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2012年07月16日(月曜日)
顔の表情について
まず、昨日の記事について、付け足す。
挑発を使って暴力での競争に持ち込む行為には正当性が無い、という認識を一般化すると、次の様に成ります。
暴力については基本は、私は暴力で勝負するのは嫌だから暴力以外の種目で勝負する方針で生きて行きます、という態度の人と、私は腕力に自信があるから暴力で勝負する方針で生きて行きます、という態度の人が、どの種目で競争するかを正当裡に争ったら、暴力で競争したい人に勝ち目は無い、という事です。

さて、本日は、顔の表情について少し書く。
違反の観点から顔の表情を語る時には、感情の能動的表出と自然表出を区別しなければいけない、という事を私は以前から特に強く感じて来た。
と言うのは、私の感情の自然表出に対して能動的表出に対するのと同じ呵責を行う人が複数居て、そういう人のそういう態度に対して非常に腹を立てているからです。
能動表出は言語表現に準じるもの、だと思います。
これに対して、自然表出は、ほとんど、心の中で思っただけ、と同じです。
表出しないようにコントロールする事も困難だし、他人の気に入る表情を作れ、という注文も僭越です。
したがって、感情の自然表出に対して報復が行われる事は、内面の自由の侵害です。
内面の自由と言うけれど、感情というのは、意志によって決定されるものではないのだから、自由と言うのも変です。
何を見てどう感じるかは、その時のその人そのものです。
それを否定される、という事は、存在そのものの否定です。
それが例え、誰かを見て蔑む気持ちが生じた、という場合であっても、当然にそうなのです。

私が子供の頃には、母親が子供に「見ちゃダメ」と言ってたしなめる光景がありました。
これは、見られた人が子供に対して怒り出して子供に危害を加える事を懸念しての事です。
見ただけでも、何も言わなくても、見られた人が自分の劣等感を見た人の責任へとすり替えて怒る、という事が実際に有ったからでしょう。
登下校中の小学生の列に自動車が突っ込む事件が多発しているが、ちゃんと、こういう観点も入れて考えているのだろうか?