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2012年02月11日(土曜日)
3体自由主義経済は本当に公平か?
昨日の記事では、3体自由主義経済は公平で3体社会主義経済は不公平だ、という一応の結論に達した。
今日は、本当にそうなのか、さらに詮索する。

直感的な疑問として、確かにAは損をしていないかもしれないが、Cは非常に得をしているのにAはほとんど得をしていない、という点が自由主義経済の不公平な所ではないか、という疑問を私は持つ。

Cは、もしa,bを自給自足したなら、仮にa,bの生産能力でA,Bに引けを取らなかったとしても、自由主義経済に参加した場合よりも、絵を描くのに使える時間と体力が少なく成る。
自由主義経済に参加すると、その点が改善され、Cは非常に得をする。

一方Aは、昨日述べた様に、自給自足の場合に比べて、自分の得意な単品種だけ生産すれば良く成る、という些細な改善しか、自由主義経済に参加する事によって、得られない。

これらの事情が不公平を意味するのか、考えたい。

初見で思う事は、AとCに生じるこれらの差は、経済的なものではないのではないか、という事だ。
同じだけの価値を作り出すのに必要な苦労には個人差がある、という事ではないか。
経済の取引は、与益の量と受益の量が均衡する様に為されるのであって、加害の量(苦労させた量)と被害の量(苦労させられた量)が均衡する様に為されるのではない。
損害賠償という行為は間違っていないが、これは経済の正常な運転の一部ではなく、経済の正常な運転からの逸脱への変則的対処と考えられるだろう。
公平は、与益の量と受益の量が均衡する事で、加害の量と被害の量が均衡する事ではない、というのは、何故だろうか?
分からない。
後者は、余力の平等に似ているけど少し違う。
aの生産は苦労だが絵の生産は喜びですらある、といった違いが、確かに有る様に思う。
これは不公平には繋がらないのか?
分かって来た。
自給自足した場合にも苦労に差が出るので、その様な差は経済によるものではない、と考えれば良さそうだ。

もう一つの視点として、次の様な喩え話を考え出した。
宝くじの当たった人が、鉄道に乗って賞金を取りに行く場合を考える。
鉄道に乗らなければ遅刻して賞金をもらえない、とする。
この場合、賞金を取りに行く人は鉄道によって非常に得をする。
一方、鉄道は、この人から僅かな運賃をもらうだけだ。
しかし、これは不公平ではない。