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2012年02月14日(火曜日)
価格決定のメカニズム
買う人と売る人が、どの価格なら納得するのか、という昨日提起された問題を考える。

貸借描像に基づけば、買う人は、自分が買おうとしている商品の価格分の通貨を得るために自分が過去に行なった与益と、買おうとしている商品の価値を比較するはずだ。
そして、両者が同じならば適正価格だと感じ、そうでなければ価格が安いとか高いと感じるだろう。
そして、適正価格であるか安ければ買い、高ければ買わない、だろう。
ただし、通貨の所有残高が足りなければ、買いたくても買えないので、安く感じたら常に買う、というのでもない。
また、安く感じても、今自分には必要ない、と感じたなら、やはり買わないはずだ。
安く感じ、かつ、必要ないとも感じる、って矛盾なのかなあ?

自分の過去の与益の価値の総合計よりも大きな価値の商品の価格が適正であるか否かを判断する場合は、その商品の価値が自分の過去の与益の何倍に感じられるかと、その商品の価格が自分の過去のその与益の報酬の何倍であるかを、比較して判断する。

買う人の過去の与益と、その人が買おうとしている商品とでは、一般には益の種類が違うので、各人は、益を吐いた後でそれとは異なる種類の同量の益を吸う価値(益)変換素子として機能する、と言える。
そして、同量であるか否かは、完全に、その人の主観に、委ねられる。

益を貸した後で同量の益を受け戻したと感じれば、不満の蓄積は起こらない。

こう考えると、適正価格で買うためには、自分の本心を正直に見つめ直す禅坊主の様な態度、が必要に成る事、が分かる。
その分、心の中でどう思うか、の問題だから、幾らでもウソが吐ける部分だなあ、とも思う。

人間の正直さが完全ならば、適正価格でのみ取引せよ、つまり、安く感じた場合には買ってはいけない、という義務を課す事が出来るが、人間の正直さは不完全なので、その様な義務を課すのではなくて、安く感じた場合に買うと自分が損をする、という法則性が、防犯機能として、市場メカニズムから出て来る事が望ましいが、果たして、そう成っているだろうか?
ただし、その場合、安く買わない義務は無いのだから、安く感じた場合に買う事は犯罪ではない。