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2012年02月19日(日曜日)
価値保存の法則
経済循環機関の価値保存の機能の本質を解明したい。

そのために、電気回路におけるエネルギー保存則と経済循環機関における価値保存を比較してみる。

各人は電気回路における抵抗と起電力を直列に繋いだ複合素子の様なものではないか。
起電力によるエネルギー供給が労働による価値供給に対応するだろう。
起電力ゼロで抵抗のみならジュール熱によるエネルギーの散逸だけに成るが、これは、労働ゼロなら消費による価値消失だけに成る、という事に対応するだろう。

今まで私は、利潤=価値創出、と言って来たが、これは誤りで、ジュール熱によるエネルギーの散逸に相当する価値の消失を考慮に入れれば、利潤ゼロを達成するだけでも、消失した分を埋め合わせる価値創出が必要だろう。
そこで、利潤=自分が増加させた経済全体の価値、と言い直す。

電流や電圧に対応するものは何だろうか?
電位は価格に対応し、電圧は価格差に対応するのかな?

この他に、実体財として価値を貯蔵する事も考えに入れなければいけない。
これは、定性的には抵抗と起電力を直列に繋いだものにコンデンサーを並列に繋げば表現できるが、定量的には違う。

契約関係(貨幣を債券とする貸借契約も含む)の価値を、物理系のポテンシャル・エネルギーに対応するものとして、理解する事は出来ないか?
そうだとすると、これは、電気回路に喩える事は出来そうにない。

経済循環機関の価値保存の機能を維持するために各人に掛かる負担を詮索すれば、貨幣を債券とみなす益の貸借が無利子である事の妥当性を検証できそうだ。
無利子である事によって、貸した人は得をしている(経済の恩恵を受けている)のか損をしている(経済に奉仕している)のか?

経済循環機関は本来は保存系ではなく、経済循環機関の価値保存の機能は、価値の消失が生じない事によって自然に成り立っているものではなく、消失した価値を逐一埋め合わせる絶え間ない損失補填によって繕われている。

そして、それは、経済全体の価値の量が大きく成れば成るほど、大変な労力を要するものに成って来るのではないか。
それとも、経済全体の価値の量が大きく成れば、その分だけ、経済に助けられて、各人の負担する補填業務は楽に成るのだろうか?
無利子である事が貸した人にとって得か損かは、この辺りの見極めによって決まると思う。

音楽を演奏して他人に聴かせる、という与益は、その事によって聴いた人の労働能力が高まる、とか、聴いた人の疲れを癒す、という形で、経済への価値供給を行なうものではなく、聴いた人が、その買益の分だけ債権(通貨所有量)が減る、という事に納得し、不満を蓄積させる事なく、そうしなかった場合よりもその分だけ余計に後で経済に対して与益する、という事を通して、価値供給の一翼を担う。
これは、この益を売買する場合にのみ言える事で、この益の無償での授受の場合には成り立たない。

この事は、経済循環機関の価値保存の機能が何に由来するかを、如実に表している。
つまり、益が物理的に伝播して行くのではなく、個々の与益は、受益者に不満を蓄積させる事なく義務を課し、それによって、益が心理的に伝播して行く。
経済循環機関の価値保存の機能は、耐久消費財の耐久性の様な物理的な保存法則にも部分的には依拠しているが、主には義務と益の対の心理的な伝播に由来する、と私は考える。