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2012年02月29日(水曜日)
通貨の総量は陸地の総面積みたいなもの
2012年02月26日の記事で述べた様に、通貨は人の義務を減ずる効果を持っており、通貨の総量は、減ぜられた義務の量の合計だ。
これが、
虚実逆転の所で書いた、お金を持っている方が得なのは何故か、という問題の答えだろう。
お金を持っている、という事は、そのお金で受け戻せる価値を無利子で貸し出している、という事だが、無利子で貸し出しているその価値は本質的には義務だから、受け戻さずに貸し出したままにしておく方が得だ、という事だ。
また、義務の量は負に成り得る。
そう成った場合は、その様な負の義務は正の権利に他ならない。
正の権利を持つ事は得である。

2012年02月26日の記事の通貨の総量の式を見ると、将来に消費する事が不可避な価値の量よりも、それに充てれる価値の量が小さい事は、根本的には、通貨の発行者が、それだけの価値を徴収したからだ。
A,Bが徴収された価値を発行者から通貨で受け戻せば、A,Bの残存生産義務は、ここまで述べて来た通り、
(Aの残存生産義務の量)=(Aの将来の消費価値量の下限)-(Aによる価値の物理的貯蓄量)-(Aが所有通貨で購入できる価値の量)
(Bの残存生産義務の量)=(Bの将来の消費価値量の下限)-(Bによる価値の物理的貯蓄量)-(Bが所有通貨で購入できる価値の量)
だが、A,Bが通貨で互いに相手からしか価値を購入しないならば、A,Bの残存生産義務は、もっと大きく成り得る。
その事は、AとBが両方ともお金を使い切って最小限の生産で済ませようとした場合、を考えれば分かる。
通貨の総量が決まっているので、A,Bの両方がお金を使い切る事は出来ない。
Aがお金を使い切れば、そのお金はBが持っているので、Bはお金を使い切っていない状態にある。
しかし、まあ、これは、原理的に過ぎる指摘であって、大人口の現代社会で、この効果が出る心配をする必要はないのかもしれない。

通貨が義務を減じる、と言っても、それは、過去に生産した分だけ、将来の生産義務が減る、という事に過ぎず、通貨の発行者が何か恩恵の様なものを与えている、という事ではない。
生産義務の量が生まれてから死ぬまでの一生について与えられており、所有通貨の残高は、その生産義務のうちの生まれてから現在までに果たした分の量を表している、と考えれば、大体の感じがつかめる。

本来は、義務が全く減ぜられていない状態が自給自足の状態で、お金を全く持っていなくて義務が最大に成ってしまっている状態は、それと丁度同じだから、その様な最悪の状態ですら、他人の義務をナスリ付けられた状態ではない。
しかし、現代社会の実態は、自給自足が不可能なものだから、その点を考慮しなければいけない。
ここまでは私は、価値というものを量的にしか捉えていなかったが、価値の種類の事を考えると、自給自足の場合よりも経済に組み込まれた場合の方が不利に成っている部分があるのかもしれない。
自給自足の場合には、用が足りる程度に御座なりに生産していても良かったのに、販売用という事に成ると、品質に厳しい注文が付く、という違いもあろう。
また、自給自足では老後の蓄えが難しいが、経済に組み込まれていれば若いうちにカネを貯めて老後はそのカネで必要な価値を購入すればよく、この事が、経済への参加を捨てがたいものにしているだろう。
社会の側からも、これだけの大人口に成ってしまったら全ての人が自給自足するスペースはもう無い、という要請があるかも。
また、旧ソ連の小国が独立しようとした時に見られた様に、統治の観点から、全体は部分の独立を敵視する、という文脈もあろう。

通貨の総量はオセロゲームの盤面の升目の個数に喩えられ、大きな利潤を上げる事は多数個の升目を占有する事に喩えられるのではないか。
封建時代の地主と小作の関係が、通貨という抽象的な土地をめぐって再現されている、とか、戦争による領土争奪戦が、通貨という抽象的な土地をめぐって再現されている、大きな利潤を上げる事は占領である、みたいな考え方はどうか。
ここまで来ると、お金をたくさん持つ事は、単なる権利ではなく、権力ぐらいに成ってるだろう、という事が感じられる。
しかし、これは、利潤の話ではなく、資本の話かもしれない。
通貨の獲得競争を領土争いと考えると、市場原理に素直に従う事はオウンゴールのごとき利敵行為だから、市場原理なんて到底守られていそうにない、と感じる。

大きな利潤を上げる、というのは結果であって、適正価格での取引の結果そう成ったならば、文句の付け様が無い。
そう成らない様に取引価格を調節せよ、という考えの方が、無茶だ。
2012年02月09日の記事のBの主張を参照せよ。

通貨の総量が変化しない以上は、自分が取れば他の人の分が減る、という事とは逆に、譲り合って誰も通貨を持たない様にする、という事は、それが購買を通して行なわれる限りは、不可能だ。
これは、先述した、A,Bの両方がお金を使い切る事は出来ない、という事情の一般化だ。

宇田経済学についての次回の記事の執筆は未定です。
来月は学会発表の準備で書けそうにない。