れた事
話は、まだ全然終わってないんだけど、ここらで、言い忘れた事や後で気付いた事を、書いておきます。
因みに、宇田経済学の話も、まだ全然終わってないよ。

遠ざかる、遠ざける、加害する、に、付きまとう、と、拘束する、を加えて、
遠ざかる < 遠ざける < 付きまとう < 拘束する < 加害する
という階梯を考えた方が良いかも。

例外的に重い言葉を除いては、言葉でなされる事の違反度は、遠ざけると付きまとうの間ぐらいだろうか。

拘束と付きまといは、遠ざかる事への妨害、と理解できる。
付きまといは、遠ざける事への反抗、でもあり得る。

加害する事は、さらに、被害者の所有物に加害する場合(器物損壊)と、被害者の身体に加害する場合(傷害・殺人)に分けられ、前者よりも後者の方が重い。
付きまとう事や拘束する事も普通は加害と言われるので、加害よりももっと良い言葉は無いだろうか?

遠ざける行為は、自分をどの位置に置くか自由に選択する権利に関して、遠ざける人の権利が遠ざけられる人の権利よりも優先される、という内容を必然的に含んでいるので、場所の所有権や先取権、ストーカー規制法の観点を抜きにして、無前提に人権として存立している、と考えると矛盾を来たす。
これは、遠ざけられる人がこれから行こうと思う所に偶然遠ざける人が居たら、遠ざけられる人はそこへ行く事が出来ないが、これでは、遠ざける人が参勤交代の大名みたいで不公平ではないか、という意味だ。

また、利用不可避な場所の占拠と同時に遠ざける行為、の正当性は、その場所の利用不可避性の分だけ減る。
不当解雇の不当性のルーツは、ここにあるだろう。

付きまとう事は、付きまとわれる人の邪魔さえしなければ、それ自体としては許されるべき事なのだが、付きまといつつ行なわれる違反行為の一々を漏れ無く指定する事は難しいので、付きまとう事を禁止する事によって、付きまとわなければ出来ない違反行為の一切を封じる、というのが、法律の考え方なのだろう、と私は思う。
しかし私は、法律には縛られずに論を進めているので、付きまといと付きまといつつ行なわれる違反行為を区別する方向で考えてみる。

罠を仕掛ける、通路に異物を置く、といった行為は、公共設備や私邸共用部分の保守状態を故意に悪化させる事、という風にまとめたらどうか。
これは、付きまとう事と拘束する事の間ぐらいだろう。
公共設備や私邸共用部分を最初の設計・施工段階で既に故意に不便・危険に作る、という現象も、これに含めたい。

ここまでをまとめると、対人的な負の行為の階梯は、
遠ざかる < 遠ざける < 言葉違反 < 付きまとう < 罠を仕掛ける < 拘束する < 器物損壊 < 傷害 < 殺人
と成る。
しかし、長時間の拘束は器物損壊よりも重いだろうし、仕掛ける事が傷害や殺人に当たる罠もあろう。
だから、反例の検討が必要だ。

陥れる行為については、その実質的効果(陥れられた人の受ける最終的な損害)と同等の損害を被害者に直接与える違反行為のレベルをもって、その行為の違反レベルとする。
例外的に重い言葉についても、そう考える。

いじめについても、遠ざかる、から、加害する、まで軽重の差がある。
軽いいじめと重いいじめを同列に扱うのは間違いだ。

議論・討論の場に限れば侮辱は軽くない、と言うのは、侮辱は議論や討論の妨げに成るからだ。
従って、議論や討論の進行上必要な事を、侮辱に成ってしまうから言わない、という態度も、議論や討論の趣旨に反する。

問題のある侮辱について、正直でない侮辱、相手を劣っていると思わないのに劣っていると主張する行為、相手を矮劣化して言う行為、というものにも思い至った。