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2012年01月25日(水曜日)
譲渡の論理
昨日は大問題に取り組んで行き詰まったので、今日は軽い話題について書く。
毎日昨日の様な状態に成ると体を壊すから。

自分の持っている貨幣を別の人に譲渡する事を考える。
その際に、譲渡された人は譲渡した人に全く与益しない、譲渡した人は譲渡された人から全く受益しない、ものとする。
つまり、貨幣を使っての売買ではなく、譲渡を考える。
遺産相続は、この譲渡に含まれるだろう。

さて、個人Aが個人Bに貨幣を譲渡すると、その他の人の権利や義務は、どう変化するだろうか?
譲渡前には経済全体はAに対して債務を負っていたが、譲渡後には経済全体はBに対して債務を負う事に成る。
この事について、AでもBでもない人は、不満に思わないだろうか?
Aからは借りたがBからは借りてないのに、どうしてBに返済しなけりゃあ、いけないんだ、という風に。

この不満は、次の様に考えれば、解消される。
・Aが、自分の貨幣で財やサービスを購入した後で、その財やサービスをBに譲渡する。
・Aが、自分の貨幣をBに譲渡した後で、その貨幣でBが財やサービスを購入する。
これら2つの取引状況を比較すると、AでもBでもない人がAとBに与えなければいけない財やサービスは、量的には同じだ。
だから、どちらでも良いじゃないか。

しかし、量的には同じでも、種類が違い得る。
また、サービスの場合には、Bに対してサービスを提供する事は構わないがAに対しては嫌だ、という不満についても検討すべきだ。

まず、種類の問題について、これは、AとBの欲望の偏りの違い、何をどの程度欲しがって何を欲しがらないか、の違いが原因だ。
Aが購買する場合と、Bが購買する場合で、何が売れて何が売れないか、が異なる。
しかし、そもそも、Bが与益して貨幣を得る時に、受益者はBの欲望の偏りを見て、それで買うか買わないかを決めただろうか?
そんな事は無いだろう。
その取引での受益者は、もし相手がBではなくAだったとしても、与益内容と価格が同じなら、Bに対するのと同じ様に買ったはずだ。
その様にしない受益者も居るだろうけれど、与益内容と価格のみから取引の是非を決定せよ、という内容が市場原理には含まれている、と私は理解している。

Bに対してなら構わないがAに対しては嫌だ、という不満については、経済活動の範囲、売買が許されるサービスの範囲、を定める事によって、解決されるだろう。
逆に言えば、売買が許されるサービスについては、売る人は、サービスの内容と価格のみから、売るか否かを決めねばならず、買う人が誰かなら拒否する、という態度は、市場原理に反する、という風に私は理解している。
つまり、市場原理には差別を否定するキリスト教的なイデオロギーが盛り込まれている、という風に私は理解している。
また、Bが与益して貨幣を得る時に、受益者は、後々でBに何かを売る人の事を考えて、それを取引に反映させたりは、しなかったはずだ。
したとすれば、それは市場原理への違反だ、という風に私は理解している。

Bは与益せずして貨幣を手に入れている、という点が気に入らない、という不満は、その合理的部分については、次の様に考えれば解消される。
・市場原理では、売買に際して、どれだけの貨幣を授受するかは、AとBの合意のみによって決まる。
・AとBは、分量ゼロの益を、売買した。
これだけ聞くと屁理屈に聞こえるかもしれないが、非常に些細な益の授受に際して非常に多額の貨幣が授受されても、当事者同士が納得していれば、当事者以外の人は文句を言えない、というのが市場原理の特徴だ、という点には、異論は無い、と思う。
実際には、霊感商法等は取り締まりの対象に成るが、それは、当事者以外の人の不満によるのではなく、買った人の不満によるから、市場原理への反例には成るかもしれないが、譲渡の論理への反例には成らないだろう。