since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2012年02月 >
< 04日 >
2012年02月04日(土曜日)
虚実逆転
さて、2012年01月20日の記事に書かかれている様に、今まで私が書いて来た事からすると、何か、お金は持っていれば持っているほど損な物、したがって、お金を貯める事は損を引き受ける徳である、といったニュアンスが感じられる。
しかし、現代社会に暮らす我々の実感は、これとは全く逆である。

現代社会に暮らす我々の実感としては、お金は持っていれば持っているほど得な物であり、みんなお金の取り合いをしている。
そして、ほとんどの実体価値は、お金よりも劣るものとして、蔑まれている。
買う人は無愛想で、売る人が笑顔で「有難うございます」と言う。
買う事は、お金という大切な物と相手のそれほどでもない商品を交換してあげる事で、売る事は、自分のそれほどでもない商品と相手の貴重なお金を交換させてもらう事だから、売る事を蔑んで「売り付ける」と言う者すら居る。
売る行為に対しては、売る事がそう簡単に出来ると思うなよ、という牽制が、半ば呵責のニュアンスを伴って、常に飛んで来る。
物を作って売る企業は歓迎されるが、それも、労働を買ってくれるから、という理由の占める割合が異常に高い。
与益への報酬としてお金の代わりに実体財を渡す事は、喜ばれない。
贈答の習慣においては、お金を渡す事は避けられ物品を渡すが、これも、物品の方が喜ばれるから、ではなく、お金を渡す事はあまりに露骨だから、という理由での事だから、お金の方が欲しがられている事の裏返しである。
被雇用労働への報酬としてお金の代わりに物品を渡す、などという事は、論外(甚だ欠けた行ない)だと考えられている。
お金を貯める事を不徳と見なす見方もある。

通貨の原理に対する素朴な印象と、通貨の運用の実態が、何故ここまで正反対に成るのだろうか?
この問題を考えたい。
ここには、きっと、大きなペテンが潜んでいるに違いない。
日常、まことしやかに聞かれる訓戒が、薄汚い屁理屈である事を、暴きたい。

この問題に対する現時点での私の見当を以下に列挙する。
・自由で偽装した封建(枷としてのお金)
・三すくみ
・正直者は馬鹿を見る(囚人のジレンマの逆)
・オセロゲーム描像(覇権争い)
・戦略的不買
重複している部分もあるかもしれないし、三すくみの意味を私はまだ良く分かっていない。

これらの諸観点について考えるに当たって、具体的な問題として、まず失業問題の事情を検討したい。
失業問題は、象徴的な言い方をすると、失業者が食べ物を買って食べる事が出来なくなる、という点が問題だと思う。
食べ物は食べなければいけない。
食べ物は買わなければ手に入らない。
買うためには労働を売ってお金を得る必要がある。
労働需要が無ければ、それが出来ない。
一見これは不可避の必然に見える。
しかし、ちょっと待てよ。
本来は、食べ物は買わなくても自分で農作すれば手に入ったはずだ。
それが出来ない様にしてあるではないか。
例えば、借家住まいの人は、土地を持ってないので、それが出来ない。
土地を持っていても、金銭収入が無ければ、固定資産税を払えない。
これは、貨幣経済と自給自足を秤に掛けて都合の良い方を選ぶ、という選択が出来ない様に、そういう風に、わざと社会が作られている、という事ではないだろうか。
国民一人一人に、生まれた時から、基本的人権の一部として、一定量の土地が与えられ、それは人体と同様に基礎財産として売買は出来ないものとし、固定資産税も掛からない、という風にすれば、状況は変わるはずだ。
そうしないのは、故意なのではないか。
理由は統治だろう。
自由で偽装した封建制度だ。
織田信長の楽市楽座みたいなものだ。
建前としては民間活力の開放を謳いつつ、実質上は徴用強化だ。
こういう風に考えると、被雇用労働は徴用である、という本質が見えて来る。
そもそも、「勤労の義務」という言葉に、本音が出ている。
まず最初に取り上げておいて、その後でそれを与え、「恩だ」「感謝しろ」と言う。
そういうペテンが、社会の根底に横たわっているのではないか。

その観点から言うと、お金は枷であり、枷が嵌められている状態は、所持金が無い、という状態に対応する。
これは、地主と小作であり、現代の奴隷制度だ。
だから、自主独立的に売ろうとする行為は、自分の枷を自分で外そうとする行為として、他の奴隷達からも、支配者からも、目の敵にされるのだろう。

社会主義や共産主義だと誤解されるといけないので書いておくと、私の考え方は、資本主義の中核概念である所有の概念を強化するべきだ、という考え方であり、社会主義や共産主義とは方向が逆だと思う。
それから、感情的には私は、奴隷道徳、労働者的な正義感には強く反発し、むしろ君主道徳に共感する者です。

まとまらなかったけど、今日は、ここまでにします。